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120 麻痺ーまひー
店を出るとそこは、俺たちのように放課後の寄り道をしている学生とか帰宅中のサラリーマンとか、たくさんの人で溢れかえっていた。
自転車のスタンドを蹴って、肩にかけていたカバンをカゴに放り込む。
ふぅ、と息をついて烏丸を振り返った。
「荷物、入れるでしょ?」
烏丸がスマホから顔を上げる。
聞いていなかったのか、「?」と首を傾げられた。
「わり、なんて?」
「荷物、帰りもカゴに入れるでしょ?って。」
「あ———……いや。」
烏丸はスマホをポケットに突っ込んで、緩く首を横に振る。
「俺、用事できたから。
ここで、ばいばいしよ。」
「え?でも……。」
スマホの時計を見れば、9時半。
今から用事って何だろう。
バンド練習?
いや、違うかな。
ギターケースを肩にかけなおした彼は、一方的に手を振って歩き出す。
「え?ちょっと、烏丸!もう遅いよ?!」
「じゃ~ね~、また明日~。」
ひらひらと手を振る烏丸は人混みに紛れていく。
自転車を押しながら追いかけるには、人が多すぎた。
というか、なんで追いかけようと思ったのだろう。
さっきの話を聞いたから?
分からない。
引き留める理由が俺にはない。
徐々に見えなくなっていく、その背中。
ぽた、と頬に水滴を感じて、上を向く。
(…雨……。)
明日も降っているかな。
そう考えながら、前を向くと
「あ……。」
烏丸はもう見えなくなっていた。
*
「珍しいじゃん、烏丸くんから誘ってくるの。」
そう言って、そいつは着ている服を脱ぎ捨てる。
適当な返事をしながら、俺は履いていたローファーを投げた。
中敷が濡れて気持ち悪かった。
音を立てて、転がったそれを見つめる。
ポケットに入れたスマホが振動して、取り出す。
メッセージか届いたことを、LEDが点滅して教えてくれる。
『雨降ってきたけど、濡れなかった?』
萌志から。
うん。濡れたよ。
びしょびしょ。
ギターケースに上着をかけたから、カッターシャツがもろに濡れた。
でも、脱ぐから大丈夫。
「何?彼氏?」
「………ばか、ちげーよ。」
そいつはベッドに座っている俺の横に腰かけて、画面をのぞき込もうとしてくる。
邪魔とその顔を押しのけて、『大丈夫』と返信をした。
既読がつく前に画面を閉じて、ついでに電源も落とす。
濡れたシャツが冷えて、小さく震える。
俺の肩が優しく擦られた。
「シャワー、浴びるでしょ?」
「……ん。」
「じゃ、行こ。」
差し出された手。
それをペチと叩いて、立ち上がる。
やっすい、いつものラブホ。
いつもの都合のいい相手。
ネオンピンクが部屋を満たして。
目がチカチカと痛い。
壁にかけられた時計を見上げれば、10時半。
明日、学校行けるかな。
早めに起きて、服着替えて。
2限に間に合えば、いいか。
さっきまで座っていたベッドに視線を向ける。
パンイチで俺を見上げる男は、クリッとしたその目を綻ばせる。
短く切られたくせ毛に指先を絡ませた。
「何座ってんだよ、入るよ。」
「はいはい。」
そいつが立ち上がったことで、ベッドが軋む。
慣れた仕草で腰に回された手。
制服のズボンから、ベルトを抜き去っていく。
部屋から丸見えのガラス張りのシャワールーム。
そこにたどり着くまで、服が一枚一枚脱がされていく。
冷えた身体が、そいつの体温とシャワーの熱で溶けた。
別に、もう何てことない。
ちょっと寂しくなったら、温めてもらうだけ。
濡れそぼった髪の毛に指が絡んで、グッと顔をあげさせられる。
シャワーの水滴が、顔にかかってうまく目が開けられない。
「……っなに…」
「失恋?」
「……っは。してねーよ……。」
目を瞑ったまま、身体を沿うように撫でる手を掴む。
失恋は、していない。
まだ。
大丈夫。
明日、また。
まだ片想いが続いていく。
「も、いいから……さっさとしろよ。」
「はいはい。じゃあ足上げて。
まったく、ムードってもんがないね~。」
「セフレに、ぁ、そんなもん、必要、ねーだろ…っ」
綻びた心を、爛れた関係の相手で縫い合わせる。
萌志が知ったらなんて言う?
怒る?
何やってんだよって?
でも、幸せだからそんなこと言えるんだよ。
俺だってこんなこと、したくてしてんじゃねーんだよ。
寂しいから。
報われないから。
終わりが見えないから。
無遠慮に弄る手と、首筋に押し当てられる唇の柔らかさは
純粋に気持ちがよかった。
感情の混じってない、ただお互いの体を貪るだけの関係。
こいつは縫合糸。
こいつは麻酔薬。
ドロドロの居心地のいい、抜け出せない沼に沈んでいく。
この距離が、正解なんだって。
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