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125 帰途ーかえりみちー

甘ったるい鳴き声をあげながら、足に纏わりついてきたネコ。 傍にしゃがむと、器用に爪を引っ掻けてよじ登ってくる。 好きなようにさせていると上着のボタンが気になったのか、何度も引っ掻いて取ろうとした。 「慣れてるね。」 「ん……かわいい。」 萌志は少し離れたところから、そわそわと見守っている。 ボタンに興味を失くしたネコは、俺から離れて萌志の方に向かった。 尻尾がピンと立っている。 一目で気に入ったみたいだ。 興味津々な様子で萌志の周りをぐるっと回る。 みゃう、と小さく鳴いたネコに萌志は顔を綻ばせた。 「えへへ、かわいい。」 萌志がしゃがんで腕を伸ばすと、ネコは身体をしならせて擦りついた。 萌志はそっとその首回りを撫でる。 ゴロゴロと喉を鳴らしたそいつに、萌志は俺をパッと見た。 嬉しそうな彼に、和む。 (萌志とネコ……超いい…。) それから、萌志はそいつに夢中で。 完全にデレデレになってしまった。 ネコが鳴くと、真似をしながら首を傾げる萌志。 ほわほわと緩み切った空気が流れる。 パチッと視線が合うと、目じりが優し気に垂れた。 そして不意に萌志が此方に手を伸ばす。 「?なに……、」 長い人差し指が、顎を掬い上げる。 ぽかんとして、されるがままになっていた。 くるくると弧を描くように顎下を撫でられる。 引くついた喉が、コキュと小さな音を立てた。 その音に恥ずかしくなって、一気に顔に熱が集まる。 しゃがんだまま俺の方に1,2歩近づいた萌志。 愛しむようなその視線に引き寄せられて、自然と身を乗り出してしまう。 顎を撫でていた手はいつの間にか頬へと移動して、火照った顔に少し冷たい感触が気持ちいい。 少し顔を傾けた萌志。 (あ……。) 心臓が淡い期待に高鳴った。 外であることも忘れてしまっていた。 あと1センチ。 目を閉じかけていた、その時。 「んにゃ。」 たしたしと打ち付けられた尻尾の感触と、鳴き声にハッと我に返る。 何やってんだ。 馬鹿。 慌てて周りを見渡して、誰もいなかったことにほっと息を吐く。 妙に汗ばんだ首筋を、ぱたぱた仰いで萌志を見ると 「…んん~~~……。」 顔を覆って呻いていた。 ちょっと耳が赤いような気がする。 何となく気まずい空気になって、俺は意味もなく鼻を啜ってみたりして気持ちを落ち着かせようとした。 俺たちに飽きたのか、ネコはスタスタと茂みに歩いていく。 「あ、行っちゃった……。」 縞模様の尻尾が葉影に隠れて消える。 うなじの髪の毛をかき分けながら、萌志はつぶやいた。 名残惜しそうにそちらを見ていたかと思えば、不自然に視線を外しながら俺に向き直る。 「なんか、ごめん。」 「…いや……。」 気を使われている感が半端ない。 ズボンに付いたネコの毛を掃って、立ち上がった。 辺りはもう暗い。 そろそろ帰らないと。 キョロ、と様子を窺う。 人はいない。 「帰ろう、萌志。」 俺を見上げる萌志に、手を差し伸べる。 それを掴んだ萌志は、「そっちも」ともう片方の手を要求する。 仕方なく両手を差し伸べたら、グッと体重をかけるように萌志は立ち上がった。 重みに耐えかねて、よろめいた俺を引っ張って笑う。 「びっくりした?」 「…別に。」 俺はそのまま萌志の手を握る。 顔がまた熱くなってくるけど、気にせず出口に歩き出した。 大人しくついてくる萌志。 引っ張るようにして歩いていたのに、いつの間にか萌志は俺の横に追いつく。 「暁。」 「ん。」 「こっちの繋ぎ方にしよ?」 顔の前に手が持ち上げられる。 交互にお互いの指が絡んでいた。 ふふ、と幸せそうに笑った萌志は、ぶんぶんと前後に腕を振りながら歩く。 繋がれた手をまじまじと見つめて、ぎゅっと心臓が痛くなる。 萌志の鼻歌を聞きながら、自転車を置いているところに歩みを進めた。 やっぱ乗るときは、離すよな。 それがなんだか名残惜しくて、歩くのがゆっくりになる。 彼の拳の骨を無意識になぞって、ぎゅっと握りなおした。 「?何?」 「いや……なんでもない。」 ふるふると首を動かして、誤魔化す。 手を離すのが名残惜しいだなんて俺には言えない。 できればずっと触れていたいけど、そこまで言えるほど俺は素直じゃない。 手を繋ぐことがこんなに幸福感を与えるものだと思わなかった。 萌志が嬉しそうな顔が間近で見られる。 これ以上、幸せなことなんかない。 もっと見たい。 もっと一緒にいたい。 自転車に乗ったら、終わってしまう。 帰ろうと促したのは俺なのに、すでにその言葉を後悔していた。 自転車がある場所に着く。 俺からは手を緩めなかった。 萌志が、そのそぶりを見せたら離そう。 でも2人とも自転車を見つめたままで、萌志が指を解く様子は見られない。 これは……どうすればいいんだろう。 無言になって静かになった空気に少し焦る。 これじゃ、不自然じゃないか? 俺が離すべき? いや、でも。 俺は…… 「離したくない。」 「っ……。」 「って暁も思ってくれてる?」 心の中を読まれたかと思って、身体が跳ねる。 おずおずと隣を見ると、萌志は柔らかく微笑んだまま俺を見つめていた。 「俺はもうちょっと繋いでいたいかな~……なんて。」 コテッと首を傾げた萌志がかわいい。 こんな風に俺も素直に言えたら。 そう思うけど、実際そう言おうとするとあほみたいに時間がかかることは目に見えている。 萌志が家に泊まった時はあんなに大胆にキスとかかませていたのに。 なんで? 今更照れ臭くなってしまうんだろうか。 キスを自らするのと、手を離したくないっていうのとじゃ、明らかハードルが違うだろって。 あの時は萌志が不安そうだったから、どうにかしたくて勢い任せだった気がする。 すべては勢いか。 手を繋いでみようと思ったのも、勢い。 変に考え込まずに勢いだ。 そうそう。 思いついたら、即行動。 と、思っている時点で結構考え込んでるような…。 ぐるぐるとループに嵌ってしまった俺に萌志は噴き出す。 するりと萌志の手が離れた。 あ、と思った瞬間にはもう萌志は自転車のスタンドを外していた。 温もりが消えた掌に寂しさが募る。 きゅ、と拳を握って顔を上げる。 自転車に跨った萌志は俺を振り返った。 「はい、乗って。」 「……今日、」 「え?」 「今日は俺が送る、から…俺が前に乗る。」 グイグイと萌志を押しのけて、前を独占する。 ほら乗れよ、と荷台を叩くと萌志は素直に跨った。 「俺が誘ったから、送るのは俺でいいのに…。」 「いい。公園に誘ったのは俺だし。」 うーんと渋った声を出しつつも、萌志の腕が体に回される。 脇腹が擦れて、擽ったかった。 来た時より近くに感じるその体温。 自転車は、萌志の顔が見れない。 いま、どんな顔しているんだろうか。 踏み込んだペダルは重かった。

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