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128 驀地ーまっしぐらー

帰宅時刻になった学校。 息を切らして、廊下を駆け抜ける。 走るな!という教師の注意もあっという間に後方へと流れた。 しっかりつかまれた右腕。 伝わった掌の熱は、冷えた心を溶かし始める。 生徒をかき分けて前を走っている、そいつの黒髪を見つめた。 なんで。 何でお前が。 「逃げるよ、鳥羽。」 おかしいな。 屈託なく笑った烏丸は、心底愉快そうだ。 既にあがった息と共に、自然と笑い声が漏れた。 バタバタと、忙しない足音が響く。 ぎょっとした顔の生徒たちが端に避けるのが面白かった。 後方、俺の名前を呼ぶ声。 走りながら振り返ると、数メートル後ろから追ってくる萌志が見えた。 「よそ見してると、追いつかれるよ。」 烏丸の声に、萌志から視線を外す。 逃げている。 萌志から、逃げている。 何故か、烏丸と一緒に。 あはは!と彼が笑い声をあげた。 少し嗄れた低音が弾けて散った。 残響が耳を擽る。 何でこうなったのか。 事の発端は、数時間前に遡る。 * 昨日から、頭に靄がかかっている。 近づけようとした距離は、むしろ遠のいた。 どこから間違えた? 寄り道したのがまずかった? 公園を選んだから? 手を繋ごうと、手を差し伸べた俺が悪かった? 今更後悔したって、遅かった。 どうすればいいかなんて分かんない。 せっかく手に入れ、立っている萌志の隣。 何も掴んでいない両手が、冷たくて。 寂しい。 気を抜いたら涙が滲んでしまいそうだった。 萌志の家族に見られてしまった。 帆志、と呼んでいた。 俺を一瞥した彼の目は凄く冷たかった。 それを見た瞬間、心と頭に霜が降りて。 じわじわと体温を奪っていく。 震えた身体を抱きしめてくれる温もりはなかった。 朝も、萌志にぎこちない笑顔でおはようと言われたきり、会話は途絶えた。 俺はきっとうまく笑えていない。 その笑顔も直視できなかった。 ポケットに入ったスマホは、ずっと静かなまま。 溜息をついて、鼻を啜った。 このまま、どんどん距離が広がったらどうしよう。 あぁ、勢い任せでなんてことをしてしまったんだろう。 全部俺が悪い。 謝る? でも何で? ただ謝るだけで解決なんかしない。 分からない。 冷静さなんか、とっくに消え去っていた。 昼休憩。 何を血迷ったのか、俺は気づけば烏丸に話しかけていた。 トイレに入った彼を追いかけて、そのまま個室へ押し込む。 「え?うえぇぇえ?!やめてください、痴漢!ちかーん!」 「るっさい…静かにしろって…!」 わざとらしい裏声で騒ぎ立てる烏丸に詰め寄る。 俺には頼れる人間が本当に少ない。 今まで萌志に頼っていたけど、今回ばかりは無理に決まっている。 あとは深山と親だけど、もはや論外。 萌志側のこいつに頼るのはどうなんだろうと思うけど。 他は全然思いつかなかった。 「助けて、ほしい…。」 「……トイレに押し込まなきゃいけなかった?」 「それは……ごめん。」 咄嗟過ぎて考えていなかった。 俺も本来なら、こんな狭い場所に特に親しくない微妙な距離の奴と2人っきりなんて御免だ。 でも、切羽詰まっている。 俺と萌志のことを知っているのは、烏丸だけ。 味方に付けようとは思っていない。 ただ一人で、抱え込むには俺には重すぎて。 初めてのことばかりで、パニックになっていた。 「萌志でしょ。てか、それ以外ないでしょ。」 「……。」 「お前ら二人そろって、お通夜かよって。」 はぁ、と烏丸はため息をついて声を潜める。 「こんなところに、こそこそ隠れて…。 萌志に怒られるのたぶん俺よ?」 怒るんだろうか。 萌志は。 ぐちゃぐちゃの頭ん中は一人じゃ整理できなくて。 正しい解決法を、烏丸から得られるわけでもないのに。 「ほらほら、そんな顔しんさんな。 話してみ?」 烏丸は、どっこいしょと便座に腰を下ろすと腕を組んでふんぞり返った。

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