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嫌な汗が手に滲んだ。 小さく息を吸って、吐いて… 「っ、きざ…」 「ね、暁。」 意を決して口を開きかけると、優しい声で遮られた。 ちらりと視線を送ると、目が合って微笑まれる。 「2人きりになれるとこ、行こっか。」 ゆるりと絡めとられた指先に、微かな緊張が走る。 それを誤魔化すように、黙って頷いた。 * 俺の手を引きながら萌志はどこかに電話をかける。 手を繋いでいるところを誰かに見られたらと、ひやひやしながら辺りを見渡す。 相手が電話に出たようで、萌志が話し始めた。 「あ、部長~!御波です。 急用ができちゃったんで、今日部活出れな…… え?いやいや、違いますよ。 歯医者さんですよ、歯医者さん。 予約してたの忘れてて…すみません。」 さらりと嘘をつく萌志は、俺に向かって「シー」と人差し指を立てた。 いたずらっ子のような顔。 部活をさぼらせてしまうことに申し訳なくなってくる。 声を潜めて、萌志の制服の袖を引っ張った。 「萌志、サボんなくていい。 俺、待てるから…、……っ。」 スマホの向こうに明るく答えながらも、萌志は首を振って俺の手を握りしめる。 そして俺の顔をちらりと見て、『駄目』と口を動かした。 有無を言わせないようなその表情に口を噤む。 だって。 萌志は人に嘘をつくのが嫌いじゃないか。 俺のせいで弟との仲が悪くなって…。 俺のせいで萌志に嘘をつかせたのなら……俺は。 俺は————……。 「暁、終わったよ。 行こ。 ……暁?」 目の前で手を振られて、我に返る。 大丈夫?と首を傾げる彼に、曖昧に微笑んで俯いた。 駄目だろ。 こんな顔したら、また萌志が不安になる。 ちゃんとしないと。 萌志に嘘をつかせたりしたら、駄目だ。 俺が隣に立っていることが、いけないような気分になってくる。 怖い。 だから、萌志とちゃんと話さないと。 気持ちを奮い立たせて、顔を上げる。 「…大丈夫、なんでもねぇ。」 「……そう?」 カバンの紐を肩にかけなおして、歩き始める。 手は繋がれたまま、萌志を引っ張るようにして昇降口に向かう。 2人きりになれる場所。 俺はとある場所を思いついて、萌志を振り返った。 「萌志、いいところを思いついた。」 * キョトンと扉の前に立っている、萌志を手招く。 俺が連れてきたのは、寮。 本当は寮生以外立ち入り禁止なのだろうけど、確実に2人きりになれるのはここしか思いつかなかった。 受付のおっさんが舟をこいでいるのを確認して小走りでたどり着いたのだ。 「あんまし綺麗じゃねーけど……。」 ベッドの上の寝間着を丸めて、部屋の隅に放り投げる。 余計汚く見える気がするけどまあ、仕方ない。 きょろきょろと部屋を見ていた萌志は、カバンを抱えてちょこんと本棚の近くに座った。 「大丈夫なの?入っても。」 「いや、知らん。 たぶん駄目だ。」 「駄目なんじゃん?!」 大きな声を出しすぎたと、萌志は口を押える。 でも、大体の人は部活やら委員会やらでまだ帰ってきてないはずだから、そんなに心配しなくてもいいと思う。 いたとしても、まさか俺の部屋に来客があるとは思わないだろうしな。 「2人きりになれる場所、だったから…。」 「暁……。」 ベッドに腰かけると、スプリングが軋む。 隣に開いているスペースをぽすぽすと叩いた。 「そこ、床冷たいだろ。 こっち来いよ。」 「えっ?!いや、ベッドはさすがに……大丈夫。 俺はここで。」 ワタワタと手を振った萌志はカバンをぎゅっと抱きしめる。 でもそんな離れてちゃ、駄目じゃん。 断固拒否、といった様子の萌志に、少し溜息をついて俺は立ち上がった。 目を瞬かせる萌志の正面にドカリと腰を下ろす。 「萌志、話をしよう。 もっと、ゆっくり。 時間をかけて。」 萌志の腕から、そっとカバンを奪って横に置く。 そのまま、両手を握りしめた。 置き時計の秒針の音が部屋に静かに落ちる。 「………うん。」 萌志はゆっくり頷いて、俺の手を握り返した。

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