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第5話
ここに来た時にはぼさぼさだった髪も、雨に濡れて泥で汚れていた服も綺麗になった和秋は、人懐っこく笑いながら「来ちゃいました」と僕に言った。
いや、違う。来ちゃいましたなんて軽く来れる場所じゃないはずだし、そもそもどうして眞洋がまた連れてきてるんだ。意味が分からないと胡乱げな目で眞洋を見ると、困ったように肩をすくめた。
「ごめんなさいね。牡丹が、群青から話を聞いた方が早いっていうから」
「―――――人の子を、むやみに巻き込むのは賛成できないんだけど」
僕が件の「神足」について和秋に話してしまうのは、彼を巻き込むことになる。それは少し―――いや、だいぶ、かなり、抵抗があった。身なりの綺麗な彼は余計に月のようだ。月であり、太陽のようだ。まぶしくて、あたたかい。淀みのない人間を、無碍に巻き込んで汚してしまうのは、それは――
「…………群青、さん」
ぽつりと和秋に名前を呼ばれ、社の入り口の方に正座をして座っている彼に目を向けた。不安そうな、それでも、まっすぐな瞳だ。何かをもう、決めてしまっている人間の、それ。諦めでもなく、自暴自棄なわけでもない。
「うん。なに」
「―――教えてもらえるなら、教えて欲しいです。妹が無事かどうかだけでも、………お願いします」
「―――――――なら、約束を、して」
一拍おいてから、和秋に言葉を返した。
「約束、ですか?」
「そう。…………教えるから、ここにはもう来ないって」
これ以上、和秋が僕たちに関わるのは危険だ。特に僕や眞洋に関わってしまうのは、とても危ない。彼は人間で、僕たちはもう長い長い時間を生きてきた化け物だ。だから、彼を僕たちのような者に引き合わせてしまうのは、本当ならいけない事だし、あまり関わってしまうと、彼までが危なくなってしまう。
件の男に関して教えたら、もう二度とここには来るなと。僕は、和秋をまっすぐに見つめてそう告げた。
「群青さんにも、会えないってことですか?」
思いもしない言葉が返事として返ってきて、息が詰まる。この縋るような瞳は苦手だ。言葉が、紡げなくなる。
「え…?」
「群青さんと、もう少し話がしたいです」
「―――――――――は、」
◆
「――――そう。負けたのか」
「牡丹の差し金でしょ、これ」
「いーや。群青は人の子に弱いからね」
「同じだよ………大体、どうするの。あの子がこのままここに来るようになったら、」
あの子まで、あんなことに―――と、そこまで考えてはっと我に返った。
あんな事、って、なんだったろう。
夕刻、昼間の和秋に「負け」た僕は、訪れた牡丹に憎まれ口をたたいていた。
僕たちが人と関わるといい事がないって知ってるはずのこの鬼は、どうしてか人間が好きなのだ。と言うよりは、好ましい人間もいるのだと「知っている」と言えばいいのか。
「僕は人間に関わらない方がいいんじゃないの」
「そうは言っていないよ。お前がどう行動するかですべてが変わると言っただけだ」
何がどう違うの。僕が吐き捨てるように言えば、牡丹はそうだねと笑い、僕の前に座った。
「端的に言えば、生きるか死ぬかを決める。それだけだよ」
「なん、」
「命の話だけじゃなく、お前がどうするかだ。あの人の子は、良いきっかけになるんじゃないかな」
ざわりと、背筋から這い上がる感覚に目を伏せた。拳を握りながら、暗い空気に息を融かす。
僕には、踏み込まれたくない線がある。
それは誰にだってあるだろう。踏み込んできてほしくない部分。例えば自分の醜い感情だったり、過去だったり、そういう繊細で、かつ大事なところ。
それを、さらせというのか。僕に。そんな事、無理に決まってる。
「僕がどうして一人でいるのかなんて、知ってるくせに」
誰に言うでもなく零した言葉に、牡丹が肩をすくめた。僕だって、最初は人間が苦手なわけじゃなかった。それでも長く生きてきた中で、駄目になってしまった。諦めにも似た感情だ。何も期待なんてしない方がいいに決まっている。
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