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第16話
にこりと笑うその男は、確かに僕の知っている「神足喜三郎」だ。
メガネをかけて猫を被って人に取り入るけれど、その実、この鬼にとって人間はもう憎むべき相手でしかない。
男を目にした瞬間、和秋がわずかに息をのんだのが分かって、繋がったままの手を寄せる。
「ぐ、んじょ、う、さ」
なんの抵抗もなく僕の背に隠れた和秋は、手をにぎりかえしながら震える声で僕を呼んだ。
ーーー殺してしまおうかとも、思う。
和秋を不安にさせるものや、恐がらせるものすべて、壊してしまいたい。
「――そろそろかなと思ってました」
ようこそ、と僕に視線をよこす。背に隠れたままの和秋は、空いた手で背中の服をわずかに引っ張った。その手は、震えている。
ーーあぁ、本当に、
「………お前に聞きたいことがあるだけだから」
僕がそういえば、神足喜三郎がぴたりと動きを止め、かけていた眼鏡をはずし、着ている服の内ポケットへと仕舞うと、口を開いた。
「いけませんね、あなた方にはもう少しここに居てもらわないと困ります」
「……残念だけど、それはできない。お前の言う事を聞く義理もないし……質問に簡潔に答えてくれればそれでいいから」
ため息交じりに答えれば、チッと舌打ちが聞こえた。相変わらず短気だなと思いながら、僕は少しだけ和秋を振り返り、不安げに僕を見上げるその瞳を見つめ返す。
「その人間、助けたんですか」
「ーーーお前に関係ない」
「そうですか?……その割には、大事にしているようですが」
「お前には関係ないって、聞こえなかったの?」
僕の言葉に、神足喜三郎はにこりと笑う。
「確かあの時に殺したはずですが、ーーー生きているのは驚きました」
男の言葉に、和秋が息を飲むのがわかった。ゆるりと離れた手が、さっきよりも強い力で僕の背の服を掴む。
だから、和秋をここに連れて来たくなかった。この綺麗な月に影を差してしまいたくなくて、離れたのに。
このままじゃ、
――――愛してしまうとわかったから、記憶すら消したのに。
「ところで、いますよ。美夜さんなら」
会いますか?と言葉をつづけた神足喜三郎に、和秋が僕の背から離れ、男を見つめる。
「会わせて、くれるんですか」
まだ少し隠れたまま、震える声で目の前の男にそう尋ねた。そして、神足喜三郎は吐き気がするほどの笑顔で答える。
「構いませんよ」
中にいますから。そう告げた彼は、中へ続く扉を開いた。
「群青さん、」
「――――ごめん和秋。少しだけ、まって」
少しだけ前に出た和秋を制して、まっすぐに神足喜三郎を見つめる。
「――――――お前は、変わったの?」
小さな問いかけだった。
僕は、この男がどうしてこうなってしまったのか、その理由を知っている。だからこそ、一人の人間をずっと生かしておくなんて到底信じられたものじゃない。罠かもしれないし、そうじゃないかもしれない。だけど、確証がなかった。
「――――……美夜さんは、生きています」
困ったように笑い、神足喜三郎が肩を竦める。それを見て、僕は静かに和秋の背中を押した。
「っ、群青さん」
「行っておいで。僕は彼に話があるから」
◼︎◼︎◼︎◼︎
「………それで、お話とは何ですか?」
「簡単な話だよ。孕ませたねお前」
僕の言葉に、鳥居の近くまでやってきた彼の目が見開かれる。蜂蜜色の瞳が僅かに月明かりに揺れて、はは、と乾いた笑いが鼓膜を揺らした。
「おや、ばれましたか」
悪びれなくそう言った神足喜三郎は、そうですね、と言葉をつづけた。
「―――手放したくなかったもので。少し、強引になりましたが」
「呪われた子を孕ませたの?」
鬼と人の血は、決して交わる事はない。それがたとえ人から鬼に堕ちた身であっても、呪われている事には変わりない。死ぬ以外に術のない呪いだ。そして「死ぬことすら許されない」もの。
矛盾を孕んだ、酷く脆く、恐ろしい呪い。
「……それでも、」
神足喜三郎が山荘の方へを向き直り、もう一度僕に視線を寄越した。諦めの滲んだ瞳に、僕はただため息を吐いて、小さく「そう」と吐き捨てた。
「――――…なら、もう和秋に怪我なんて、させないでね」
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