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第17話
「貴方も存外しつこいですね」
「お前ほどじゃないよ」
ため息まじりそうに答えれば、神足喜三郎は服にしまっていた眼鏡を取り出し、腕組みをしながら困ったように口を開いた。
「ーーー…もう傷つけませんよ。美夜さんの家族ですから」
メガネをかけ、にこりと笑う。その胡散臭い表情から目線をそらした。
「なら、いいけど」
この男の様に、自らの腕にただ閉じ込めてしまうだけなら容易い。だけど、僕はそれを和秋にしてはいけない。和秋から、僕の存在をちゃんと消さなくちゃ。
そう思うのに、一度でも腕の中に入れてしまったあの体温を手放したくない自分も確かに存在していた。
どうすれば、一緒に居られるのか。その方法なんてわかりきっているけれど。
「(……それを、和秋に拒絶されたら)」
なら、せめてーーー
「ーーーーーあなたは、後悔している様ですね」
融け出しそうな思考回路をひきもどす様に男の言葉が鼓膜を揺らした。
ふと吐いた息が、煌々と光る花に吸い込まれていくような気がして、口を閉じる。
「その手で人を助けたこと、それ程までに恐れることですか?」
ふと笑い、小馬鹿にしたような声音が揺れる。
「お前は、憎んでいる人間を孕ませているじゃないか」
「おや、そうきますか」
「…………僕は、和秋が幸せであればそれで構わない。お前のように無意味につないだりしないよ」
僕の言葉に、男の瞳がわずかに開かれる。あぁ、しまった。すこし刺激しすぎたかもしれないなと短く息を吐いた。
「ーー怒らないでくれるかな。僕は何一つ間違ったことは言ってないよ」
「怒ってませんよ。ただ…………そうですね。彼が全てを忘れているのは貴方の弱さではありませんか?」
和秋の記憶は、確かにあの時僕が全て消した。この男の事も、僕の事も、この山の数日間も、全部。
◇◇◇
―――泣いている、声が聞こえた。
あの時の僕は、この世の終わりの様に聞こえた少女の泣き声に導かれたのだと思う。
その時分、春祭りは過ぎ去り初夏のじとりとした空気が満ちていて。社の空気を入れ替えようと重たい扉を開いた刹那の出来事だった。
「…子供の声…?」
この山で、子供の声なんて祭り以外で耳にする事なんてない。すこしばかり警戒しながら声の方へと向かうと、そこには小さな少女と、赤い髪の鬼がいた。鬼の足元には一人の少年が倒れている。真っ赤な血溜まりに、金色が、
「…お前それ、殺したの?」
思わずかけた声に、鬼が振り向きながら少年を足蹴にし、少女へと手を伸ばす。少女は驚いたのか、腕を掴んできたその鬼を見上げ、言葉を無くしたようにピタリと泣き止んだ。
憎しみに飲まれているのか、この鬼は、おそらく人間だったのだろう。けれど、今はその自我をのまれつつある。
この鬼は――――この男は、ふもとの村で最近結婚した男ではなかっただろうか。髪が赤くなっているとはいえ、その背格好や容姿には見覚えがあった。そうだ、つい最近この山の社で式を挙げていた、筈。
「……憐れだね。お前も、その人の子も」
血溜まりに倒れるその少年にはまだ微かに息がある。けれどもう、消える命だ。憐れて、可哀想な、小さなともしび。
「ーーーー…う、」
「……、」
僅かに身動ぎ声を漏らした少年に、身体が勝手に動いていた。
僕が動くと、鬼は少女を掴んだまま逃げて行ってしまった。けれど今はそれを追いかけるよりも、目の前にいる死にかけの少年をどうにかしなければ。そう思い、少年の傍に膝をつき首に手を当てる。
「(やっぱり、まだ生きてる…)」
「っ、」
びくりと動いたからだを撫で、小さく言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「大丈夫だよ。とって食ったりしないから。怖いことなんて、無かったんだ」
「っ、」
少年の傷を刺激しないように抱え直すと、また小さくくぐもった声が鼓膜を揺らした。
大丈夫、大丈夫だよと声をかけながら、社へと急ぐ。地面を汚す赤色が月明かりに反射していた。
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