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第18話
無駄に長く生きてきたお陰なのか、特に悩む事なく少年の手当ては終えた。
刀傷は背中にあり、おそらく少女を守ったのだろう。
「………はぁ。面倒だな」
あの人の子はどうなったのだろう。
恐らくは、殺されてはいないだろうし、この山であれば、牡丹がどうにかしただろう。
溜息を吐きながら、泣き叫んでいた少女を思い出す。
酷いことを、しただろうか。けれど、
―――――今になってみれば、ある意味では正しかった。
あの鬼は―――「神足喜三郎」は最初から少女しか見えていなかった。だから、少年を、和秋を斬ってしまったんだろう。
◇
「あの時、お前はあの少女を一度は手離したってことでしょ」
は、と息を吐きながら男を見返した。僕が予感した通り、この男はあの少女を一度は手離している。そして、時期をはかってさらった。
「貴方のおっしゃる通り、一度は手離しました。ですが、…………私に記憶を消すことはできないので」
「……そう、か」
と言うことは。
彼女は、自ら望んだのだろう。
この男と共に生きることを、望んで今ここにいる。それは、その結果は、きっと、和秋を酷く傷付ける事実だ。
事実を忘れていたって、彼女は「かつて自分を殺そうとした男」を選んだのだから。家族を捨て、俗世を離れて、それを選んだ。
「……僕は、お前のようには生きられない。どうなる結末なのかわかっていて、人の子の手はとれないよ」
「貴方は随分と、…………我慢強いようですが、貴方はそうでも、あの子は違いますよ」
「ーーーーわかってるよ。それぐらい」
和秋は真っ直ぐだ。真っ直ぐに生きている。汚れのない、綺麗な人間。迷いくらいあるだろうけれど、だけど、それを乗り越える力をちゃんと持っている。芯のある、人の子だ。
だからこそ、僕と居てはいけないのだと。
わかってる。そんなこと。
前髪をくしゃりと握り、目を伏せた。
わかってる。……わかってた。僕だって、忘れたままが良かった。二度と会わないままで居られればそれが一番いい事だ。
僕は人ではないし、人の感情のことはわからない。
ただ、和秋はーーー
「(ーーこんなのは)」
「美夜さんは、……貴方に感謝していましたよ。彼を助けてくれた事」
「…………馬鹿な人の子だね。僕は彼女を見捨てたのに」
「あの時の最善は、彼を助ける事だったのだと」
彼女もまた、和秋のように淀みのない人の子なのだろう。僕を恨んでいないなんて、おかしな話だ。
人は脆く、不安定で、すぐに壊れてしまうと言うのに。あの二人は、強くて、眩しい。
愛しいと、思ってしまう。
ダメだとわかっていて、手を伸ばしてしまいそうになる。
だから、はやくーーーー
「群青さん?」
「っ!」
急に和秋の声が聞こえて、ハッと我に返った。少し心配そうに僕の顔を覗き込んでくる和秋に伸ばしかけた手を止めて、
「もういいの?」
「あ、いや、確かめたいことが、あってーーー」
「確かめたいこと……?」
首を傾げた僕の頬に手を伸ばし、和秋がはにかんだ。あたたかい掌が触れて、息が詰まりそうになる。
「ーーーーーー…傷なら、平気、ですよ」
「…………そう」
小さく吐いた、言葉。
和秋から目を逸らせば、神足喜三郎はもう居なかった。
「――――思い出したの?」
「……いいえ、でも、俺の傷、群青さんが引き受けてくれたって」
それは、きっと神足喜三郎が彼女に教えたのだろう。和秋はそうしなければ死んで居たはずなのだから。
あの時、僕があの傷をうつさなければ、和秋は間違いなく死んでいた。
「群青さんの、腰にある桔梗は………俺の所為だったんですね」
「違うよ。和秋の所為じゃない。言ったでしょ?僕は死なないんだ。だから、あれくらいの傷なら僕に移した方が早い。君に傷がのこるよりよっぽどいいよ」
あの時は、それに今もその選択に間違いはないと言い切れる。だって、和秋の体に傷がないのは、いい事だ。
だけど、僕の言葉に和秋は表情を曇らせた。
「……でも、傷は消えないんですよね?」
僕の頬に触れていた和秋の手が離れ、今度は手を握る。僕は体温が低いから、とても暖かかった。少しだけ、震えるその手をぎゅっと握り返して和秋の言葉をまつ。
「俺の体に傷がないなら、群青さんにも傷はない方がいいです。死なないからって、それなら傷ついてもいいってことはないですよ?」
やっぱり。堪らなく、なる。
和秋は優しい。だから、僕のような奴の近くにはいちゃいけないんだと、より一層そう思った。だけど、手離したくもない。
「帰ろう。和秋。もう用は済んだでしょ」
花も咲き乱れて、煌々としている。ここは、僕たちにとって危ない場所だ。神足喜三郎が傷つけないと言ったって、ほかにここに住んでいる奴らには関係ない事だ。
「帰ったら、話、できますか」
「ーーーーーーそう、だね」
少しだけなら、大丈夫だろう。僕の心の決心が鈍らない内に手離してあげないと、本当に離せなくなってしまう。
帰りは、あっという間だった。僕が和秋を抱えて跳んだから。最初からこうすればもっと早かったのかもしれないけれど。
社に戻ると、あたりはもう真っ暗になっていた。このまま和秋を帰すのも心配だし、話をしたいというから取り敢えず一晩だけ泊めることにして、社の中に招き入れた。
眞洋には、明日服を返しに行こう。
「あの」
「うん。話、したいんでしょ?」
社内の燭台に灯をともし、和秋を座らせてから僕は取り敢えず着替えようと服を脱いだ。
「いいよ、話して」
上着を脱いで、ふっと息を吐いた。
「……群青さんと、もっといっしょに居たいです」
シャツのボタンを外しながら、聞こえた言葉に手を止めた。
「和秋」
「っ、迷惑を、かけてるのは、俺なのに、」
「和秋」
俯いて矢継ぎ早に言葉を連ねる和秋の前に膝をついた。そっと手を握って、大丈夫だよ、と伝える。
「……もっと、色んな話がしたいです。毎日、会いたい」
「それは、」
「俺、……群青さんに、迷惑ばっかりかけて、て、」
「和秋、ちがうよ。僕は迷惑だなんて思ってない」
「だったら…っ!また、会って、記憶を、消したり、しな」
和秋の言葉を、最後まで聞きたくなかった。
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