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第21話
◇◇◇
目が覚めたら、何故か病院にいた。真っ白な部屋に真っ白なカーテン。鼻に付く薬品の匂い。
小さい頃に、一度だけ体験したことのあるこの匂いが、俺は苦手だった。
「…………なん、で」
どうして病院にいるのかわからなくて、とりあえず体を起こしながら、辺りを見渡す。けれど、1人部屋のようで。
「ーーーー…あぁ、起きた?」
カタリと小さな物音と、聞き覚えのない声に目を向ければそこには白衣を着た見知らぬ青年がにこやかな笑みを携えて立っていた。
「おはよう」
「……おはよう、ございます……」
茶色い髪に、同じ色の瞳。整った顔立ちは中性的な印象を受けた。 彼はベッドの横に置かれていた椅子に腰掛けると、ふふ、と笑いながら口を開く。
「気分はどう?」
「ーーーー……普通、です」
「そう。どこか痛いところはある?」
「あ、いえ、大丈夫、です」
「ならよかった」
少し部屋を見回して、ふと首をかしげる。そもそも、俺はどうして病院にいるのだろう。怪我なんて、していないのに。
「……俺、なんでここに?春祭りに……行く予定だったんですけど……」
疑問をそのまま口にすれば、青年は困ったように肩を竦めて、
「春祭りなら、三週間前に終わってるよ」
そう、答えた。
三週間。
そんなはずは、ない。だって、昨日の夜に両親に行方不明の妹の無事を祈るために山に登ると話したばかりだ。その記憶は酷く鮮明にあるのに。
ーーどうして、
「あぁ、そうだ。自己紹介が遅れたね。俺は帆夏」
「帆夏、さん」
俺が名前を確認するように呼べば、帆夏さんがくすりと笑う。
「うん。ちなみに、明日には退院出来るから」
「…………あの」
「ん?どーしたの?」
椅子から立ち上がった帆夏さんを引き止め口を開くと、不意に頭が痛くなる。
「ーーーー…あの、俺何かーーーー」
何か、持っていなかっただろうか。何かとても、大切なものを、
「…………………………なに、か」
心に、ぽっかりと穴が空いた気がする。
首を傾げながら、帆夏さんから顔を逸らし、何でもないですと小さく呟いた。黒く塗りつぶされたような、そんな感覚だ。気持ちが悪くてたまらない。
「ーーーー…春祭り」
「へ?」
小さく帆夏さんが出した言葉に、俺は素っ頓狂な返事で答えてしまった。くすくすと笑いながら、目元を綻ばせた帆夏さんは、もう一度小さく「春祭り」と呟く。
「詳しい話は知らないけど、山のお社に祈りを捧げるんだっけ?」
「…そ、う、です」
「君は、なにを祈りに行く予定だったの?」
「ーーーー……妹の、無事を」
「妹………」
「行方不明に……なってて、それで、無事を……でも、…………?」
普通の会話だ。何となく、交わした言葉に違和感を覚えて首を傾げる。この違和感は何だろう。
「でも?」
帆夏さんが先を促すように聞いてきて、だけど言葉に詰まって口を閉じた。
「ーーーーーーーー…俺、」
一体、なにを。
ずきりと痛んだ頭に、思わず額に手をかざしてふっと息を吐いた。
「無理は、しないほうがいい」
ガラリと病室の扉が開き、赤い髪の男が入ってきた。前髪が長く、表情は読み取れないが白衣を着ているのなら医者なのだろう。
少しばかり低い声音が鼓膜を揺らし、俺は顔を上げた。
「…………むり、なんて」
していない。俺はただ、違和感が拭えなくて、気持ちが悪いだけだ。
「ーーーーーーーー思い出そうとしない方がいい。どうせ出て来やしない」
男の口調は半ば吐き捨てる様なソレだつた。全てを諦めている様な、声音。
出来ないって、なんだろう。俺は小さく息を吐いて、額にかざした手をおろし、しっかりと男を見つめた。
「無理に思い出そうとすると、心が壊れるからやめといたほうがいい」
単調で、低く、男は俺に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「…………でも」
この違和感は、なんなんだろう。
拭えない不安感と、焦燥だ。思い出さなきゃいけないはずなのに、まるで、最初から何もなかったかのようにポッカリとあいてしまっている。ストンと抜け落ちたそこが、真っ黒く塗りつぶされてしまっている。
「………………っ、」
あぁ、嫌だな。頭がいたい。
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