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第24話

「気をつけて行っておいで。それから、これを」 牡丹さんが俺に手を差し出し、受け取ると、それは小さな紙だった。黒色の、紙。なんだろうと首を傾げると 「今からお前が会うその環の持ち主に渡してくれ。私の名を出せばいいから」 そう言って穏やかに笑う牡丹さんに小さく返事を返した。 「―――――それから、」 「?」 「お前が気に病む事ではないよ。人の子」 「…………でも」 俺の記憶は、そしてこの環の持ち主は俺が今から会いに行く事で、嫌な想いをするのかもしれない。それでも、会いたいと……思ってしまうから 「―――――行きましょうか。和秋」 眞洋さんは立ち上がると、そう言いながらにこりと笑う。 「あ、はい。お願いします」 「あぁ、人の子。いいことを教えてあげよう」 歩き出した俺を、牡丹さんの声がひきとめた。 マンションを出てから少し先のパーキングで眞洋さんの車に乗り込んだ。 「少し距離があるから、こっちの方が速いわ」 「お手数おかけします…。あの、眞洋さん」 「あら、なぁに?」 「―――――望んでないって、おれ、何かしたんでしょうか」 なにか会いたくないと思うような事を、してしまったのだろうか。 この環は、その人に返した方がいいのか、それとも、俺が持っていても差し支えないからこのままなのだろうか。わからない。でも、さっき再会を望んでいないと言われた時、泣いてしまいそうだった。きっと、牡丹さんにはばれていただろう。  ―――正直、今だって泣いてしまいそうだ。でも、それが何でなのか、理由が分からない。 この環を目にするだけで胸が痛む理由だって、俺には―――――― 「いいえ、あなたは何もしていないわ。ただ、………臆病なのよ。手放してしまうことが正しいと思っているだけ」 ハンドルを握りながら、眞洋さんが幾分が低い声音でそう答えた。車は側道を抜け、人通りの少ない見慣れた風景へと移っていく。春祭りの社の山のふもとには意外としっかりとした駐車場がある。眞洋さんはそこに車を停め、はぁ、と息を吐いた。 「………その環の持ち主はこの上にいるわ」 シートベルトを外しながら、眞洋さんが俺に告げた。手が僅かに汗ばんでいるのを感じながら、ふと息をはく。やっぱり酷く胸が痛んだ。 「行きましょう。和秋」 「はい」  ◆◆◆ けもの道を歩いていく。少し古くなった階段を登り、暫くすると社が見えた。それは、山の頂上にあるそれとは全然違う、見たこともない社。その前に、一人の男の人が立っている。緑色の髪の――――― 「………群青、さん」 はじかれたように、知らない名前を呼んだ。それはとても小さく、だけど、 「―――――――和秋」 振り向いた彼が、俺の名前を呼んだから。 真っ赤な目を見開いて、ただ、見つめ返してくるその人に、俺は何を言えばいいのかわからなくて小さく息を吐く。 「ど、して……眞洋、まで」 「人の子の記憶をいじるのは、よくないわ。知ってるはずよ、群青」 「どうして、連れてきたの」 「―――……和秋が望んだ事よ」 眞洋さんが俺の名前を呼び、ポンと頭を撫でる。俺はまっすぐに群青さんを見つめたままだった。どうしても、言葉が出なくて。 顔を見た瞬間に、この人が「群青さん」だとわかったのに、どうしてわかるのか、どうしてこんなに泣きたくなるのか、分からなくて。 「……和秋を、連れてくるなんて」 「あなたが一方的にしたことに、この子が納得してないわ。………話した方がいいでしょ」 「…っ、眞洋には関係ないでしょ」 群青さんの声が、頭にただ響いていた。 聞いたことがあるような気がするのに、分からなくて、頭が痛くなってくる。 額に手を当てながら、浅い息を繰り返して、視界がぐらりと揺れる。 知っている気がするのに、真っ暗な闇の中にいるように思い出せない。声を、俺の名前を呼ぶこの人を、俺はーーーー 「っ和秋!」 聞こえた声は、思った以上に近かった。

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