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第25話
◆◆◆
「――――どうして、そんな事をしたの?」
僕が迷わず和秋に手を伸ばしたことで、眞洋はきっと僕の気持ちに気が付いたのだろう。訝し気に腕を組んでそう言葉を漏らした。
僕は気を失った和秋を抱き上げて、ほっと息を吐く。どうやら怪我はないみたいだ。
「……眞洋、このまま和秋を連れて帰って」
「だめね」
「――――だめって、」
眞洋はふっと息を吐くと組んでいた腕をといて、今度は腰に当てた。呆れた様に僕に視線を向けるとクスリと笑う。
「だって、大好きでしょ?和秋の事。貴方にその子を忘れるなんてきっと無理よ。私たちは………本能で選んでるんだもの」
「眞洋」
「記憶を消しても、きっとまた来るわ。それに、人の子の記憶を消すのは本来ならしてはいけないんだもの。牡丹も、戒だって、知ってるはずよ」
記憶を消すのは、原則であればしてはいけない。例外はなく、本来ならば。だけど、僕は和秋の記憶を二回消している。あと一回それをしてしまうと多分、人の子は精神が壊れてしまう。だからもう、これ以上和秋の記憶を消すことは僕には不可能だ。
それでも、
「僕は、和秋の傍にいるべきじゃない」
絞り出したような声音に、眞洋は呆れたように笑う。
「…………私たちは、普通の鬼とも違う。人でもなく、完全な鬼でもない。でも、化け物だろうと感情は同じだと思わない?」
「そこまで強くないよ。僕は」
「そうね。群青は弱いわ。―――――でも、私も人に助けられた一人よ。あの子は私を救ってくれたんだもの。和秋を信じてあげることはできない?」
困ったように笑う眞洋に、僕は言葉が出なかった。
信じる、なんて考えてなかったから。僕は、僕の勝手な感情で和秋を遠ざけた方がいいと思ってた。その方が和秋の為にもなるし、何より、僕が怖かったから。
一度、手に入れてしまえば失いたくない。ずっと離したくないし誰にも見せたくない。これは酷く愚かで滑稽な独占欲だ。こんな感情を和秋に向けるのは、和秋を汚してしまいそうで。
「僕は……和秋が好きだよ」
「そう」
「本当なら……離したくなんて」
ない。
このまま腕に抱いた和秋を離したくなんてない。
それでも、それができないのは僕の弱さだ。
だけど、和秋は
―――――あなたは、誰、ですか?ぼくを……助けて、くれたの?
「――――眞洋は、」
「なぁに?」
「強いね」
自嘲気味に漏れた言葉に、眞洋がそんなことないわよと答えた。僕は抱き上げたままの和秋に一度目を向ける。
「私だって、離れた方がいいと思ったもの。化け物である事実は変わらないし、人にも鬼にもなれない中途半端な存在なんだもの。でも、それを飛び越えてくるのが人の子だって、知ってしまったから」
僕も、知っている。
僕の予想なんて飛び越えてきてしまう人の子を。
和秋と最初にした、約束を。
「知ってしまったら、愛さずにはいれないのよ。私たち「化け物」は」
「…………そう、だね」
どうしようもなく、愛しい。
それは変えようがない事実で、でもとても怖い。
僕の本質は、あの「神足喜三郎」と変わらない。ただ、もう殺したくなくて、誰も壊したくなくて、この山に引きこもってたまたま和秋を助けた。それだけの「偶然の産物」だ。
忘れていたんだから、きっとまたすぐに忘れることが出来る。僕は、
――――大人になったら、ぼくがぐんじょうさんの家族になってあげる!
あの日交わした指切りを、和秋がもう覚えていなくても。
◆◆◆
小さな頃の記憶にも、僅かな穴があった。だけど、朧げに、思い出している部分もあって。それでも、ずっとわからなかった。
両親は、俺が小さな頃の事を話したがらないし、教えてもくれないから。ただ、数日間だけ行方不明になっていたんだと。けれど怪我一つもせずに帰ってきたんだと。それから、俺は小学校の帰りに短い期間の間だけ―――この山に来ていたんだと。
そして、階段から転げ落ち大けがをして、入院した。
でも、その記憶もない。入院していた記憶はあるのに、どうしてこの山に来ていたのか、何故大けがをしたのか、俺にはわからない。だけど、
「―――…あれ、俺……」
ふと目を開くと、天井が見えた。木造りのそれは、俺の傍で揺れている灯で影を伸ばしている。体を起こすと、まだ頭が痛かった。
「起きたの」
「……………ぐんじょう、さん」
「熱がある。だから、もう少し横になった方がいい。眞洋は帰したよ」
熱があるのか。だからこんなに頭がぐらぐらするのかと、また横になり、天井を見上げる。と、ふと牡丹さんから渡された紙を思い出した。寝たまま服のポケットに手を入れて紙を取り出すと、それを群青さんに向ける。
「なぁに?これ」
「牡丹さんから、渡すように言われてました」
「……………………そう。ありがとう」
群青さんがその紙を受け取ったのを確認して、俺はすぐに天井に目を向けた。この光景を、少し前に見た様な気がする。
「―――ねぇ、和秋」
ふと、声をかけられて群青さんに顔を向けると、赤い目が綻んで思わず目を奪われた。
「群青、さ」
「僕ね、その名前が嫌いで仕方がなかったんだ」
「え…?」
群青さんの冷えた手が額を撫でて、僅かに目を閉じる。
「大っ嫌いな……親の付けた名前なんて、呼ばれたくなくて。ずっとその名前が嫌いで仕方なかった。でも、」
そこで言葉を区切った群青さんを横になったまま見上げると、社内を淡く照らしていたろうそくの明かりがゆらりと揺れて、群青さんの赤い瞳が僅かに金色に融ける。
「君が呼んでくれると、少し好きになれるよ。この名前も」
「――――――――――――――…群青さん」
「うん」
「どうして、………俺は、あなたを見ると胸が痛いのか、分からないんです」
その名を口にするだけでも、心が苦しくなる。だけど、俺と群青さんの間にいったい何があったのか、分からない。わからないから、知りたかった。だってそうじゃなきゃ、ここからずっと動けないままだ。
「だけど、………俺は、きっと…」
――――望んでない。
そう告げた牡丹さんの言葉が頭でぐるぐる回って仕方ない。
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