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第27話
「……君には、敵わないな、ほんと……」
群青さんが諦めた様に呟き、指輪を握り込んだ手を、上から包む様に握った。
「ーーーー群青、さん?」
「ーーーー…戻してあげる。僕が消してしまった君の記憶を」
「……っ、ほんとに…?」
「でも、約束して」
またゆらりと群青さんの赤い瞳が揺れて、弧を描く様に中心から金色に変わっていく。
「僕はーーーー」
緑色の髪が、根元から銀色に変わっていくのをジッと見つめながら息を飲む。
空いた手を絡め取られて、その手を握り返した。ふっと息を飲むとさらに強く絡まる。
「君が思うより、きっとうんと我儘で、強欲だから、ね」
まっすぐ見つめる瞳に、そらせなくて息を詰めながら繋がった手の体温が溶け合うのを感じた。この感覚は、知っている。
「ーーーーだからお願い、僕から、逃げないで。和秋」
額が合わさったままで群青さんの睫毛が揺れた。溶け合った手をさらに握り込みながら、俺は小さく息を吐いて、
「大丈夫、です、よ。逃げようと思ってたら、俺いまここにいません」
わからないけど、それでも、自分の中の本能がこの人を離しちゃダメだと言っているから。だから、そんな不安そうな顔をしないで欲しいと。
「和秋、」
「ね?群青さん」
だから、俺に教えてほしい。
俺たちは、俺はーーーー
◇
吹き抜ける様な風に、少しだけ目を伏せた。
季節は、夏だ。今年は猛暑だと、朝テレビで女子アナウンサーが言っていたのを思い出した。
社へと続く階段を登りながら、樹々の間を抜ける陽にじとりと汗をかく。
「ーーーーあ、」
「いらっしゃい。和秋」
階段を登りきってすぐ、着流し姿の群青さんが出迎えてくれた。少しだけ髪が伸びた群青さんは布を被らずに外に立っている。それが少しだけ嬉しかった。
「……こんにちは。群青さん」
「うん。こんにちは。和秋」
赤い瞳が綻んで、俺もつられて微笑んだ。おいでと伸ばされた手をとって、社まで歩く。
「夏だね」
「ですね。今年は猛暑らしいですよ?」
「……和秋は暑いの平気?」
「うーん、そこまでは。でも、苦手ではないですよ?」
くすくす笑いながら、社の入り口につくと群青さんに抱き寄せられて泣きそうになる。
あの日、群青さんに記憶を戻してもらってから俺はグズグズに泣いてしまって、ずっと抱きしめてもらっていた。大学生になってから、と言うか、生きてきた中であんなに泣いたことはないかもしれない。
「ーーーー……わ、社の中は涼しいですね」
社の中に入ると、相変わらずひんやりとしていた。
「ここはずっと涼しいよ。冬場は暖かいし。過ごしやすいんだ」
「群青さんがずっとここにいるのも分かります。居心地、結構いいですよね」
「僕は、和秋がいればどこでも居心地はいいよ」
入り口を閉めると、ぼんやりと蝋燭がともる。群青さんはようこそと笑いながら俺の手を引いて、床に座るように促した。
俺が今日、ここにきたのは群青さんに会いたかったのは当たり前だけど、約束を、したから。
「……和秋、大丈夫?」
正面に座った群青さんの手が、頬に触れて、小さく息を吐いた。
「……少しだけ、緊張はしてますけど…大丈夫ですよ」
繋がった手をぎゅっと握り返して、微笑んだ。
「じゃあ、少し話そうか」
「――――は、い」
「ーーーー……これからの、僕と君の話だよ」
その言葉だけ聞くと、嫌な予感しかしない。それが顔に出ていたのか、群青さんはははっと笑って、大丈夫だよと呟く。
「…………僕は、君といたいから」
「!」
「僕の気持ちだけじゃ、難しい話なんだよ。だから、和秋にはきちんと話しておきたいんだ」
◇◇◇
僕の両親は、とても特殊だった。僕がまだ幼い頃に死んでしまったから、全てを覚えているわけではないけれど。
物心ついた時には、僕は大きな木の上にいた。背中に翼はないけれど、背びれと鱗はあったし、なんなら手だって水かきがあった。足は獣のように毛が生えていたし、髪だって信じられないくらい長くて。色々と混ざっていた。
龍ほど神聖なものでもなく、かと言って、そこら辺にいるような鬼とも違う。小さな頃の僕は、自分が何者なのかわからなかった。
ただ、首にはめられていた輪っかと、逃げないようにと繋がれた鎖が全てだった。
ようやく遜色なく人の子に見えるようになった頃には、そんなことも考えなくなっていた。僕は髪を短く切って、もうボロボロになって意味をなさない鎖をちぎり、人里に降りた。
だけどまだこの時、僕の見た目は人の子とひとつだけ違っていて。顔に浮き出た鱗。キラキラと陽の加減で色の変わるそれは、人の子にはないものだ。それに気がついたのは、人里に降りてすぐだった。
あの時の僕はーーーーとても臆病だけど、攻撃してくるものは全て敵だった。そして、何も知らなかった。
人間が、あんなに脆く、簡単に死んでしまうんだと。知らなくて、殺してしまった。
――――――僕はそれを、ずっと抱えている。
牡丹は「お前の所為じゃない」と言ってくれたけれど、殺してしまったのは僕自身なのだし、その事実は変わらない。だから、こそ、と言えばいいのか。だから、なのか。和秋が斬られていたあの時、助けるという行為には意味があると思った。
僕が、人の子を助けられるというその事実が嬉しかった。
―――僕は、人の子が好きだったから。
化け物だと罵られたって、石を投げられたって、どうしたって人の子が好きだった。
それでも、時代を重ねるごとに淀んで行く空気と人の心は止まらなくて、僕は人里に住めなくなった。そうして社に引きこもったのだ。
「鱗……」
ざらりと和秋の手が僕の頬を撫でる。剥き出しになった鱗は、光の加減で煌びやかな虹色になる。
「そう。僕は色々と混ざった化け物だ。今だって、きっと本質は変わらないし、君を傷つけてしまうかもしれない。それに、僕は今の人の子が出すあの負の感情の中では生きていけない」
だから、
「僕と一緒に居るには、君は俗世を捨てなきゃいけない」
真っ直ぐに見据える和秋の瞳は、相変わらず綺麗で、堪らなくなってしまう。
「ーーーー…俺、群青さんと一緒に居たいです」
「うん」
「指切り、したじゃないですか」
ーーー帰したくなくなっちゃうな。
ーーーぐんじょうさん、なら、指切り!
ーーー指切り?
ーーーうん!ぼく、大人になったらぐんじょうさんの家族になってあげる!
「君も、人ではなくなってしまうのに?」
「群青さんと一緒に居られるなら、人であることに意味なんてありません」
「同じ事、言うんだね」
指切りをした時、僕はこんな幼い子にはわからないだろう事を教えてあげた。僕と居るには「人を捨てなくてはいけない事」「印を刻むと、そこから成長が止まる事」
長い長い時間を生きる事。
きっと、両親の死に目にも会えない。家族を捨てる事になる。
和秋にはできればもう嘘はつきたくない。だけど、僕とは全然違う思考回路を持つ人の子の事は、いまだにわからないことが多くて。僕の存在が、僕と生きる事で和秋がいつか後悔するんじゃないかとか、そんな不安ばかりが襲う。
「一度、それを選んでしまったら、もう離せないんだよ?ーーーー…僕は、和秋を手放すつもりはないし、君以外の誰かに印を刻む事もない。でも、」
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