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第2話

 玄関を開けるときに襲い来る、湿った熱っぽい空気にやっと慣れてきた頃。中間テストまであと約2週間、それが終われば夏休み期間だが、その中間が本当に面倒臭いと郁人はもう何度目かわからない溜息をつく。  2限とはいえ学校がダルいと感じながらも講義を受ける義務感に屈し、結局今日も郁人は大学までの道を歩き出した。  目的地が見え始めると必然と人も増えだす。ほとんどが同じ大学の学生だ。その中に顔見知りを見つけると、郁人はその背中を追いかけていつもの好印象な笑顔を浮かべて背中を叩いた。 「おーはよ!」 「おう、はよ、千田。」  郁人が声をかけたのは同じ学科の西山だ。講義が被るとよく座席に並んで受ける仲である。郁人達は適当な事を喋りながら大学へ向かった。  門が見え始めたとき、西山がそちらを指差して郁人の方を向いた。 「おいあれ、橘だよな?」 「あ、ほんとだ……」  確かにあれは橘だ。門のそばに突っ立ってスマホを片手で弄っている。しかし、いつもなら既に講義室へ行き同じ講義を取る郁人を待っているはすだ。内心首を傾げながら、郁人は橘へ近づいた。 「弓弦?こんなとこで何してんの?」 「ああ、郁人、西山……」  目の前まで来た2人を確認すると、橘は乏しい表情筋を少し緩めほっとした表情を浮かべた。 「教室行かないの?」 「行くけど、最近女の先輩からの視線がうるさくて行きづらかったから。」 「ああ……」  呆れた相槌を打つ隣で、イケメン滅べという小声で吐かれた怨みごとが聞こえた。  橘はモテる。黒髪ストレートの短髪で高身長、頭も悪くなくスポーツ万能。おまけに俗に言うイケメンの部類なので、普通にその辺を歩いても目立つほどだ。女性に狙われるのも多く、高校が同じで3年間付き合いのある郁人にとってみればいつものことになっている。 「一緒についてくから、教室行こうぜ?」 「悪い、サンキュ。」  気にするなと答えながらも、郁人はちょっとしたことであっても橘に頼られることに嬉しさを感じていた。  講義が終わり、昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴る。西山は3限が無いので自宅へ帰っていった。残された2人はのんびりとした調子で学食へ向かい、既に長蛇を作る行列の最後尾に並ぶ。 「腹減ったー。何食う?」 「カレー大盛り。」 「ですよね、知ってた。」  橘は学食では大抵カレーばかりだ。高校時代も弁当になかなかの頻度でカレーが入っていたり、もはや身体の細胞がカレーによってできていると言っても過言ではない。 「そういうお前は?」 「照り焼きチキンとご飯。」 「お前それ、昨日も一昨日も食ってただろ。人のこと言えねぇ。」 「最近ハマってるだけだし。結弦クンと一緒にしないで頂けます?」  巫山戯た調子で郁人は続ける。 「あ、もしかして嫉妬しちゃった?」 「は?」 「俺いつも結弦に好き好き言ってたけど、最近照り焼きチキンばっかりで結弦のこと見なくなったから?大丈夫、ちゃんと結弦のことも見てるよ、好きだよ。」 「アホか、んな訳ねぇから。勘違い乙。」 「えー、つれないな、結弦クンは。」    語尾にハートが付きそうな勢いの郁人に、橘は冗談だと認識してあっさりとした対応を取る。この情景は高校時代からの日常だ。ある意味、郁人が望んだことでもある。こんな冗談の言い合いなど、いつものことなのだ。  その“いつも”の度に、郁人の心は軋んだ音を上げる。一つ一つは小さい傷でも、積もれば大きな痛みへ変わる。止まらない苦しみに嫌でも確認させられる想い。  ああ、今日も好きなままなのか。    あと何度、その“いつも”が過ぎたら、この苦しみを感じなくなるのだろう。        そんなことなど知らないと全てを覆い隠すように、郁人は“いつも”の笑顔を貼り付けた。

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