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第4話

「で、帰らねぇの?それともこのまま置いてくか?」 「あ、帰る。ちょ、待って。」  背を向け歩き出す橘のあとを、郁人は急いで荷物を持って立ち上がり追いかける。 「どっか寄る?」 「お前が寄りたいならついてく。」 「んー、じゃあ折角一緒だしどこか入るかなー。」  隣に並び行き先を探す郁人を、橘は少しの間見つめ再び前を向いた。  いつも通りの郁人がそこにいる。しかし、先程座っていた時の様子がいつもの郁人ではないことに橘は気づいていた。本当は声をかけるよりも少し前に郁人の姿を見つけていたが、そのとき遠目で見つけた時点で雰囲気がどこか違ったのだ。  いつもの郁人なら基本明るくて笑顔がトレードマーク、外見の魅力もあるが、性格も大多数に好かれる質だ。しかし芯は通っていて強気な部分がある。  だがその時の郁人は明らかにらしくない。携帯は机に放り出されたまま、頬杖をついて視線を落としたまま動かない郁人。仄暗い輝きをたたえ、どこかそこでは無い遠い場所を見つめている瞳。そして薄っすらと浮かぶ笑み。まるで何かを諦め悲しむように。皆に好かれる郁人など、影も形も見受けられない。  少なくとも橘の知らない、いや、触れることの許されない一面。  どうしてそんな辛そうなんだ。辛いなら俺にもそれを分けてくれればいいのに。  そう思う一方で、踏み込むことで何かが変わってしまう恐ろしさも感じていた。    これまでも同じようなことがあった。しかし、どうしたのかと何度も問い詰めるが、上手くはぐらかされてしまうのが常だった。  郁人には橘にさえ絶対に踏み込ませない“一線”がある。その事実は橘に大きなショックを与えた。  自分が一番信頼されている自信があった。もちろん郁人にも大きな信頼を寄せている。高校時代から一番長い時間をともに過ごす友人として、お互いを深く知り軽口を叩く、変に気遣うことも無い。楽しいことは共有し、悩みがあれば相談する仲だ。  容姿目当てで媚るように寄り付く人々に囲まれていた橘にとって、自分を含め誰にでも同じように接する郁人はとても気楽な相手だった。息詰まるような空間から郁人が自分を連れ出してくれた。    直接言ったこともない、顔に出したことも殆ど無い。だが橘にとって郁人は、心から大切だと思える“友人”だ。  だから自分も郁人が苦しい時は自分も力になりたいとずっと思ってきた。でも本人はそれを許してくれない。自分は彼にとってその程度の存在だったのかと絶望に似た落胆を覚えたこともある。  それでも放っておけず、今もこうやって一緒にいる。同じ大学になると耳にしたときは驚いたが、それ以上に心が浮き立った。これからも隣にいられることに大きな喜びを感じた。  郁人が超えさせない“一線”の向こう側を覗きたいという意思は変わらない。しかし、その“一線”の内側を知ったときの、何となく漠然とした不安があるのも事実だ。郁人があそこまで隠したがるのは、きっとそれだけのものなのだろう。打ち明けることが憚られる、不安定な何か。    その内側に触れるのは、少し怖い。それでも、どうしても手を伸ばさずに入られない。郁人を知りたい、理解したいという強い願望があるからこそ、より一層探りたくなってしまうのだ。  郁人のことに夢中で、自分自身が持つ異常な執着心には全く気が付かぬまま―― 「なぁ郁人。」  迷った末、最寄り駅近くのファストフード店に入り適当なものを頼んで空いているテーブルを陣取った。向かいに座る郁人が、フライドポテトを摘みながら視線を目の前の相手へ向ける。 「ん?何?」  先程の暗さなど欠片もなく、首を傾げこちらを見ている。橘はその顔をしばし見つめ口を開きかけたが、やがて瞼を閉じて息をついた。 「いや……、もうすぐ中間だけど、そろそろ始めろよ勉強。」 「……。」  しばし瞳を瞬かせた後視線を逸らし、ぼそっとしているが聞き取れる声で面倒くさいと零した。いつも郁人がギリギリになって慌てることを知っている橘は、早めにやれと頭を軽く叩いてやる。  複雑な心境を隅に追いやって、橘は再び他愛のないやり取りに身を投じるのだった。

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