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第5話

 中間テストまでまだ時間があるとはいえ橘に忠告を受けたこともあり、郁人は自宅でレポートから早めに片付けることにした。後々いつも痛い目を見るのは確かなので、ここは素直に従うのが吉だ。  勉強は大抵一人、もしくは西山といった同学部の友人等と集まることが多い。こうやってレポートに集中していれば余計なことを考えずに済むのだ。橘のことも頭から追いやることができる。だから橘と一緒にやることは無い。過去に誘われたことはあったが、気持ちを自覚して以来どうしてもという場合以外は多くを断ってきた。それを繰り返したためか誘われなくなったことが、自分が仕組んたことであるにも関わらず寂しいと思ってしまう。  郁人は今更だと思い直し、自前のノートパソコンに向かった。  集中に集中を重ねた結果、予想以上に捗りテスト勉強に余裕を持つことができた。初めての大学で受ける大きなテストでわからないことが多いので、念入りに復習する時間があるのは助かる。まさか橘はここまで見越していたのかと思うほど、何もかもが上手くいった。高校のテストのときも橘に言われて早めに準備を始めたら、思ったより良い結果が継続したのを思い出す。自分をよく理解してくれているのが、何だかこそばゆい。 「アイツ、エスパーかよ……」  思わず言葉とともに苦笑いが浮かんだ。  その後のレポートとテストも順調に進み、ようやく今日、最後のテストが終了した。残りはレポート一つとなり、一気に身が軽くなった。  橘のほうはしばらく顔を合わせていないので様子はわからないが、彼の頭なら恐らく順調だろう。先程テスト後は会えるかSNSで聞いたら、テスト終わりまで止めていたバイトが今日からあるらしい。久しぶりに二人で会う時間ができると思っていたが、これでは仕方がない。しかし家に帰るにはもったいない気がして、だからといって他の奴を誘う気にもなれない。 「寂しく独りでどっか行きますかー。」  独りでも圧力からの開放感から足取りは弾んだ。大学を出て賑やかな駅周辺の通りに向かい歩を進める。平日でもそこそこ人通りのある街中を歩いていると、突如背後から肩を叩かれる。歩みを止め振り向くと、面識のない男がへらっとした様子で立っていた。背丈は郁人より少し高く、髪は茶髪でピアスを幾つもしていてチャラい。歳は同じぐらいに見えるが、本当はもっと年上かもしれない。 「君、千田郁人君、だよね?」 「あ、はい、そうですけど……」  名前を言い当てられ、思わず眉をひそめ一歩後退る。明らかに警戒されているのに、目の前の相手はそこまで気にした様子はない。それどころか、郁人の全身を舐め回すように視線を巡らせれば笑みを深めた。 「突然ごめんね。俺さ、同じ大学の加藤っていうんだ。今時間ある?良かったら俺に付き合ってくれないかな。すぐそこなんだ。」  加藤?誰だ、全く知らない。時間は沢山あるが、どう考えても気味悪く怪しい人物に割く時間などない。  実は以前にも何度か似たような誘いをかけられたことがある。その中の一人はかなり強引で、郁人の腕を掴み半ば無理やり引っ張られた結果あと少しでラブホに連れ込まれるという危機一髪な経験をした。その時は本気の体当たりを食らわせなんとか逃げることができたが、あんな体験もう懲り懲りだ。  一体、俺みたいな奴を連れ込んでナニするつもりだよ。誰が大人しくついていくか。 「すみません、結構です。時間無いので……」 「そんなこと言わずにさ。ちょっとだけでいいんだ。」  断ったのに加藤という男はしつこく食い下がり、今度は肩に手を回してきた。 「ちょ、何するんですか!」 「いいからいいから。大人しくしていればすぐ終わるよ。」  信頼性など欠片も無い言葉を無視して腕から逃れようとするが、力を込められがっしり掴まれてしまう。必死に抵抗するも力が強くてうまく抗えず、逃げることもできない。  格好の獲物を手に入れたとでもいうようにまとわりつく、下品で不躾な視線。  気持ちが悪くて、怖い。 「くっ、やめろ!離せ!」 「やめなよ、嫌がってる。」  恐怖で叫んだその時、肩にかけての圧迫感が消えた。驚いて顔だけ振り返る。腕を掴まれている加藤が訝しげに自身の横方向を睨む姿が目に入った。開かれた口からさっきよりワントーン低い声が発される。 「何だよお前。」 「彼の連れ。」  郁人はそれが向けられた方へ更に顔を徐々に向ける。そしてその姿を目にした瞬間、さらなる驚きが郁人を待っていた。  加藤の腕を掴んでいたのは、郁人にとって思わぬ人物だった。  秋月陸。  郁人と同じ高校の先輩であり、郁人にとって忘れられない人物。相変わらずその儚い雰囲気を湛えた美貌は健在のようで、すれ違う人間はチラチラと目を向けては見惚れている。  その彼は優しげな笑みを浮かべ美しい―と思ったのは一瞬で、冷たく輝く瞳は笑っていない。  加藤は何かを見定めるように秋月を見つめると、厭らしく笑い彼に向き直った。 「ふーん……あんたでもいいや。あ、それとも二人とも一緒に来る?その方が二人としては楽しいだろうし、問題ないよね?」  瞬間、空気が一気に凍りつく。  眼光に鋭さが増した秋月が郁人の腕を掴み引き寄せる。そのまま郁人は秋月の両腕に包まれた。 「断固拒否、問題ありまくり。行くわけないから、お前みたいな汚い奴等と一緒で楽しいわけがない。何より――」  そこで一度言葉を止めると、腕の中に収まる郁人の頬を色っぽく撫でた。 「愛おしい彼の最高に可愛い姿なんて、他の奴に見せるわけないじゃん。独り占めしたいに決まってる。」 「っ!?」  流石に意味がわからない郁人ではない。  何言ってんだこの人!  言っておくが、郁人と秋月は恋人という甘い関係では断じてない。だが、まるで恋人のような恥ずかしいセリフに思わず頬を赤らめてしまう。傍から見れば今の二人は明らかに仲睦まじいカップルだろう。  秋月はついに笑みを消して加藤を睨みつけた。 「早く消えなよ。目撃者も多いだろうし、これ以上大きな騒ぎになったら流石に不味いんじゃない?」 「……クソッ。」  苦々しい表情で舌打ちを漏らし、加藤は大人しく引き上げていった。

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