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第一章 一
「葉山プロモーション」は芸能事務所である。現社長の葉山寛が人気女優だった妻、上崎彩乃と立ち上げたもので、七、八年前までは小さいながらもテレビでもたびたび姿を見るタレントが数名所属する、名前の知られた事務所だった。しかしその妻が亡くなると、タレントは次々と大手に所属を移し、転落の一途を辿った。
結果、葉山社長の“怖いお友達”の縁もあって、AV事務所へと成り下がったわけである。
「はい、そこ。そこ間違いな。ここはAV事務所ではありません」
人を待ちながら、社長が留守なのをいいことに、これまでの事務所の仕事を振り返り、そして先行きの不安について飯塚と話していた。
「俺が来てからAV以外にまともな仕事ありましたっけ!?」
「ありましたー。椿が担当してる子が売れてなかっただけですー」
「この事務所で一番売れてんの志岐じゃないっすか!」
椿が社長に志岐のマネージャーになるように言われたのは昨日のこと。今日は事務所で、飯塚とともに志岐の到着を待っていた。
椿由人はこの芸能事務所の社員として働いている。社員の中では一番年下ということで、よくこの飯塚にはからかわれていた。
飯塚は三十代後半だが、無精髭がよく似合う所為でさらに年を食って見える。童顔であることを気にしている椿は、そんな飯塚を見て自分も髭を伸ばそうかなと考えたこともあったが、飯塚には鼻で笑われ、社長には必死に止められた。
そして椿が今待っている相手。
志岐天音(しきあまね)はこの事務所で一番売れっ子のAV男優である。主にゲイ向けのAVに出演していて、その中性的な顔、あどけない雰囲気が受けていた。
椿とも面識はある。しかしどちらかと言えば嫌われていて、椿もまた、志岐のことは苦手だと感じていた。
「どうしても俺じゃなきゃ駄目っすかね」
「社長命令」
「へい」
「だいたい、椿はAmeのファンだろ? だったら志岐のマネージャーなんて嬉しいんじゃないのか?」
「そんな単純な話じゃないんすよ……」
「憧れのアイドルと同じ顔! いいじゃん」
「Ameはアイドルじゃないっすよ!」
「あーはいはい」
Ameというのは、椿が十代の頃に夢中だった歌手である。そのAmeと、志岐の顔が似ているのだ。とはいえ、Ameは引退した時十七、八歳で、今志岐は二十二歳。年齢的にも瓜二つというわけはないのだが。
しかしその大好きな歌手と同じ顔の男がAVに出ているというのは、椿を非常に複雑な気持ちにさせた。
そして椿のAme好きは志岐も知ることで、どうやらそれが気に入らないらしく、元々決して愛想のいい男ではないが、椿には特別無愛想だった。
「おはようございます……」
ぼそりと、小さな声が聞こえた。
その声で椿がドアの方に視線を上げると、志岐天音がこちらを睨むように見ていた。
「おーい、椿。志岐目ぇ悪いだけだからな。今日コンタクトしてねえんだろ。応戦しようとすんな」
「あ、つい」
「ついじゃねぇ、元ヤンキー」
「それ言わないでください」
「志岐―、こっちだ」
志岐は相変わらずの無愛想っぷりで、表情を何一つ変化させることなく椿が座るソファにやってきた。飯塚が向かいに座るように促すと、ぼんやりと従っていた。
「荒木さんが辞めたって話は聞いたか?」
「まあ」
飯塚の言葉に、志岐はぼそりと答える。
荒木は志岐のマネージャーを三ヶ月ほどしていた。志岐と荒木が特別上手くやっていたという印象はなかったが、仕事には真摯に取り組む人だった。そんな人が辞めたというのにこんな反応しかみせないことに、椿は眉を顰める。志岐は愛想がないというより、感情が薄い。
「で、次の担当椿な」
「椿由人です。よろしくお願いします」
飯塚の簡潔な紹介に従って、挨拶する。志岐は椿の前で初めて目を丸くさせ、表情を崩した。俯いていた顔が上がり、椿はその顔を真正面に見ることになる。
女のように白く滑らかな肌。大きな二重のアーモンド型の瞳。小さな顔にかかる、ミルクティー色の柔らかな髪。さくらんぼ色のふっくらとした唇。細く、椿から見たら折れてしまいそうな喉が震え、男のものにしては高い声を出す。
「な、んで椿?」
「社長命令」
「……社長は?」
「今日は出張」
「……」
葉山社長に直接話して自分を代えさせるつもりだなと、椿はすぐに思いあたる。椿も散々嫌がっていたが、こうも相手に拒否されると、逆に引きたくなくなる。
「志岐、俺も志岐もいい大人だ。ここは一つ我慢して、」
「Ameオタクは嫌だ」
志岐は椿の言葉を遠慮無く断ち切る。
「ああもう。これは社長命令。変わることはねえ。二人とも諦めて仲良くやれー」
飯塚は面倒くさくなったのか、立ち上がって自分のデスクに行ってしまった。
志岐が深い溜息を吐く。椿だって溜息を吐きたいところだったが、ここは志岐よりも三つほど年上の自分が折れなくてはと、もう一度頭を下げた。
「よろしくお願いします」
それを見て何を思ったのか、ややあって志岐も頭を下げた。
「よ、よろしく」
「俺は確かにAmeが好きだったけど、それと志岐を混同して見たりするつもりはありません。仕事として、志岐のマネージャーを務めたいと思っていますので」
これだけは言っておかなくてはならない。
椿の強い意志を感じたのか、志岐は素直に頷いた。
「わかった」
しかしそっぽを向いて、わずかに口を不満そうに尖らせている。
こいつ、ガキだなあ。
椿はもう腹を立てることもなく、志岐の様子を呆れて見ていた。顔は十代に見える。幼いからというより、中性的で青年というより少年のような印象を受けるからだ。しかし、もう成人しているいい大人だというのに。
「椿、志岐がガキだと思ってるんだろー。お前も十分ガキだからなー」
自分の仕事を始めたと思っていた飯塚が、デスクからニヤニヤとした笑顔を向けてきて、微かに苛立った。
「ほらそれー。そうやってすぐ人睨むー。そういうとこガキだって。椿ちゃんはあ」
「わかりました! 気をつけます!」
「俺もう帰っていい?」
「志岐……お前はどこまでも俺に関心がないのか……」
「え、ああ、なんだっけ」
悪気はなさそうな物言いに、椿は上手くやって行けるのかなと不安になった。
「もうちょい歩み寄ってやれよ、志岐ー」
飯塚が苦笑しながら言うが、それも志岐には通じていないようで、軽く首を傾げていた。
……不安だ。激しく不安だ。
しかも、椿はAVの担当をしたことがない。志岐のこれまでの仕事見て、AVの担当をやったことある人に話を聞いて色々勉強しなければならないと、内心焦っていた。
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