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第一章 二
◇
その翌週、椿は初めて志岐の仕事に同行した。ゲイ向けの雑誌の撮影だ。
薄く化粧をされた志岐は、漫画か何かから出てきたかのように、浮世離れしていて綺麗だった。
志岐の仕事はゲイ向けのものがほとんどなのだが、最近はこの二次元の存在のような志岐が、一部の女性に受けているらしい。志岐が出ている雑誌は、女性が買うことも多い。今日の撮影も、そうした女性もターゲットにしているように思われた。
「人形みたいだ……」
椿は思わず呟いた。
椿は撮影を動きまわるスタッフの邪魔にならないように、少し離れたところで見ていた。
綺麗に着飾られて、真っ白い部屋の真っ白いベッドに横たわる志岐。薄く、動くたびにふわりと揺れるレースのベビードールを身につけ、淡い桜色の花の髪飾りで短い髪を華やかにしている。下半身の膨らみは、よくも収まるものだと不思議になるくらい華奢な下着に隠されている。
「うわー綺麗だねー。こりゃ女の子狙いにいったなー」
すぐ近くの背後で声がして、椿は驚いて振り返る。志岐に見入っていたから、真後ろに立たれていることに気がつかなかったのだ。
「志岐のマネージャーさんだっけ?」
「あ、はい。新しく志岐のマネージャーになりました。椿です」
志岐のメイクをした男だった。金髪にいくつもピアスを開けた、軽薄そうな人間に見える。
「へえ。志岐と同じくらいに見えるけど?」
何のことかわからなくて椿は眉を寄せるが、もしかしてとさらに眉間の皺を深くする。
「年がですか?」
「うん。二十歳くらいに見えるけど?」
「俺は二十五です」
志岐は幼く見える。その志岐と同じくらいに見えるとは……
「えー、マジ? 年上っすね! 俺吉野でっす」
なんて軽い奴なんだと、呆れる。
「俺志岐に会うの二回目―。前回は素っ裸で男と絡みもあったけど、今日は綺麗でいいっすね!」
「はあ」
椿には何が「いい」のだか、さっぱりわからなかったがとりあえず返事をする。
その時、カメラマンから志岐に指示が入った。
「誘うようにカメラ見て」
その声で椿は志岐に視線を戻す。志岐は起き上がり、シーツの上に女の子のようにぺったりと座る。そのままわずかに顔を上げ、上目遣いにカメラを見た。口角を上げた志岐に、吉野がひゅうっと唇を鳴らす。
……初めて見た志岐の笑顔は、人の欲を煽るためだけの、心のないものだった。
「あれって、魅力的って言うんですか?」
思わず、口から零れた。それを拾った吉野は、志岐から目を逸らさずに答える。
「じゃないっすか? 椿さんの言いたいことわかりますよ。あの子作り物っぽいってことでしょ? そのお綺麗な感じがいいらしいっすよ」
作り物っぽい。その通りだ。
笑っている志岐を見て、椿の胸はなぜか傷んだ。
あの子と同じ顔をしているのに、あの子とまったく違う笑顔を浮かべるから。Ameの笑顔は、見ているだけで椿を元気にした。歌声だけではない。その表情にも、椿は幸せをもらえた。しかし、志岐の笑顔を見てもそんなものは湧かない。
胸が軋んだ。
「馬鹿みたいだろ。こんな格好」
控室に戻った志岐は、ベビードール姿のまま椿を振り返った。目のやり場に困ってしまうが、目を逸らしても失礼な気がして、志岐を見つめたまま答える。
「……こういう仕事、嫌なのか?」
「別に」
志岐は撮影のときに見せた表情を消す。なぜ、馬鹿みたいだろと椿に尋ねたのかはわからなかった。
「別にっていうのなしにしねえ? それじゃいつまで経ってもお前の考えてることわかんねえよ」
「わかんなくていいだろそんなの。ちゃんと仕事してれば」
そう言って、志岐は衣装を脱ぎだす。
「衣装の人呼んで来るか? 一人で脱げる?」
ひらひらしたレースがどこかに引っかかりそうだと思った。どうやって脱ぎ着してるのか不思議だった。
「平気。こういうの着たこと、前にもあるから」
「そう」
「なんだろうな。ゲイ向けなのに女装みたいなのさせて。意味わかんないよね」
椿とまったく話す気がないというわけでもないらしい。椿は志岐が着替えている間部屋を出て行こうとしていたのだが、引き留めるように話しかけられたため、ドアノブを握っていた手を離して振り返った。
「出てなくていい?」
「なんで? 俺男だし関係ないだろ」
そういうものなのかと、椿は納得する。 本人がそう言うならいいか。せっかく少しだが話をしてくれているのだし。
「椿は引かないのな。こんな格好の男見ても」
「え? マネージャーが引いてどうすんだよ」
「荒木さんは引いてたよ」
「……辞めた理由に心当たりあんの?」
「あるよ。スカ見たんだよ」
「は?」
「スカトロ。わかる? 俺うんこ食った」
わかる。わかるけど。
椿にとってその言葉は、日常で使われるものじゃない。どういうものか知識として知ってはいるが、想像まで及ばない、どこか遠い世界の言葉だった。
「見てることなかったのにな。受け付けないなら見なきゃいいのに。椿も、見ない方がいいよ。別に俺一人で現場行っても平気だし」
シャツを羽織り、化粧を落とす。それでも志岐はやはり一般人とはかけ離れた美しさを持っていた。肌は素肌である方が透明感が増す。唇の色彩は淡いものになるが、その分儚さを色濃くし、志岐の魅力となっていた。
「衣装、持ってってくれる?」
今度は確実に、部屋を出るように促されたのだとわかった。志岐が引き止めたのは、それを言うためだったのだ。仕事に着いて来るな。自分に踏み込んでくるな。それを言うためだったのか。
荒木はアイドルのマネージャーになりたがっていた。アイドル好きだからという、不純といえば不純な動機ではあるが、それでも夢を持って事務所に来たのだ。それが志岐の仕事をする姿を見て、削がれてしまったのだろうなと椿は思う。仕事を投げ出したことは許せない。
しかし、その気持ちがわかってしまった。人形のような志岐を見ていたら、嫌でも理解してしまう。いいように要求に答えて、一切自分を出さない志岐に、悲しみや痛みを、募らせたのだろう。
志岐は綺麗だ。だけど、その美しい姿をみたところで幸せな気持ちになどならない。胸が締めつけられるだけ。
椿は、ぎゅっと自分の手を胸の前で握った。
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