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第一章 三
◇
「いやいや~。そんな気持ちになんのはお前がAmeオタクだからだろー」
雑誌の撮影の翌日、飯塚に前日の話をすると、鼻で笑われた。
「荒木は単に可愛い子のマネージャーになりたかったのに男の担当になってふてくされただけだろー」
「そういう人じゃなかったでしょ!」
「そうだっけ?」
駄目だこのおっさん何も見てねえ。椿は半ば睨むような視線を飯塚に向ける。それを向けられた飯塚は、苦笑した。
「まあまあ椿。志岐が言うことにも一理あるよ。辞めるくらいなら無理して見る必要はねえよ」
「でも俺の仕事なのに」
「仕事だろうと生理的に受け付けるもんとそうじゃないもんがあるだろうが。……見たんだろ? 志岐のDVD」
昨日帰ってから、椿は志岐の出ているAVをいくつか見た。なぜそれがバレるんだと疑問に思う。椿のそんな疑問を感じとったのか、飯塚は一つ溜息を吐いてから教えてくれる。
「顔色悪い。どうせ徹夜で見てたんじゃねえのか? 椿ちゃんは真面目だからねー。元ヤンなのに」
「元ヤン関係ないっすよ」
平気な風を装っていたのに、精神的、肉体的疲労を見事に見抜かれ、社長に報告までされてしまった。仕事もないから午前中の間は休んでいていいと社長に言われ、椿はソファに横になった。
社長にも飯塚にも甘やかされてると思う。二人に限らず、事務所の人間は皆、椿のことを子ども扱いしていて優しい。普段はそれに甘えないようにしているが、今日は辛くて甘えてしまった。
昨日、志岐のAVを見た。やはり生気は感じられなくて、作り物のような表情を見せていた。あげる嬌声さえも、きっと要求されるままなのだろう。ネットの評価にはそんなことは書いておらず、そう感じるのは自分だけなのかと椿は不思議に思った。
「椿君」
気がつけば昼過ぎで、さすがに寝過ぎたと慌てて飛び起きる。どうやら皆出払っていて、事務所に残っているのは椿と葉山社長だけのようだ。椿が起きたのを見て、社長はソファを離れてコーヒーメーカーにカップをセットしていた。
「すんません!」
「いいよー。慣れないことさせてるからね」
体力だけはあるから、普段こんなことはない。甘え過ぎてしまったことに後悔して俯いていると、社長が労るような声をかけてくれる。
「精神的に、キツかったかな?」
「あ、いや……はい」
志岐のAVの中には、ハードなものもあった。見ていられないようなものも。志岐が、仕事の翌日動けないことがたまにあった。それはこういうことをしていたからなのだとわかった。
「天音は何か言ってたかい?」
「いえ……あいつ俺に『別に』しか言わないんで」
「椿君に限ったことじゃないよ。あの子は誰にも何も言わないからね」
志岐は椿が二十歳でこの事務所に就職してから三年後、志岐もまた二十歳のときにここに来た。この近辺で売りをやっていた志岐を、社長がスカウトしたらしい。以後、社長が親のように面倒を見ている。社長に面倒みてもらっているというのは、椿も同じだ。
その社長にも、何も言わないのだろうか。
「社長にもですか?」
「うん。AVの仕事を辞めさせるなら、また売りをするって言ってね。それだけは譲らない。そこだけ意志を見せるけど、それ以外のことは、あの子は何も言わないよ」
これまでどうやって生きてきたのか。何を思って生きているのか。これからどうしたいのか。すべてがわからない志岐。
「椿君は年も近いからね。もしかしたら天音も心を開くかもしれないと思ったんだ」
「あー……それはどうでしょうね……俺あいつに嫌われてますからね」
世話になっている社長の期待には応えたいが、昨日のあの調子を見ていると、歩み寄れる気がしない。椿が歩み寄るつもりでも、踏み込めば踏み込むほど避けられる気がする。
「まあ、気負わずに頑張ってみてよ。僕にとっては椿君も天音も息子みたいなものだからさ。仲良くしてほしいんだよ」
コーヒーを渡され、椿はその温かさに息を吐く。
「……頑張ります」
そう答えると、社長は目尻の皺を深くして微笑んだ。
◇
葉山寛は仕事ができる有能な人間とはいえなかった。人が良く、温厚で騙されやすい。元は女優・上崎彩乃のマネージャーをしていたが、上崎彩乃と結婚。その後事務所を独立している。
上崎彩乃は女優として地位を築いていただけでなく、経営者としても才を発揮した。だから彼女がいた頃は、事務所は次々と仕事を受けることができていた。
しかしその上崎彩乃が亡くなってから、社長は信じた人に何度も騙され、陥れられ、椿も知らない色々なことがあって、ここまで落ちてしまった。AVの仕事を受けるようになったのは、見かねた社長の怖いお友達が、手引きしたかららしい。(そこら辺は深く知らない方がいいと、椿は飯塚に言われていた)
そんな葉山社長だが、椿は尊敬している。人柄に憧れている。
──だから。
◇
「なんで家にまで来るわけ? っていうか場所知ってたの?」
「あー、社長に聞いて」
「そのスーパーの袋は何?」
「夕食をともにしようかと」
「帰れ」
志岐がドアを閉めるだろうと予測していた椿は、閉じようとするドアの隙間に素早く足を差し入れた。志岐はそんな椿の行動に驚いたのか、ドアを引く力を緩める。その瞬間思い切りドアを開き、身体を滑り込ませた。
事務所からの帰り道、自転車をスーパーまで走らせて食材を買い、そのまま事務所近くの志岐のアパートに向かった。
社長に言われたのもある。
しかし単純に、昨日見た志岐の身体があまりにも華奢で弱々しく見えた所為もある。ちゃんと食事をしているのかと心配になったのだ。一人暮らしだし、あまり料理をしそうにも見えないから。
なんとか部屋に上がったものの、志岐は大層立腹している様子だった。
「椿がそんなお節介な奴だとは思わなかった」
「ですよねー」
椿ももちろん、志岐の食事を作りに突撃することになるなんて思わなかった。自分がそんなに世話を焼くとは。
「普段何食ってんの?」
「適当に」
「だーかーらー、そういう答え方されると何もわかんないだろって」
「だからわかんなくていいって言ってるだろ」
なんだこいつ。どうでもいいって面しつつ、変なとこ頑固だ。
椿は溜息を吐いて、食材を持って台所に向かう。
「……何? 椿作るの?」
「おう。キムチ鍋だ」
「作れるの?」
「俺も一人暮らしだから。難しいのはできないけど鍋くらいなら作れるよ。キッチン借りるなー」
「勝手にしろ」
志岐はそう言って部屋に引っ込んでしまった。
……ちょっと強引過ぎたか。椿は手を止めて少しの間反省し、それからよしっと小さな声を出して気合いを入れ直した。
作り終わって声をかけると、志岐はその食欲を唆る匂いに我慢できなかったのか、素直に食事の準備を始めた。食器は最低限のものしかなかったから、椿はタッパーに白米をよそって食べることになった。鍋敷きなどももちろんなかったから、適当な雑誌を敷いてテーブルに鍋を運んだ。
「おいしい」
一口食べて、志岐は目をぱちくりとさせた。椿の作るものが自分の口に合うとは思わなかったのだろう。
「だろ? キムチをそのまま結構な量入れてんだ」
「キムチ鍋の元とかじゃなくて? 俺辛いの好き」
志岐が辛いものが好きだというのは、社長に聞いていた。肉も野菜もとれるだろうと、キムチ鍋にしたのだ。
志岐は思いのほかよく食べた。一生懸命食べる姿は子どものようで、普段のすましている志岐とは別人に見えて不思議だった。食べているときに人は無防備になるというが、本当かもしれない。志岐のあれだけ厳重に張られていた警戒心が、緩んでいるように見える。
「普段何してんの?」
「本読んだりとか」
質問にも答えてくれることに、感心した。食事の力とはこれほどのものかと。
しかし、本を読むとか言うわりに、キッチンとは別に一部屋しかない志岐の部屋に、本は見えない。
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