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第一章 四

「荷物にしたくないから、図書館で貸りてくるか、買ってもすぐ売ってる」  椿の視線に気がついたのか、志岐は言葉を重ねた。 「そうなんだ。テレビは見ないの?」 「見ない」  テレビもパソコンもない。一人だったら、この部屋はずいぶん寂しそうだなと思った。 「明日事務所来る? 次のやつの台本きてるんだけど」 「持って来てくれればよかったのに」 「いや、社長も志岐の顔見たがってたから」 「はあ。なんで子ども扱いすんのかな、あの人」 「俺も子ども扱いだしなあ」  椿がそう言うと、志岐は溜息を吐く。 「椿はヤンキーで子どもっぽいからでしょ」 「元、ヤンキー。元です、元」 「やっぱほんとなんだ、元ヤンって」 「……否定はしないケド」  笑いはしないが、志岐の表情は柔らかく見える。  ……わかったことがある。  志岐は確かに、踏み込んでほしくないと思っているのかもしれないが、人に関心がないわけではないのだ。自分への質問には最小限にしか答えないが、椿にはいろいろ質問してきたから。生意気な口調は変わらないが、それは、志岐の何らかのサインのように感じた。  後片付けをして部屋に戻って、そろそろ帰ると言おうとしたら、志岐がクッションを抱えてラグの上で眠っていることに気がついた。  眠っているとそれこそあどけなく、まるで高校生くらいのように見えた。柔らかい表情をした寝顔は余計にAmeに似ていて、椿は思わずじっと見つめてしまう。この顔が、昨夜見ていたAVのように喘いでいたとは、想像できない。別人のようだった。  このまま寝かせてやりたかったが、そうすると鍵を開けっ放しで出ることになってしまう。それはさすがに危ないだろう。  仕方なく静かに肩を揺り動かすと、志岐の瞼はすぐに持ち上がった。 「ごめん……寝てた……?」 「寝てた。風邪引くからちゃんとベッド入れ」 「マネージャーっぽい」 「え、これマネージャーっぽいか?」  志岐は起き上がるが、すぐに目に手をあてて俯いた。 「どした?」 「コンタクト付けたまま寝たから……枕元に目薬あるからとって」  そう言われて、椿はベッドの枕元を探す。そこで目薬とは別に、思わぬものを見つけた。  見つけた目薬を手渡すと、志岐はすぐに上を向いて瞳に一滴ずつ落とした。しばらくして落ち着き、椿が凝視しているものに気がついたようだった。 「これ……」 「売れてたんだし、俺が持っててもおかしくないだろ」  おかしくはない。でも、志岐はてっきりAmeのことが嫌いなのだと思っていた。  ──志岐の枕元にあったのはAmeのCDだった。  志岐の部屋にCDを聴くための機器はない。それなのに枕元にそっと置かれていた。だからこそ、椿にはとても不自然に感じられたのだ。 「好きなのか?」 「……声が」 「声?」 「歌声が、好きで」  志岐は目を逸らした。そして、ぼそりと吐き捨てる。 「顔は嫌い。気持ち悪い」 「そういうこと言うな」  あまりの言いように椿が思わず口を挟むと、志岐は睨んだ。 「じゃあ聞くけど、椿は自分と同じ顔したアイドルが女の声で歌ってたら複雑な気持ちにならない?」  自分と同じ顔の……。  椿は少しの間想像する。 「なるかも……お前からかわれたりしたの?」 「まあ」 「またそれ」  答えをあやふやに誤魔化され、椿は抗議の声を上げた。  しかし志岐は「早く帰れば」とだけ言い、ふいっと顔を背けてしまった。  そうされてしまえば帰るしかなくて、「また明日」とだけ言って部屋を出た。志岐はそれに何も返すことはなかった。  ……あいつは何を考えているんだろう。  踏み込ませたくない。でも他人に関心はある。何か、抱えてるんだろうな。何を抱えてるんだろう。  椿は、社長や飯塚、事務所で関わった人々に救われた。生意気だった椿を、いつでも見守っていてくれた。それは、今も。志岐にとって、自分はそういう存在にはなれないかな。  志岐はまだ子どもだ。あのあどけない表情を見て思った。まだガキなんだ。今は尖ってるかもしれないけど、見守られていたことに、きっといつか気がつく。そのときにそばにいてやれるような、椿にとっての社長や飯塚のような存在に、なりたいと思った。  ならなくちゃ駄目だ。そういう存在になって、マネージャーとして支えたい。  ◇  志岐の家で食事をしてから一週間後、椿が志岐のマネージャーになって初めてのAV撮影の日がきた。  朝、志岐のアパートまで事務所の車で迎えに行く。インターホンを鳴らすと、志岐はいつもの冷めた顔を見せた。何も特別なことなんてないというような。 「行くか。大丈夫?」 「何が? 別にいつもと同じことだし」  後部座席に座った志岐はそれから黙りこんでしまって、何を考えているかさっぱりわからなかった。それでも話をしなければと、どうにか会話の糸口を探す。 「相手の、桜田って、志岐は何回か一緒にやってるよな」  今日志岐の相手役をする桜田ヒロは、志岐と何回か共演している。どうやら二人の組み合わせは評判が良いらしく、有料でネット配信しているものがいくつも撮られている。 「観たの?」 「へ?」  ミラー越しに見る志岐は、窓の外を見ている。やはり表情を動かすこともない。 「俺と桜田の、観た?」 「観た」  桜田とのものを、予習のつもりで観た。最初に観たDVDよりも、桜田とのものはソフトなもので、安心して見ることができた。 「失望した?」 「失望って……なんで?」 「男に媚びてさ。気持ち悪いだろ」 「そんなこと思ってない」 「そう」  平坦で抑揚なく、こちらの言葉の意味を汲み取ろうとせずに、シャットアウトした声音。  信じてなんかいない。  そう言われたようだった。 「椿、お前俺送ったら事務所帰んなよ。見てなくていいよ。桜田も監督も初めての人じゃないから、俺も慣れてるし。大丈夫だから。桜田だっていつもマネージャーついてないし」 「見られたくない?」 「……別に」 「志岐がどうしても見られたくないって言うなら、俺も引く。でもそう言わないなら、俺は志岐の仕事は見届けたい。営業や売り込みで見れないときもあるだろうが、そうじゃなければ」 「勝手にしろ」  不貞腐れたように、志岐はそれから撮影場所に着くまで何も言うことはなかった。何か話しかけても、答えることもなかった。

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