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第一章 九
「これ……、いつものサイトだろ?」
志岐が昨日撮った動画が載る予定のサイト。黒いバック画面に、蛍光ピンクのキラキラした文字。デカデカと出てくるのは、まさに男が男に突っ込んで揺さぶっているところを繰り返す動画。
誰もが一目でわかる、明らかなアダルトサイトである。
椿も数回確認のために見たことはあるが、相変わらずだと思った。もうちょっとセンスがあるものにできないのだろうか? ほら、こんなにいきなり動画が出てくると、驚いて画面を閉じてしまうんじゃないか? ……椿にもセンスの良いアダルトサイトのデザインなんてものはわからないが。
新着がトップ画面に上がっており、そこから下にずっとスクロールしていくと、更新された年・月別に選択できる画面になる。
そこの──五年前の十二月──を開く。動画は二つしかない。その二番目にある方を開く。
「え、おい、何見るんだよ。俺見たくない」
「いいから」
志岐が動画を止めようとするのを制止した。
ハンディカメラで撮影されたそれは、手ぶれも酷く、画質も良くない。
ホテルなどではない、普通の、マンションの一室。その部屋の全体をぐるりと映したあと、部屋の端にあるベッドを映すように、カメラが固定された。
そこに、一人の男が現れる。男はカメラを気にしながら、ベッドに腰かけた。
『え、これでいいんすか? ほんとにやるの? もう撮ってるの?』
カメラを持っている人物に心配そうに尋ねる顔は、生意気そうな少年のものである。
「え、これ、え? ……椿?」
志岐が画面と椿を見比べる。
「事務所に就職させてもらった頃かな。今よりもっとやばかったあの事務所のために、俺も一回これやったことあるんだ」
本当は、これを撮る予定だったのは椿と同い年のもっと可愛らしく線の細い男だった。一つ動画を載せることになっていたのだが、撮る直前になって、できないと泣かれた。
事務所にこの仕事を持ってきたのは、社長の怖いお友達……まあ簡単にいえばヤクザなのだが。そっち関係の仕事だったから、今からできませんなどと言えば、今度こそ事務所は終わりだった。
その内情をよくは知らなかったが、社長に恩を感じていた椿は、社長が困っているならと自ら進んで引き受けたのだった。
画面の中の椿は、手間取りながらベルトをはずし、たっぷり時間を使って焦らしながら──この時は焦らすというより、単になかなか踏ん切りがつかなかっただけだが──ジーンズを足元まで下げる。そしてベッドに横になった。
「ま、こうやってオナニーしただけだけど」
動画の説明文には「ヤンキー少年初めての公開オナニー」とか書かれている。……これを考えたのは飯塚だった。ゲラゲラ笑いながら考えていたのを覚えてる。だいぶ面白がっていた。今も思い出すと腹が立つ。
『ん……っ』
カメラマンなんていなくて、あのとき事務所の社員だった皆で撮って、編集もした。飯塚に「もっと声出せー」なんて言われて、出せるかと叫んだ。でも椿にしたら、精一杯声を出したつもりだ。
『はっぁ……っ』
……なんてわざとらしい喘ぎ声なんだと我ながら呆れる。
でも仕方がないとも思う。普段自分でしているときに声なんか出るか?
指で輪を作って扱いている椿の姿は、昨日の志岐の色気のある姿と比べれば、月とすっぽんだ。それを、志岐は食い入るように見ている。
「んな見んな! 俺の人生最大の恥を!」
「お前が見せてきてるんだろ。恥ずかしいならなんで見せんの? お前M?」
「誰が!」
『ああ……っ』
どうやら射精したらしい。
「あーもうこれは忘れてくれ」
「見せたいのか見せたくないのかどっちなんだよ」
そりゃあ見せたくなかった。でも、自分のこういう恥ずかしい部分も、知っておいてほしいと思ったのだ。それで少しでも、心が近づけたらと。
「俺も、さ。こういうことやったの。他にも馬鹿なこといっぱいしてきたんだよ。そういうのさ、話すから」
「……なんで」
「志岐にわかってほしいから。それ聞いて、ちょっとでも志岐が俺に親近感湧いたりして、話してくれたら嬉しい」
なにか違う。
自分も話すから話してくれというわけじゃない。そんな見返りを求めてるのではない。いや、話してほしいから見せているってことは見返りを求めてるのか?
違う。なにか違う。
上手い言葉が出てこないことが、もどかしい。
「志岐は嫌かもしんないけど、俺はちゃんと『志岐天音』のマネージャーとして一緒に仕事をしていきたい。分かり合って、志岐が望む仕事を持ってこれるようにしたい。だから、まあ別にいいっちゃいいけどさ、俺のことも、知っといてほしいと思ったんだよ」
志岐は目を丸くする。
伝わるか? 伝わったか?
「志岐の想いを教えてほしい」
言いたいのは、結局そういうこと。志岐が何を思っているのか、知りたいということ。
志岐の大きな瞳が揺れたと思ったそのとき──
『あ、マジこれどうすんの!? ティッシュ! ティッシュ下さい! つーか洗って……え? 見せる? この手に付いてるのを? いやいやそれない! そんなの誰も見たくないっしょって! え? 舐める? 余計ないから! あんた適当に言ってるでしょ! は!? まだ撮ってんの!? え? 感想!? え、き、気持ちよかったです……とか? うわ、恥ずいなんだこれここ消してくださいよ! 絶対ですよ!』
そして動画が終わる。
待ってくれ。最後のはなんだ? ここまで残してたのか!? 前に見たときは射精して最後だと思っていたから、ここまで観てなかったんだ……! クソ飯塚っ! ぜってぇ明日文句言う! つーか一発殴らせてもらおう……! 人の一世一代の決意を弄んだ報いを……つーか死ぬ。志岐にこんなの観られて、恥ずかしくて悶え死ぬ……!
「ふ……っ」
飯塚への怒りでマウスを持つ手を震わせていると、小さく吹き出す声が聞こえた。志岐を見ると、肩を震わせていた。声を我慢していたようだが、とうとう抑えきれなくなったのか、げらげらと笑い出した。
「超テンパってる!」
「えーっと、志岐さん?」
「お前テンパり過ぎだろ! ははっ、おかしい!」
腹を抱えて爆笑している。こんなに笑われると椿の恥ずかしさも吹き飛ぶ。
「んな笑うな!」
志岐に腹を立ててなんかいないが、形ばかりに怒ってみせる。
「だっておかしい! こんな、テンパッて……っ! 椿可愛いじゃん。ははっ」
呼吸も苦しそうに笑い転げている。
屈託なく笑う志岐は、この前見た寝顔より、さらに幼く見えた。見ていて元気になれるような、明るい笑顔だった。
「改めてよろしく、志岐」
「あ、ああうん。よろしく、椿ちゃん。……ぷっ」
「いい加減笑うのやめろ!」
よろしくと差し出した椿の手を握った志岐の白い手は、温かかった。その温もりを感じながら、志岐を見つめる。
志岐も椿の視線を感じたのか、笑いを収めてようやく顔を上げた。
「よろしくお願いします。椿由人」
そう言って、微笑んだ。
柔らかく。
泣きそうな。
それは椿が初めて見た、志岐天音の本当の笑顔だった。
第一章 終
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