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第二章 二
◇
翌日、椿は久しぶりの完全な一日休みで、普段入ることなんか絶対にないおしゃれなカフェで人を待っていた。周りを見渡しても若い女性ばかりで、ふと目をやると可愛らしい小物が天井や壁に飾ってある。居心地の悪さを感じるが仕方がない。相手がこういう店を好むのだから。
待ち合わせ時間より少しだけ遅れてきた愛梨は「ごめん。奢るからさ」と、顔の前で手を合わせた。胸のあたりまで伸ばした髪を綺麗に巻き、ニットのワンピース姿の愛梨は椿の知る高校生のときよりもずっと女性らしくなっている。甘いパンケーキや可愛いらしい店が好きで、外見だけではなく中身も女性らしいかと思えば、その性格はさばさばしていて、非常に付き合いやすい。椿の唯一の女友達だった。
「どうした? 珍しいじゃん。愛梨が呼び出すなんて」
今は大事な女友達だが、椿は愛梨と高校時代に付き合っていた。今よりさらに童顔だった椿とは対照的に、同年代の女子より大人びた美人だった愛梨とは、あまりお似合いとはいえなかった。それでも、良い付き合いをしていたと思う。
高校を中退してからも交流があって、今もときどき話をしている。とはいえ、年に何回か近況報告で電話する程度で、こうして会うのは久しぶりのことだった。
「うん。結婚することになったからさ。報告しようと思って」
「おー! おめでとー!」
「でさ、結婚式来年の四月なんだけど、来てくれないかなあって」
愛梨は昔のことを気にしたりする性格ではなく、気持ちの良い人間だ。だからこそただの友人として呼んでくれようとしているのだろうし、椿も未練などなく友達としてもいい付き合いをしていると思っている。しかし、自分たちは良くても周りは良くないだろう。
「愛梨、行けねえよ」
「……うん。だよね」
今は普通に話しているが、椿と愛梨を知っている友人らに、こうして今も交流があるなどと知られたら大騒ぎになるだろう。愛梨の両親だって、卒倒するに違いない。
別れたのは、全面的に自分が悪かったからだと、椿は思っている。悲観的になっているわけじゃなくて、冷静に考えても、自分が一方的に悪かった。こうして友人でいてくれることが奇跡に思えるほど、愛梨に申し訳ないことをした。
「でもさ、来てほしいくらい、大事な友達だと思ってるからねって言いたくて」
「……ありがと」
しんみりしたのはそれだけで、あとはいつもどおり軽口を叩き合った。
愛梨お薦めのパンケーキは、椿にはだいぶ甘かったが美味しかった。夕方を過ぎて少し空いてきた店内は、話をするのにはちょうどよく、いつのまにか居心地よく感じていた。
「へえ。Ameに似てる男の子ねえ。椿大ファンだったもんね。よかったね」
愛梨は椿の仕事の内容も知っている。
タレントのマネージャーだなんて言うと、面白がる者や好奇心を隠さずに質問攻めにしてくる者もいるからあまり話さない。けれど、愛梨はそういうところがない。居心地がいいのは、そのせいも大きいかもしれない。
「よくねえよ。その顔で男とセックスしてんの見るの、すげえ複雑な気持ちになる」
「あはは。相変わらずAme大好きなのね。でもAmeに似てるならその子相当美人だね」
「まあな。AV以外にも絶対仕事ある! と思うのになあ」
役者でもモデルでも。志岐にできることはまだまだたくさんあると思う。そういう仕事を探して志岐に見せるが、志岐はまるで興味を示さない。それどころか、酷く機嫌が悪くなる。「とってくるならもっと刺激のあるハードなAVの仕事持ってこいよ」と。それをやらせたくないと思うのは、志岐にとって良くないこと……だろうか。
そういう悩みを志岐に直接ぶつけた方がいいのはわかっているが、この前みたいに逃げられるのもわかってる。少し近づけたと思っても、それより先の一歩を、志岐は進ませてくれない。
「悩むとすぐ顔に出るよね、椿って」
「え」
「そういうわかりやすいところ、いいと思うけどね」
「……落ち込む」
「いいって言ってるのに」
すぐ顔に出るから、付き合っていたときには愛梨を心配させた。
成長できていないと、椿は少し落ち込む。志岐のポーカーフェイスを、自分が学んだ方がいいかもしれない。
「Ameに似てるってことはさ、椿の好みな顔ってことでしょ? それっていくら男でも、揺らがないの?」
「揺らぐ?」
「だってその子は同性愛者なんでしょ? あれ? そういうことで悩んでるんじゃないの?」
愛梨はきょとんとして言った。
「そんなことでは悩んでない!」
言われた意味を理解して、慌てて否定した。
そもそも、志岐は同性愛者なのだろうか? いや、偏見とかはないのだけれど。桜田にしても志岐にしても、同性愛者なんだろうか? それとも仕事だから? バイ? あ、でも桜田は自分を誘ってくる。あれが本気なら桜田はやっぱりゲイなんだろうか?
「まあその子とどうにかなったりしたら教えてよ」
「自分のタレントに手を出すことはありえません!」
今度志岐に聞いてみようか。……口聞いてくれなくなるな。
桜田に……聞いて墓穴を掘ることになったら困るから聞かないでおこう。
椿はそっと心に留めておくことにした。
◇
「どうした椿? 難しい顔して。ぷぷっ、そういう悩んでる顔似合ってねえ」
「飯塚さん……あんたってほんと腹立つ人ですね」
「そうですよ。いい加減椿に愛想つかされますよ」
「待ってください。それ今までは愛想尽かせてないみたいじゃないですか」
午後、椿が事務所で自分のデスクに着いて資料を睨んでいると、横から飯塚がいつものとおりからかってきた。それを呆れた顔をして見ているのは、椿と一番年が近い若林だった。
若林は、飯塚とは正反対の優しく面倒見の良い先輩で、よく椿の相談にのってくれる。いつもきっちりとスーツを着ていて、一見すると普通のサラリーマンに見える。確か年齢は今年三十一だったか。爽やかな若林と、明らかに一般的な仕事をしているようには見えない、「おっさん」としか言いようがない飯塚は、実はそんなに年は離れていないのだが、ずいぶんと違って感じるのが不思議だった。
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