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第二章 三

「何か困ったことでもあった? 今日メーカー回ってきたんでしょ?」  メーカーというのは、AVの制作会社のことだ。今日はAVメーカーに営業に行ったのだが、そこで志岐にぜひ、と話をもらった。志岐がこれまでにも出たことのあるAVメーカーではあるのだが、ここのものはハードなものが多かった。志岐の前のマネージャーが辞めた原因……志岐曰く、だが。その原因のスカトロものも、ここのメーカーのものだった。  飯塚のことは放っておいて、向かいのデスクの若林の隣に移動する。 「あ、コーヒー飲みます?」 「じゃあお願い」  座る前にコーヒーを淹れに行くと、飯塚まで「俺もー」と便乗してきた。三人分のコーヒーを淹れて戻ってきて、改めて若林の隣に座る。 「なんで若林―? 椿ちゃん俺に相談は?」 「コーヒー淹れてあげたんだから黙っててください」 「ひでえ!」  けらけら笑った後、飯塚は立ち上がる。「ちょいと休憩―」なんて言って、コーヒーを持って少し離れたソファの方に行ってしまった。  本日何度目の休憩だ? 「言っとくけどな、お前がいない間俺も営業行ってたんだからな。ちゃんと仕事してるから!」  椿の心を読んだかのように、向こうから飯塚が声を飛ばしてきた。  なるほど。だから久しぶりにスーツ着て髭も剃っているのか。よく見ればいつもより少し歳相応に見えなくもない。 「子どもだなあ」と、再び若林が溜息を吐いたからか、飯塚もそのあとは口を挟むことなく大人しくなった。 「で? 椿は何を悩んでるの?」 「これ、今度志岐にどうかって渡された企画書なんですけど」  若林に、もらった企画書を見せる。それに目を通す若林の眉間にも皺が寄る。 「3Pね……。道具も使うみたいだし……なかなかだね……ここ、前にも志岐出てたでしょ? 結構予定になかったこともさせられたみたいで、志岐が辛そうにしてた」 「そうなんですね……」 「志岐が嫌だって言ったら断ればいいんじゃないかな?」 「そこなんですよねー……」  志岐は、断らない気がする。他の仕事を持って行くと嫌がる癖に、AVの仕事は内容の確認もせずに引き受ける。どんなにハードなものでも、だ。  本人に聞けば、「ハードなものじゃなきゃ物足りない」とか言う。しかし椿には、それが本心とはどうしても思えない。普通の、それが桜田相手の穏やかなものでも、志岐は時折苦しそうな顔をする。カメラの前じゃなくて、ふとした瞬間に。シャワーを浴びて控え室に戻ってきたとき。撮影に向かう車に乗り込んできたとき。  セックス自体、嫌いなんじゃないかと思うときがある。  そんな奴が、どうして好き好んで傷めつけられるようなものに出たがってると思えるんだ。本当は嫌なのを、隠して無理してるんじゃないかって、思うじゃないか。 「椿、志岐の選択の自由を奪っちゃいけないよ」 「え?」 「志岐に言わずに断ろうとしてないか?」  椿は黙った。図星だったから。 「マネージャーや事務所が仕事を選ぶなんてこと、別に普通にあることだと思う。でも社長は、それを嫌がるよな? やりたいことで輝かせたいって、言うよな?」  タレント本人がやりたいことをやらせたい。選んだ道で輝かせたい。それは社長の信念で、口癖だ。  しかし、やりたいようにやらせていたら、志岐は遠くない未来に壊れてしまう気がする。時折見せるあの笑顔が、消えてしまうような気がするのだ。  身体が無理をしている。  心が無理をしている。  そんなの、いつまでも続くだろうか? 誰かが無理矢理にでも止めたほうがいいんじゃないのか?  若林は優しく諭すように椿に話す。 「わかるよ、椿が悩むのも。志岐が捨て身なことも、皆感じてる。まだ若くて将来のある子だし、潰したくないって思ってる。でも志岐がそれを望まないなら、強制すべきじゃない。強制されてやる仕事なんて、それが社長が求めてるものになるはずがない」 「……わかります」  椿がいくら望んでも。それが志岐の望みと違えば、マネージャーとして失格だ。売れれば何でもいいなんて、志岐も社長も、もちろん椿も、思ってないから。 「志岐が変わってくれればいいんだけどね」 「はい……」 「椿に変えてほしいと思ったんだろうな、社長は」  志岐の頑なな心を換えることなんて、できるのだろうか。自分に。些細なことでも喧嘩してばかりなのに。逃げられてばかりなのに。 「喧嘩してばっかです」 「確かにな。でも喧嘩してでも志岐と話した奴って、今までにいなかったと思うんだよ。皆当たり障りなくやってきた。でも椿はそれができないだろ?」 「で、できますよ。やろうと思えば」  そこで、飯塚が吹き出すのが聞こえた。 「当たり障りがないとか、お前が一番苦手なことだろうが!」 「そんなことありません! ……最近は」 「いいんだよ。椿はそれで。当たり障りがないのは、もういいよ。志岐に何があったのかはわからないけど、もう甘えないで歩き始めてもいいと思うんだ」 「さすが若林は詩人だねえ」  飯塚がこちらに戻ってきたため、椿と若林は二人で睨んだ。 「おお、怖い怖い。いいんじゃねえの。椿も若林もまだまだ若いんだから。ぶつかってやれ」 「俺若くないですよ」 「俺ももう二十五ですよ」  飯塚はタバコに火をつけながらおかしそうに笑う。 「おじさんからしたら、お前らはまだまだ子どもだっての。志岐なんか赤ちゃんだな、赤ちゃん」 「飯塚さん俺たちとそんな年離れてるってわけじゃないじゃないっすか」 「精神的なものの話だよ。わかるかね、椿ちゃん」  椿と若林の肩をぽんぽんと叩いて笑った飯塚は、軽い言葉とは対照的に、深く優しい笑顔をしていた。

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