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第二章 四
◇
やはり志岐は断らなくて、結局仕事を受けることになった。
ただ、相手役が──
「椿君ほんと酷いよ。メール素っ気なさすぎだし、最近会ってくれないし」
「あー、すんません」
「しつこいんだよ、あんた。椿は俺の世話だけで手一杯なの。かまってくんな」
「あめが自立すればいいんだよー。なんだってご飯まで作ってもらってるんだよー」
久しぶりに会った桜田は、会うなり椿を捕まえて訴え始めた。
今日の志岐の相手役は二人なのだが、一人が桜田なのだ。これは椿を安心させた。桜田なら、志岐に無理はさせないだろうと思ったからだ。
「ほら、あめは準備しておいでよ」
「はいはい邪魔者は退散しますよ」
志岐は準備をするため、シャワー室に消える。
「もう一人の……アキトさんですっけ? その人はまだ?」
「まだ。あの人いつもぎりぎりに来るからさ」
桜田は溜息を吐く。
今日はスタジオのセットでの撮影になる。
桜田が演じるのは志岐の恋人で、刺激を求めて、嫌がる志岐を自宅で友人とともに犯すというものだ。その友人が、今回志岐とは初めて共演する「アキト」というAV男優だった。普段は女性との絡みがあるものに出ていて、ゲイ向けのAVには出たことがないようだった。
「桜田さん同じ事務所なんですっけ?」
「そうそう……なんで敬語? 食事行くときはやっと敬語じゃなくなったのに」
「仕事のときはこうさせてください」
「志岐には砕けて話すのに!」
「……ほんと、困らせないでください」
桜田がどこまで本気なのかわからない。それで志岐とも喧嘩になったのだし気になるが、今はそれどころではない。
今日の志岐相手。それが気になる。内容が内容だけに、桜田のような相手ならいいが、そうじゃなかったら……
「相変わらず志岐のことしか頭にないわけね」
「すんません。仕事中はそれしかないです」
「言い切ってくれるね。っていうか仕事中だけじゃないくせに」
「俺頭悪いんで。一つのことしか考えられないんです」
「はあ。はいはい。あめの手が離れるのを待ちますよ。で、気になってるのはアキトのことでしょ?」
話が早い。
控室には籠に入れられた飴やチョコが置いてあって、桜田はその中からチョコを選んで取る。口に入れながら、桜田は少し考える素振りをする。椅子に腰かけて足を組んだ。
「座ったら?」
「いえ。このままで」
なんとなく落ち着かなくて、座っていられない。
なぜだろう。もう何回かAV撮影は見ているのに、桜田もいるのに、なぜだか嫌な予感がするのだ。
「今まで女性としかやってなかった人ですよね? そういう人が急にゲイものにってこと、よくあるんですか?」
「うーん。あの人は単純にお金が必要みたいでね。けどネコをやるまでの決心はできなかったみたいで、女の子相手より金が出る男相手のタチを選んだみたいだね」
そう話す桜田の顔が晴れないのが気になる。いつも、こちらが拍子抜けするくらいヘラヘラしているのに。
「その人、何かあるんですか?」
「噂程度でね。……ちょっと無理するところがあるみたいなんだ」
「無理?」
「簡単に言えば荒いっていうか。女の子も結構泣かせたみたいでね。その泣かせた顔を売りにしてるところがあってさ。なんていうか、俺は嫌いなわけ。胸糞悪い」
桜田が荒い言葉を使うのを、椿は初めて聞いた。
「俺の領域で乱暴なことさせたくないからさ。3Pだって聞いて、変なの付く前に立候補しちゃった」
テヘっと笑った桜田は、いつもの緩い印象の優男に戻っていた。
「えっと、ありがとうございます……?」
お礼を言うことなのかよくわからなかったが、桜田が志岐のことを心配してくれているのがわかるから。
桜田は確かに椿を誘ってくるが、志岐を抱いているときの様子を見ると、本当は志岐のことをプライベートで誘いたいのではないかと思えてくる。それくらい、優しく、労るように抱くのだ。
……あれ? この考えが正解なんじゃないか? 桜田って志岐のことが好きなんじゃないか?
そう思うと納得する。志岐のことが好きだから、マネージャーの自分にかまって近づこうと……なるほどそういうことか。いや、そういうことかと思っても、立場上協力するわけにもいかないのだが。
椿が立ったまま腕を組んで考え込んでいると、桜田が組んでいた足を解いて立ち上がった。
「あ、便所ですか?」
「……椿君色気ないね」
「色気なら志岐に求めてください」
桜田は椿の応えに可笑しそうに笑う。緊張が緩むのを感じた。
やっぱり、志岐が言うみたいに、桜田が自分を無理矢理……とは、椿には思えなかった。思えないというより、自信がある。自分は馬鹿だけど、こういうことはちゃんと見極められる。
「まあ台本自体が乱暴な話だし、どこまでフォローできるかはわからないけどね」
桜田が苦笑したとき、控室のドアが開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、背の高い男だった。桜田も背は高いが、どちらかと言えば線は細い。桜田と比べると「男らしい」と感じるような、筋肉がついた男だった。年は、椿や桜田と同じくらいに見える。
「アキトです。よろしく」
笑顔を浮かべる顔は整っている。しかし、人を値踏みするような視線は、居心地を悪くさせる。桜田に会ったときのような、人を惹きつける魅力は感じなかった。
「志岐天音のマネージャーの椿です。志岐は今準備中ですが、もうすぐ来ると思います。よろしくお願いします」
「俺はいいよね。何度か事務所で顔合わせたことあるもんね」
桜田はにこやかに笑っているが、「よろしくと言いたくない」という本心が見えている。それを感じているのかはわからないが、アキトは桜田に曖昧に答えた。ぴりっとした空気に、椿の不安は強くなる。
先ほど桜田と話して緩んだ緊張が、再び戻ってくるのを感じた。
志岐が戻ってきてから、三人と監督、カメラマンで打ち合わせをした。志岐は初対面のアキトを前にしても、いつものつまらなそうな表情は崩さず淡々としていた。
対するアキトは、志岐の雰囲気が予想外だったらしく、桜田に「綺麗な人ですね。愛想ないけど」と驚いたように漏らしていた。
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