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第二章 七
撮影に戻ると、アキトは待ちくたびれたかのように、欠伸を噛み締めていた。初対面で取り繕っていた顔は、もう見せなかった。
「売れっ子って言うから期待してたけど、あんなので音を上げるなんて大したことないんだな」
戻って早々、志岐を侮るような言葉を投げつける。志岐はそれに冷めた視線を送りながら、さっきと同じようにベッドに上がり、自ら目隠しを付けた。
「俺がいつ音をあげたって? 待たせたのは悪かったな早漏野郎。またイかしてやるよ。そこの遅漏男を尊敬できるくらいにな」
「あめー、俺遅漏じゃないからね。早くイケって言われたら早くイケるから。誤解を招くようなこと言わないでね」
すっかり立ち直ったように見える志岐を面白くなさそうに見つめ、アキトは口角を上げる。
「じゃあ遠慮せずにやりますよ。もう汚く吐いたりしないでくださいね」
「はは、心配すんなよ」
ベッドに横になった志岐は、誘うように艶かしく、白い足を広げた。
それから志岐は、やはり酷く乱暴に抱かれた。桜田とアキトを飲み込み、何度も中に欲を吐き出させた。
悲痛な声を上げるのに。
途中で外された目隠しの下から現れた瞳からは涙が溢れているのに、それでも口元に笑顔を浮かべ、気持ちがいい、もっともっとと二人を煽った。
椿はそれを、ただ見ていた。見ていることしかできない。
志岐の“自傷行為”を、自分は手伝っているのだろうか。
志岐はどんなつもりで、あのとき「よろしく」と手を伸ばしたのだろう。
◇
「アキトは先に帰ったよ」
桜田がシャワーを浴びて控室に戻ってくる頃には、マネージャーが迎えに来るのさえ待たずに、アキトはさっさと帰っていた。
どうやら、あれから志岐が散々煽ったために、監督が合図する前に早々に射精することになり、プライドが傷つけられたらしい。
「ああ面白かった。見た? あの悔しそうな顔。あいつもう男相手のは出ないだろうなあ。いや、逆にハマっちゃうかな?」
桜田は清々したらしく、機嫌がいい。いつも以上にヘラヘラしている。
しかし、シャワーを浴びて着替えて出てきた志岐の顔色がまだ悪かったことで、その笑みを消した。
「あめ」
「……何。用があるならあとでメールして。椿、帰ろ。早く休みたい」
「ちゃんと後処理してないだろ? ずいぶん早かったじゃないか」
「帰ったらする。早く帰りたいんだよ」
早く、と椿の腕をとって部屋を出ようとする。
「あめ、こうなるのわかってただろ? 前にもこのメーカーの出て本気で泣いてたよね?」
桜田が、冷たいとも感じるくらいの鋭い言葉を発した。その言葉に、志岐はぴくりと反応する。椿の腕に掛けていた手を下ろして、桜田を振り返った。
「俺が出てるやつチェックでもしてんの? 何なんだよお前」
拒絶の色をはっきりとさせる。
志岐がこんなにはっきりと桜田を拒絶するのを、椿は初めて見た。
「それともスカトロとか好きなんだっけ? そういうの見たかった? 見てんじゃなくてやればいいじゃん。うんこでも何でも、食ってやるよ」
「志岐っ」
思わず、咎めるような声が出た。
桜田が、志岐を本気で心配していると知っているから。それをこんな言葉で、傷つけてほしくなかった。それを言う志岐も、あの嘘の笑顔を浮かべて、本気で桜田を責めているようには思えなかったから。桜田を責めているのではない。心にあるだろう傷を、自分で抉っている。
「椿君、ありがと」
桜田は、志岐にぶつけられた言葉に気分を害した風でもなく、椿に穏やかな笑顔を向ける。
しかし、志岐に向ける表情は、厳しい。
「あめ、いい加減AVを利用して自傷行為をするのはやめたら? 俺のことも利用するな。うんち食べてもらっても嬉しくないから。それで自分が傷ついて満足?」
「……うるさい」
「椿君は優しいよね。いや、前のマネージャーさんも優しかったよね。そういう人たちを巻き込んで、ずいぶん迷惑な話だよね」
志岐は目を逸らす。本心を言い当てられ、逃げようとしているのがわかった。
しかし、桜田は志岐の腕を掴み、逃げることを許さなかった。いつになく語気を強める桜田に、志岐も椿も息を呑む。
「二年間あめのことを見てきたけど、君は何にも成長してない。それどころか、悪化してるよね。どこまでやるつもり? いつまでやるつもり? 椿君のことも巻き込んだまま? 拒絶するなら最初から最後までし続ければいいのに、半端に心を許して、それで失望させるんだろ? そうやって何人の人の心を折った?」
「もう、いい」
「良くない。君を心配する人が、まだいる。見捨てられないうちに、どうにかしなよ。他人を完全に拒絶できない君は、いい加減自分の弱さを認めた方がいい」
「……っ、やめて」
志岐は、ぽつりと言った。
桜田の手を振りほどき、よろよろと控室を出て行く。椿もすぐに追おうとしたが、桜田に何か言わなければと振り返った。
「あの、何で急に」
「んー? ずっと言おうと思ってたんだよ」
すっかりいつもの柔和な表情に戻った桜田は、志岐が出て行ったドアを見つめて言う。
「でもさ、またいつ変わるかわからないマネージャーさんに加えて、俺まであめの味方じゃなくなったら、あの子もっと駄目になっちゃうんだろうなって思ってたから」
だから今まで何も言わなかったと、桜田は言った。
「あめのことは、あめはどう思ってるかわからないけど、俺は友人だと思ってる。だからさ、まあ同じAVに出てる俺が言うのも変な話だけど、こんなことできれば続けてほしくなかった」
桜田はドアから椿に視線を移す。どこまでも穏やかで、人を落ち着けるような瞳が、椿を見つめた。
「椿君が現れたから。この一ヶ月、あめのことを相談されて、さっきも撮影を見てる椿君を見てて、あめのことを本気で心配してるってわかった。変えようと思ってくれてるってわかった。そんな椿君が現れたから、もう言ってもいいと思った。俺が突き放しても、大丈夫だと思ったんだ」
「俺に、桜田さんみたいに志岐のフォローができるかどうか……」
「あれ? 何自信なくしちゃってるの? 元気に、から回ってもあめに絡んでいくのが椿君じゃなかった? 逃げても追いかけるんでしょ?」
どうして。
どうしてこの人は、俺のこともわかっているんだろう。俺との付き合いなんてわずか一ヶ月。会った回数も数えるほどなのに。
この人は、相手がどういう人間なのか、見抜く目に優れているのだろうと椿は思った。
「志岐が逃げても、俺が追いかけます」
「うんうん。その熱意をあめに見せちゃって。それでさっさと更生させて、俺のこと見てよ」
軽口を叩く桜田が、どこまで本気かわからない。だから答えように困るのだけれど、今言いたいことは変わらない。
「ありがとう」
「うん。お礼はセックス一回でいいよ」
「……それはちょっと」
そこで思い出す。
「桜田さんってゲイなんですか?」
思い出したままに口にすると、桜田はきょとんとしたあと大爆笑した。
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