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第二章 十

「椿は、なんでこんなとこにいるの?」 「こんなとこ?」 「AV事務所」  志岐が顔を上げたから、椿も身体を志岐の方に向き直る。上げかけていた腰を下ろした。  もう少し、志岐は話をしてくれるみたいだから。 「AV事務所言うな。芸能事務所な」  常々自分も言っていることなのに、人に言われると否定したくなるのが不思議だ。 「なあ、椿の話を聞かせて」  そんな風に。  自分のことを聞かせてほしいなんて人に言われたことがなくて、椿は戸惑う。しかもこの、志岐に。何を話せばいいのだろう。  そんな椿の戸惑いを感じたのか、志岐は質問を重ねる。 「中学のときは? 高校のときは? どんな子どもだったの?」 「そんなとこから振り返るのかよ!」 「うん、そう」  絵本の続きを催促する子どものような顔をして、志岐はソファで膝を抱えて顎を乗せ、椿を見てくる。  無垢な瞳。  子どもに誤魔化しが効かないように、志岐のことも誤魔化せない気がした。  まあ、隠してるわけでもないから、過去を話すことくらい別にいいんだけど。  いいのだけれども。 「マジお前番長じゃん! 中学から!? うわすげえ! 番長ってほんとにいるんだ! 今の時代にも」 「だから言いたくねえんだって!」  中学の頃にはすでに不良と呼ばれていた。  別にすごく荒れていたとは自分では思わないのだが、中学二年のときにたまたま友人が不良の喧嘩に巻き込まれることがあり、それを止めようと一緒になって喧嘩したら、当時椿の住んでいた地域で一番強いと言われていた不良を倒してしまった。それがきっかけで、それから〝そういう奴ら〟に慕われるようになった。一緒に遊ぶのも楽しかったから行動をともにしていたら、気がついたら不良と呼ばれるようになっていたというわけだ。  それを話すと、志岐は腹を抱えて笑った。 「なんか椿らしいな」 「は? どこら辺が!? 気がついたらヤンキーになってたって話のどこが!?」  今も短絡的ということだろうか? 自分ではだいぶ落ち着いた大人になっていると思っていたのだが。 「まあいいや。それで、それからどうしたの?」 「全然まあいいやじゃねえんだけど……」 「いいからいいから」  クスクス笑って、志岐は楽しそうだ。この笑顔、いいなと椿は思う。こんな笑顔を見せたら、役者でもモデルでも、引っ張りだこになりそうなのに。 「椿?」 「ああいや、いつも、そういう顔で笑ってたらいいのにって思って。可愛いのに」 「……っ」  志岐は驚いたように目をぱちくりさせ、それから顔を赤くする。  そんな反応をされるとは思わなかった椿の方まで、なんだか恥ずかしくなってしまった。 「椿は、もっと、気をつけたほうがいい」 「何を?」 「俺や桜田が、ホモだって、忘れてるだろ」  愛梨と話していたことを思い出す。志岐が同性愛者なのかということ。忘れていたわけではなかったんだけど。 「え、えっと」 「Ameと重ねて、俺のこと顔が良く思えるのは仕方がないけど、可愛いとか言わないで。そういう顔で言わないで」 「そういう顔? え、なんか変な顔してた?」  別にAmeと重ねて見ていたわけではない。テレビに映っているAmeの存在を、一瞬忘れていたくらいだ。 「も、いいから。とにかく、俺に可愛いとか言うな」 「え、どんな顔してたのか言えよ。気になるだろうが」 「うっさい。もういいから続き話せよ!」  なぜ俺は怒られながら自分の昔話をしているのだろう……。 「続きって言ってもなあ。それからはまあ、高校には何とか入ったけど、やっぱり喧嘩して遊んでの毎日は変わらなくて、楽しくて……」  きっと、楽しかったのは自分だけだった。愛梨を心配させ、家族は苦しめていたかもしれないと、今の椿は悲しく思い出す。 「でも勉強してなかったからさ、高校は中退してる」 「中退?」 「そうそ。勉強もわかんなくなってたし、いろいろやり直したくて、自主退学したんだよ。今振り返ると、やっぱ高校は出とくべきだったって思うんだけど」  あのときは、とにかくここから離れなくちゃと思った。今までの自分を全部捨てたいと、逃げた。逃げているときに出会った。  Ameという一人の歌手。 「その頃にな、Ameを観たんだ。電気屋のテレビだったかな、初めて見たのは。その子見て、何逃げてんだって思ったんだ。同年代のこの子が、こうして辛さを隠して人に元気や幸せな気持ちを与えているのに、自分は何やってるんだろうって」  恥ずかしくなった。逃げて、さらに周りにいた人を心配させて。迷惑かけて。  変わりたいと思った。この子みたいに。俺にも、誰かを幸せにできないかって、思った。 「そんで家出て、自分に何ができるか考えながらバイトを転々としてたら、街中で飯塚さんに声かけられたんだよ」 「え? 働かないかって?」 「AVに出ないかって」 「お前スカウトされてあれに出たの!?」  そう言いながら、あの動画の椿の慌てふためいている様子を思い出したのか、志岐は可笑しそうに笑いだした。 「違うよ。もちろん断って、あの人怪しいし危なく殴るとこだったけど、我慢して、いろんな世界を見た方がいいかと思って、事務所に着いてったんだよ」 「そこなんでそんな積極的なんだよ」  ますます志岐は可笑しそうに笑う。確かに、今思うとおかしい。なんであんな怪しい人に着いていこうと思ったんだろう。だけど着いて行かなかったら、今の自分はなかった。 「着いて行ってさ、社長に会った。社長は人に夢をみせたいって、辛いと悩んでいる人に、現実を忘れることができるような夢をみせたいって言った。その夢を夢見て、現実を生きる強さをもらえるんじゃないかって。自分は奥さんも亡くして、信頼していた人に裏切られたりして事務所も落ちぶれて、夢なんか見れないような状況になってるくせにさ。それ聞いたら、俺も一緒に働かせてほしいって、気がついたら頼み込んでた」  社長みたいに、あの子みたいに、なりたいと思った。人を笑顔にする手伝いをしたいって。自分がどうしようもない人間だったとわかっているから。今まで周りの幸せなんて真剣に願ったこともなくて、楽しければそれでいいと馬鹿なことばかりしていた。  そんな人間だったから。そうじゃない人に憧れた。こんな風に生きたいと、切望した。  志岐は、抱えていた膝を下ろした。 「いつか」 「ん?」 「いつか、俺みたいなのじゃなくて、もっとちゃんとした奴のマネージャーになれるといいな。椿なら、できるよ」  いつか。  いつか自分が、とは言ってくれないのか。いつか自分が、人を笑顔にできるような存在になるって。  人を笑顔にできなくてもいい。ただせめて、志岐自身が幸せそうに笑えるような仕事を、してほしいと思うんだ。 「志岐が引退するまで、俺はずっと志岐のマネージャーでいるから」  いつか本当の笑顔を、仕事でもみせてほしい。志岐はきっと、あの子と同じように、人を幸せにできる人だから。だからそれに、気がついてほしい。気がつけるように、支えたいと思う。  志岐は目を丸くする。  そして、そっと椿の耳に唇を寄せた。  それは、一瞬のこと。 「ありがと」  掠れた声。泣いているのかと思った。  そこに込められた想いが、椿にはまだ、わからない。志岐は、すぐに立ち上がって伸びをした。 「腹減ったー。椿何か作ってー」  今のは幻聴かと思うくらい、振り返った志岐はからりと明るい表情をしていた。 「カレーでもいい?」 「やった。カレーも好き。辛口な」  そう言って笑った顔を見て、なぜか心臓がきゅっと締まった気がした。 『揺らがないの?』  愛梨の言葉が浮かんできて、椿はそれに頭を振って自嘲する。  誰にも聞かれていない問いに、一人頭の中で答える。 『揺らがないよ。俺は志岐天音のマネージャーとして、こいつを守りたいと思う。弱い、志岐を』 第二章 終

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