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第三章 一

   今、とんでもなく酷い嫌がらせを受けている。 「ここのさあ、恥ずかしいのに強がってるとこがたまんないよね」 「才能あるよなあ。変に媚びてないとこがウケそ」 「そうそう。俺も一回ヤってみたいよ」 「……お前、ほんとに手え出したらフェラするついでに食いちぎるからな」 「あめさあ、急にマジになんないでよ。怖いなあ」 「お前がマジで言ってるんだろ」 「あ、バレた?」 「人の動画見ながらあれこれ言ってんじゃねえよ!!」  キッチンから椿が怒鳴ると、志岐と桜田は「あれ、聞こえてたんだ」などとすっとぼけた。  十一月も終わりに差しかかり、ぐっと冷え込むようになった。短い秋は終わり、早くも冬を迎えていた。  志岐の苦手な冬。志岐は寒い寒いと言って、椿の家のこたつに収まるようになった。志岐の指定席になった、こたつの側面。そこに志岐がいる風景が、いつしか日常となっていた。  ずっと一人暮らしだったのに、今は一人で家にいるとなんとなく寂しく感じるようになってしまって困る。 その困る気持ちは、気恥ずかしくも心を温かくするものだった。  今日はそのこたつの中に、もう一人。 「椿君ご飯まだあ?」 「うるせー! さっさとその動画止めろ!」 「俺にもすっかり口調キツくなっちゃって。そんなところも可愛い」 「あんまごちゃごちゃ言ってるとお前のだけ変な味付けにすんぞ」 「あめも一緒に見てたのになんで俺だけ!」  夕飯を作る椿の後ろで、志岐と桜田は椿のあの自慰動画を見ていた。それで感想を言い合うものだからたまらない。パソコン貸さなきゃよかったと、椿は心から後悔していた。  桜田とは、最近志岐も含めて三人で会うことが多くなった。というのも、先月の一悶着のお礼に何かできることはないかと聞いたら、桜田が椿の手料理を食べたいと言い、それを聞いた志岐が桜田を家に上げるなら必ず俺も、なんて言ったからだ。それから、何度か桜田は椿の家に来ている。  ときどきびっくりするようなボディタッチがあったりと、着々と距離を詰められているような気がするのは、きっと気の所為……と椿は思うことにしている。  急に静かになった背後が気にかかり、一旦シチューの火を止めて見に行く。 「ん……」  こたつに入ったまま、桜田が志岐に覆いかぶさりその唇を塞いでいる。見慣れた光景に、いつものことかとキッチンに戻ろうとしたが、ふと気がついて立ち止まる。  ……ここ俺ん家だぞ。 「てめえ何やってやがる桜田! 撮影でもねえのに志岐に変なことすんじゃねえ!」 「痛っ! 痛いよ椿君!」  桜田の頭を掴んで志岐から引き離し、脇を抱えてこたつから引っ張り出す。志岐も身体を起こし、唇を服の袖で拭っているのが見えた。 「いや、だって椿君の動画見てたら勃っちゃって」 「あんなんでよく勃つな……つーか! それが志岐を押し倒していい理由にはなりません!」 「えー、だってあめも勃ってたしぃ」 「勃ってない!」 「じゃあこたつから出てきなよー」 「寒いからやだ!」 「怪しいなあ」  志岐は桜田を睨みつける。それから、子どものようにぷいっと顔を背けてしまった。  ……図星? 「あめ、我慢は良くないよ。夕飯ができるまでヤろうよー」 「桜田、志岐に指一本でも触れたら追い出す」 「えー、じゃあ椿君が抜いてよー」 「俺にそれ求めんな!」 「目の前でオナニーしてくれるだけでもいいよ?」 「よくない!」  椿は溜息を吐いてキッチンに戻る。今日はクリームシチューにした。最近冷えるから。そのシチューの鍋を混ぜながら考える。  志岐も、俺のあんなんで勃つのか……? いやでも俺だって最初に志岐と桜田の撮影を見た時は勃ったし。男ってのはそういうものだろう。うん。  椿は少し強引に納得することにした。 「椿君て童貞?」  三人でこたつに入ってクリームシチューを食べていると、桜田が突然言い放った。 「何言ってんですか?」 「なんで急に敬語?」 「引かれてんだよざまあみろ」  志岐は鼻で笑う。  ざまあみろって……俺でも言わねえぞ。ほんと子どもだな。  べーっと舌まで出す志岐がおかしくて、椿は思わず笑ってしまう。 「二人でいい空気作らないでよー。で? 童貞なの?」 「俺二十五だよ? さすがにないだろう」 「じゃあ童貞じゃないんだ。そっかあ」 「なんで残念そうなんすか」 「椿君が童貞なら、俺の穴を喜んで差し出そうと思ったのに……やっぱり処女もらうしかないかな。処女だよね?」 「……」  桜田の考えの突飛さに、呆れてものも言えない。その沈黙だったのだが、桜田よりも先に飛びついてきたのは志岐だった。 「椿男に挿れられたことあんの!?」 「ねえよ! ありません! 呆れて言葉が出てこなかったんだよ!」  そう言うと、志岐はほっとしたように息を吐いた。 「何? あめも椿君のこと狙ってるの?」 「お前にやるくらいだったらな」  ぶっとシチューを吹き出した椿を、志岐は「冗談に決まってんだろ」とまた鼻で笑った。  最近の志岐は、一部のAVの仕事を断るようになった。その代わりに、モデルの仕事などを引き受けている。もちろん、AV男優である志岐を載せたいという雑誌は、ほぼゲイ向けの雑誌だったが、先週、初めて一般のファッション誌の仕事もした。  小さく小さく載っただけだったけど。  でもそのページを見て、志岐が微かに笑った。嬉しそうに。「こんなの大した金にもなんないじゃん」なんて言っていたのに、事務所の隅で隠れて、大切なもののように、雑誌を抱きしめていた。  こういう顔ができる仕事を、させてやりたいと思った。  その雑誌のことで面白かったのは、桜田が「俺三冊も買っちゃった」なんてはしゃいで電話してきたことだ。桜田は相変わらず志岐の保護者のようで、志岐も、桜田との仕事だけは断ることは一度もなかった。 「あめはいい顔するようになったなあ」  志岐を車で家に送り、そのまま桜田も家に送る。志岐の家から桜田の家までは、車で三十分ほどの距離である。  車を降りるときに、志岐は「桜田に油断するなよ」なんて言って、先に降りることが大いに不満そうな表情を見せたが、「何かされたら金玉握りつぶすから大丈夫だ」と言ってどうにか降ろした。 「俺に嫉妬しちゃって可愛いよね」 「嫉妬っていうか、本気で変態扱いされてますよ」  気の毒になるくらい。  まあ、最近志岐が心配するのもあながち見当外れではないと思うようなこともあるのだが……。 「ヤってるときもさ、最近顔違うよね」 「ですよね?」  わずかな違い。気がつくのは、志岐のことをよく見ている椿と桜田くらいだろう。 「AV的には良くないのかもしれないけど、あめの嘘っぽさ、なくなってきたよね」  もちろん、セックスが好きじゃないからと言って、その嫌悪を全面的に顔に出すことはない。そうではないのだが、何となく、切ない顔をするのだ。嘘の笑顔を浮かべるのではなく、見ていると息ができなくなるような、切ない表情。

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