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第三章 四

「こういうのは、前からネットを探せばありましたよね?」 「うん。あった。最近増えてはいるけど、まあ、気になるほどじゃない」 「それなら……」 「こういうのを見たAmeのファンっていうのは、どう思うだろう?」  良くは思われないだろうと、椿は思う。謎めいた、どこか浮世離れした雰囲気に、リアルな等身大の歌詞。それがうけていたAmeと、AV男優の志岐が似ていると騒がれるのは、良くは受け取られないだろう。あの頃は、熱狂的なファンも多かったから。 「志岐のストーカーが、Ameのファンかもしれないってことですか?」 「その可能性はあるかもしれないけど……」  言いたいことはそういうことではないらしい。社長の言いたいことがわからず、椿は言葉の続きを待つことにする。 「Ameは、性別を公表していなかったよね?」 「え? ああ、まあ、一応性別は未発表ってことにはなってましたけど……でも声とか、服とか、女の子でしたよね。歌番組でもなんでも、皆女の子として扱ってましたよね?」  Ameは性別を公表していなかった。しかし、声は透明感のある、まるっきり女の子のものであったし、服装も、中性的というよりは女の子の服を着ていて、世間の受け止め方は「Ameは女の子」というものだった。浮世離れした雰囲気を大切にしたいために、性別や経歴、プライベートを一切隠しているのだとされていた。 「僕も、Ameは女の子なんだろうなと思ってた。でも最近、女の子みたいな声が出せる男の子とか、動画サイトやなんかで見かけたりするよね」 「……Ameがそうだと?」 「うん」 「志岐が、Ameだって言いたいんですか?」  これまで、事務所内で誰かがそれを言葉にするのを、椿は聞いたことがなかった。  顔はそっくりで、これまでの生い立ちは話さない志岐。もしかしたらAme本人かもしれないという可能性は考えつつも、まさかという思いが椿にはあった。 「今まで、志岐にそれを確かめたことってあったんですか?」 「あった。もちろん。繁華街で売りをしていた天音を一目見て、僕も飯塚君も当然のようにAme本人じゃないかと思った。あれだけ似ているのだから。でも天音は、はっきりと否定した。あの危うい雰囲気があったから、それ以降踏み込まなかった。それを問い詰めることで、天音はここを去ってまた売りをするんじゃないかと思ったから。天音を信じた」 「でも最近、話題になってきているから」 「そう。天音がもっと世間に知られるようになれば、ネットの中だけでなく当然騒がれるようになる。そうなったとき、僕らが本当のことを知らないというのは、許されない。あの子が本当にAmeではないのか、改めて確かめなければならないと思ってる。今回みたいに何かあったとき、守れるように」  知らないと守れないことがある。わかる。  志岐が、Ame。  顔が似ているだけと言われればそれまで。それならもちろん、それでいい。でも、そうでなかったら──  幸せそうに微笑む彼女の姿が椿の頭を過る。  ──俺に希望を、くれた人。 「椿君? あくまで、可能性があるなら確かめようというだけだよ? Ameが男性だって可能性は低いと思うし、ね」 「はい。あ、俺何か変でしたか?」 「ちょっと飛んでた? 椿君Ameの大ファンだもんね。ちょっと複雑か」 「いえ、大丈夫です。志岐がAmeかもしれないって可能性を考えつつ、志岐と話してみます」 「うん。お願いします」 「いえ……っ、俺の方こそ、お願いします。すいません。俺から話すべきことでした。Ameのことも、ストーカーのことも」  社長が頭を下げたから、椿も慌てて頭を下げた。社長は「いやいや、タイミングってあるからねえ」と微笑んでくれた。  その後に出勤してきた飯塚は、椿が落ち込んでいるのを感じたのか「何かあったら連絡しろよ」と珍しく真面目な声を出して椿の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。  不安だった。  やっと笑うようになった志岐が奪われてしまうような、不安。  笑顔を、守りたいと思うんだ。  志岐天音マネージャーとして。友人として。  ◇ 「桜田だろ?」  車に乗り込んだ志岐は、開口一番、不機嫌そうに眉間に皺を寄せて椿に尋ねた。  仕事を一段落つけて自転車を家に置き、車で志岐を家まで迎えに行った。すると、大いに不満そうな顔をした志岐に出迎えられた。  社長と話したあと、志岐に「俺が迎えに行くまで自宅にいてくれ」と電話したから、志岐は桜田がストーカーの件について話したと思ったのだろう。 「桜田はお前のこと心配して俺に話してくれたんだ。志岐が俺には話さないから」 「あーはいはい。椿はどうせ桜田の肩持つんだから」 「肩持つとかじゃないだろ」 「はいはいはい」  不機嫌な様子を隠さない志岐に、椿は眉を顰める。そんなに自分に話したくなかったのかと、苛立つような悲しいような気持ちになる。桜田の言うような、椿に心配をかけたくなかったとか、そういう感じではない気がしたから。 「志岐」  車を運転しながら、横目で志岐を見て、名前を呼ぶ。決して責めるつもりではなかったのだが、志岐は椿が怒っていると感じたらしい。  ぴくりと肩を震わせた。 「ごめん」 「なんで謝んの? 悪いことしたと思ってんの?」  志岐は黙る。  信号に差し掛かったため車を止めて振り返ると、志岐が両手で顔を覆っていて、驚く。  そんな反応をされると椿の方が動揺してしまう。泣かせたいわけではないのだ。責めているわけではないのだ。 「志岐……? 泣いてんのか? 俺怒ってねえよ? そ、そりゃあ、話してほしかったけど、でも」 「話せることは、話そうと思ったのに」  泣いているのかは、椿にはわからなかった。車内は暗い上に、志岐は手を剥がさず、椿に顔を見せなかったから。 「話さない癖がついてるんだろ」  嘘の笑顔を浮かべ、本心を隠す癖が。 「うん」  素直に認める志岐が、可哀想だった。 「ほんとに俺怒ってないから。心配してるだけ。不安だっただけだ。今日、お前の顔見るまで」  椿が怒りを感じるのは、気づけなかった自分自身にだ。  自分の弱さを、きっと志岐は自分でわかっている。人に話せない弱さ、あえて自分を傷つけてしまう弱さ。  わかっていて、また“自傷行為”をしてしまう自分を、志岐はどう思っているのだろう。出会ったとき、自棄になっていた。しかし、今は? 仕事で少し笑顔を見せた志岐。その志岐は、自傷行為を続けてしまう自分をどう思っているのだろう。 「話せないことは、話せるようになってからでいい。でも、こういうことは、話してほしい。マネージャーとして、志岐を守る義務がある」 「……わかった」 「それに友人として、死ぬほど心配するから」  そう付け足すと、顔を覆っていた両手がぱっと離れた。志岐は目を丸くして、椿の顔を凝視する。 「友人? 友達ってこと?」  ちょっと公私混同が過ぎたか? 友人というのは馴れ馴れし過ぎた?   そう思い、訂正しようと口を開きかける。 「友達かあ」  しかし志岐は、言葉の意味を味わうように繰り返し、嬉しそうに口元を綻ばせた。

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