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第三章 六
◇
「はい。わかりました。しばらく仕事は……わかりました。俺は午後には行きます」
翌日、椿は朝一で社長に電話した。志岐はしばらく椿の家で待機することになった。このまま何も起きないようなら仕事を再開。再び隠し撮り写真や手紙、危害が及ぶようなことがあれば再度警察へ報告し、対応を考えてもらうことになった。志岐と椿の家や事務所付近は、警察に見回ってもらえることになっている。
「お巡りさんにびびってやめてくれるといいんだけど」
「俺なんかにそんな熱心じゃねえだろ。やめんじゃない?」
「他人事だな……」
電話を切って、またもこたつで丸くなっている志岐に言うと、志岐は眠たそうに頬を机に着けて答えた。
「俺午後に一回事務所行ってくんな。志岐は? 一緒に来る?」
少し考えたあと、志岐は首を横に振った。
「……飯塚さんに絶対からかわれる。ずっと椿と一緒にいんのかよって」
「えー、いいじゃん気にしなくて。こんなときなんだし」
「いいから。家で待ってる。椿ん家DVDとかあるし」
「はいはい。あるっつってもそんなにあるわけじゃないしなー。映画でも帰りに貸りてくるか」
うちにあるDVDと言えばAmeのDVDだけ……。
そこで、椿は昨日の社長との会話を思い出した。しかし、どんなタイミングで聞くって言うんだと困ってしまう。「お前ってほんとはAmeなの?」って?
「何一人でぶつぶつ言ってんの?」
「いや、何もない」
結局はそう言って誤魔化すしかなかった。
事務所に行った帰り、レンタルDVDを貸りに寄る。
しかし、志岐の好みがさっぱりわからない。電話して聞いてしまおうと携帯を取り出すと、不在着信の表示が目に入った。志岐に何かあったのかと不安になるが、着信は愛梨からだった。
急用だと困るからと思い、椿は一旦店から出て車の通りが少ない静かな路地裏に入り、折り返し電話した。家に帰ってから、志岐のいるところで電話するのが何となく気まずいと思った所為もある。
『ごめん。折返させちゃって』
数コールで電話に出た愛梨の声に、いつものはつらつさがない。何かあったのだろうか。まさか、結婚相手と喧嘩したとか?
「早まるな愛梨。喧嘩の一度や二度で相手のすべてがわかるわけないんだから。よく話し合え」
『は? 何言ってんの? 椿』
どうやら早とちりらしい。婚約者とは上手くやっていて、結婚の準備がなかなか忙しいのだそうだ。そんな近況を少し話しているうちに、愛梨の声にもいつもの元気が戻ってきた。
「結婚式ってそんな前から準備すんだな」
『そうだよー! 招待状考えたりさあ。エステ通わなきゃ』
「うわあ。女子は大変だな。でも愛梨はそのままでもいいんじゃないか?」
『そういうこと言う!? 付き合ってるときは私の外見なんて褒めたことなかったくせに!』
外見を褒めるなんて、高校生の椿にはとても考えられなかった。同じ年の男子より子どもっぽかった自覚がある。女の子に可愛いなどとは、とても言える性格ではなかった。
「今なら爽やかな笑顔で堂々と言えるね」
『そうやって変なとこ自慢するのは子どもっぽいと思う』
愛梨の方が一枚上手だった。
愛梨は高校生のときから大人っぽかった。喧嘩ばかりする椿に呆れながら、椿がうるさいと感じない程度に注意したり叱ってくれていた。その関係は今もあまり変わっていない。
昨日から気を張っていた所為か、愛梨とのやりとりに癒やされる。
その愛梨が、ふと、静かになる。
「どうした? あ、そういえば本当の用事って何だったんだ?」
数秒の沈黙の後、愛梨が硬い声を出す。
『相馬が、そっちにいるって』
椿は頭を急に殴られたような衝撃を感じた。
「え、なんで……?」
相馬は、椿や愛梨の高校の一つ下の後輩だ。地元から離れたここにどうして相馬がいるだと、椿の頭は疑問と焦りでいっぱいになる。
『私は、高校の友達や相馬とつながりがありそうな人に、椿が今どこで何をしてるか、話したことない。椿誰かに言った?』
「……言わない。親も知らねえくらいだ」
『親には言いなさいよ』
愛梨は呆れた声を出す。
相馬がここに。でも、愛梨のそばに現れたと聞くよりはずっと安心だ。
「愛梨のとこには来てないんだな?」
『来てない。相馬はきっと、もう私には関心がないと思う。相馬が関心があるのは、椿が心を寄せてるものだけだよ』
次にゆっくりと口にした愛梨の言葉に、椿の頭は真っ白になる。
『椿は今、守る人がいるよね?』
──思い出した光景は、椿の脳裏に焼き付いて離れないもの。
埃まみれの、使われていない倉庫。顔から、腕から、足から血を流して倒れている愛梨。そばに立つ相馬は微笑む。その整った顔で、綺麗に。
そして椿を見て、ますます笑みを深くした。
“いいよね、女は。それだけで先輩と付き合う権利があるんだから”
寒い。身体は震えているのに、椿は背中にべったりと汗をかく。
志岐に送られてきた写真。相馬がここにやってきたタイミング。偶然か? 俺の今一番大切にしなければならない人。だから志岐に──……
『椿?』
愛梨の声に我に帰り、声を出そうとした。しかし喉に張り付いた何かが、それを邪魔する。
『ちょっと、大丈夫?』
「あ……」
『しっかりしなさい。私が好きになったのは、今も大好きな友人の椿は、喧嘩っ早くてガサツでお馬鹿なヤンキーよ。今も大して変わってないでしょう? こんなときだけ弱気になってんじゃないわよ。私がもう気にしてないのに、椿が気にして弱るなんて冗談じゃない。そんな弱い奴を好きになった覚えはないわ』
椿を叱咤する声は、強い。
あのとき病院で、愛梨の両親に罵倒され、もう二度と関わらないと誓い、別れを言いに行った。そのときも愛梨は言った。「勝手に離れるなんて冗談じゃない」と。
あの頃から、愛梨はずっと強かった。
「……悪い。もう大丈夫だ」
椿は肺に目一杯冷たい空気を吸い込む。身体が、頭が、冷えてクリアになる。
『Ameにそっくりの、椿が担当してる子、この前雑誌出てたね。普通の、私でも見るような雑誌。そこに小さく事務所も載ってた』
「そんなとこから……?」
『椿がAmeが好きなこと、誰かから耳に入ったんでしょう。椿がAmeにハマったのは学校を辞めてからだったけど、その頃は高校の友達とも縁が切れてなかったじゃない? そのとき相馬も学校辞めてたけど、椿の子分みたいなのと関係が続いてたら、聞くこともあったんじゃないかな』
「それで志岐を調べて、俺に辿り着くか?」
『普通辿り着かないよね。でも相馬は、椿に異常に執着してた。椿が興味がありそうなものがあれば、それについてもきっととことん調べたはず』
推測の域を出ない。しかし、すでに志岐に影響は出ている。今回のことが相馬の仕業でなかったとしても、同じ街にいて見つかったら。もしあいつがまだ自分に執着していたら……。
椿の嫌な予感は強くなっていく。
「ありがとな、愛梨。また連絡する」
そう言って電話を切った。
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