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第三章 八
一時間ほど車を走らせ、人通りなど殆ど無い区域にある、今は使われていない何かの工場まで連れてこられた。自分たちが高校生のときに溜まり場にしていたところとよく似ていると思った。
車内で、相馬は一方的に話しかけてきた。それで相馬がどうやって今の椿に辿り着いたのかがわかった。
相馬は二年前、志岐を知った。椿がファンだったAmeと瓜二つの顔に興味を持った。そして志岐を調べるうち、あの動画サイトに辿り着いたのだと言った。
「驚いた。先輩をあんなところで見つけるとは思わないじゃん」
軽く言われ、動画を見られたのはわかったが、相馬があれを見て何を思ったかはわからなかった。
相馬は車を止めると、椿に降りるように促した。
とっくに日が落ちている。チカチカと点滅する頼りない外灯だけが、辺りを微かに照らす。
「こっち」
そう言って、手を引かれる。振り解こうとすると痛いくらいに握られ、逆らうのはやめようと、そのままにした。
志岐はこんなところに?
あいつ寒がりなのに。相馬が温かくしてくれてるなんて思えない。絶対凍えてるだろう。怖いだろうし、震えているに違いない。
そう思うと、早く早くと椿の気持ちは急く。しかし相馬は、ゆっくりと歩いた。
工場の、おそらく倉庫として使われていた建物。そこの地下に降りる。手を繋がれたままでバランスを崩し、転がり落ちそうになりながら、階段を下っていく。
薄ぼんやりとした灯りは、相馬がここに来るために予め点けておいたものなのだろうか?
志岐がいるところも、明るいといい。
「先輩、こっち」
階段を降り切り、さらに奥へ進む。中は広いようにも感じるが、灯りがあるのは階段の周囲のみで、奥の方は真っ暗で何も見えない。長く人が足を踏み入れていないような、埃っぽい空気を感じる。
「相馬、ほんとに志岐はいるんだろうな?」
そう聞くと、相馬は足を止めた。
「そんなに心配?」
「当たり前だ」
「先輩はさっき、志岐天音が仕事のパートナーって言ったけど、ほんとにそれだけ?」
何が言いたい? 振り向かないから、表情がわからない。いや、表情が見えたところでどうせ薄ら笑いを浮かべ続ける相馬から、何がわかるとも思えないが。
椿の手を握る手は、冷たい。
「先輩、俺のこと嫌いじゃん」
「……よくわかってるな。だったら放っておいてくれ」
「でも俺は好きだから」
手が、さらにきつく握りしめられる。
「……痛い」
「俺が嫌いで、存在すら感じたくないくらいに避けてたくせに、逃げたくせに、志岐天音のためだったらこんなところまで来るのか」
「聞いてたか? 俺は志岐のマネージャーなんだよ。志岐を守るのは、仕事だ。志岐はどこにいる?」
相馬は手の力を緩める。
「電話」
「は?」
「そろそろじゃないかな? 志岐の電話見てみなよ」
椿は志岐の携帯をポケットから取り出す。携帯の明かりを眩しく感じ、目を細めた。
地下だが辛うじて電波が入っていることを示しているのを確認した。マナーモードにしていたから気がつかなかったが、そこに着信を示すマークが出ている。何度かかけられてきているようだ。
番号は、葉山社長のもの。
「やっぱり。そろそろ目が覚める頃だからさ、誰かに連絡させると思ったんだ」
「……どういうことだ」
相馬は振り向く。やはり、微笑みを浮かべている。
「先輩の家で、志岐天音に睡眠薬を飲ませた。その効き目が切れた頃かなってこと。自分の携帯がなくなっていることに気がつけば、連絡するだろうなって」
「……志岐を拉致したってのは、やっぱ嘘か」
「嘘だけど、先輩がまだ来なかったら、ほんとに連れてこようとしてたんだ。ちょっと様子を見に外に出たら、ちょうど先輩が帰ってきたところだったってわけ」
志岐がここにいないのなら、椿に用はない。
「じゃあな。俺は志岐から離れる。だからもう手出しするな」
椿は今度こそ手を振りほどき、踵を返す。
しかしそのとき、突然背中に衝撃があり、前のめりに倒れた。地面に積もった埃が舞った。背中を蹴られたのだと気がついたのは、思わず着いた手よりも、背中に呼吸を苦しく感じるほどの痛みを感じたからだ。
「油断」
見上げると、相馬が冷たい瞳で見下ろしていた。薄暗い光を受け、仄暗く光る瞳。
油断。そうだ。油断していた。相馬が自分に手を出すことはないと思っていたから。
呼吸を整えて、椿はゆっくりと立ち上がる。ズキンズキンと、背中は痛む。しかし動くには問題ない。
「はは、カッコイイ。俺が好きな顔になった」
立ち上がった椿を見て、相馬は楽しそうに笑う。
相馬の方が背は高い。高校生のときよりも、体格も良くなっているように見える。しかし、喧嘩慣れしているのは自分の方だと思った。
志岐が人質にとられていないのなら、遠慮はしない。
「もっとその顔見せて」
相馬が何を言っても答えない、集中すると決めて、椿はふうっと長く息を吐いた。
隙だらけだ。相馬は、喧嘩は上手くなかった。椿の後ろをひょこひょこ着いて来て喧嘩に巻き込まれてはいたが、率先して喧嘩をするタイプじゃなかった。それでも攻撃は様になっていたが、防御はからきしだった。
だから一発殴って終わりにすると、椿は心を決める。
拳をかまえると、相馬はますます嬉しそうな顔をした。それには構わず拳を突き出そうとしたところで、椿は見てしまった。
──自嘲するような笑顔を浮かべる相馬を。
志岐が自傷行為をするときと、似てる。自分を嘲るような笑顔。
それに気がついて一瞬手が止まってしまい、まずいと思ったときには今度は腹に衝撃を感じて崩れ落ちた。思いきり蹴り上げられて、椿は胃に残っていたものを吐いた。
「 先輩ほんと、甘くなったね」
にっこり笑う相馬を地面から見上げるが、その顔が霞んでくる。
……マジ容赦ねえ。これヤバイんじゃねえの?
そのまま椿は意識を失った。
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