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第四章 一

 椿。  ありがとう。  ありがとう。  なかなか素直に言えなくてごめん。お礼だけじゃなくて、話せないことばかりで。  椿は俺に自分のこといっぱい話してくれたのに、俺はほんとのこと、話せなかった。俺が話したくなるまで待つって言ってくれたのに、結局話せないままだった。  でも、俺のことをただただ見ていてくれたこと、嬉しかった。  汚れきっている俺のことを、綺麗だと言ってくれて嬉しかった。  こんな俺でも、少しは支えになれることもあるってわかって、嬉しかった。  ありがとう、たくさんの喜びをくれて。  あなたがくれた言葉が、俺の宝物になった。  言い尽くせない、想いがあるよ。    だけど。  だけど──……  ごめんなさい。  ──さよなら、椿。    ◇  クリスマス目前の街中は、どこを見ても浮き足立っていて、一緒にクリスマスを過ごす恋人などいない椿も、どうしてもそわそわと落ち着かない気分になっていた。  志岐はそんな椿を馬鹿にしつつも、秋には落ち葉を踏みながら一緒に歩いた並木道が、今オレンジ色の灯りに飾られているのを見て、目をキラキラとさせていた。それを見て椿まで一緒になってはしゃいでしまって、飯塚に冷やかされることになった。  志岐は仕事を再開させた。  しかし社長はいい機会だったからと、志岐のAVの仕事をぐっと減らした。志岐はそれに不満を漏らしたが、セックスしなくてもいいことを、どこかほっとしているように椿には見えた。 「へえ。これあめがやるんだ? 確かに似てるね」  桜田が漫画を見ながら言った。  椿の家のこたつに桜田と志岐が入っている姿は、見慣れた光景となっていた。今日もまた、二人が椿の部屋でくつろいでいた。  こたつの上に漫画が積まれている。その一つを見ながら、桜田は嬉しそうにしている。 「いいねいいね。ここからちゃんと演技の勉強してみるっていうのも」 「演技なんて俺できない。そもそも、その役だって決まってないんだよ。オーディションやるって言ってたから、そこで落ちて終わりだろ」 「オーディションって言っても、あめにぜひって来た話だろ? ほぼ決定じゃないか」 「でも俺の演技に不安があるからオーディションするんだろ。俺演技なんかできないし」  志岐の機嫌は悪い。  この仕事、気に入らないと言ったのに椿が勝手に引き受けてしまったからだ。  志岐に映画に出てみないかという話がきたのは、一週間ほど前のこと。以前載った雑誌の編集部を通して、椿に連絡がきた。  何でも、今度その出版社から出ている漫画が映画化することになったのだが、配役に原作者が納得せずに困っているらしい。その役というのがAmeをモデルにしているらしく、Ameと顔がそっくりな志岐にぜひ、と話がきたのだ。その時点で志岐は断れと言っていたのだが、椿は断らずに、その後プロデユーサーから正式に話をもらった。そしてオーディションを受けることを了承してしまったのだ。 「BL漫画ねえ。こういうの流行ってるんだね。見てみて、結構ハードなことしてる。あはは、ローター挿れたままデートって。やってみる? あめ?」  桜田が志岐に漫画を見せながら言うと、志岐は冷たい視線を向けた。 「お前が挿れるならいいよ」 「うーん。考えとくね」  オーディションは来週行われる。それが決まってから志岐は機嫌が悪い。それでも誘えば食事をしに椿の家に来る。  そういうところが可愛いと思う。……可愛い?  志岐は可愛い顔してるけど。何の違和感もなく普通に思ってしまうところは問題だろう、と椿は内心溜息を吐く。思っていると時折、口をついて出てきてしまうから。思わず言ってしまうと、志岐からとても嫌そうな目で見られるのだ。椿に可愛いと言われるのが、心底嫌なように見える。 「そういう漫画お前読むの?」  まだ漫画を読んでいる桜田に、志岐が訊ねた。 「漫画は読まないなあ。やっぱり三次元がいいよね。ねえ? 椿君?」 「はあ!? いや!?」  急に話を振られて変な声が出た。それを見て志岐がまた冷たい目を向けてきた。 「椿は二次元がいいんだ。へえー」 「ちげーよ!」 「ま、漫画の方が可愛いもんな。実際はあんな気持ち悪いもんだし」  吐き捨てるように言う志岐が、自分のAVのことを言っているのだとわかる。 「可愛いよ、志岐のは。やってることは、確かにグロいのもあるけど、志岐は可愛い」  自分が何か変なことを言ったとわかったのは、志岐と桜田が目をまん丸くして見ていたからだ。 「変なことばっか、言ってんな……っ」  顔を真赤にした志岐は、こたつを出てトイレの方に行ってしまった。  桜田はそんな椿たちを見て腹を抱えて笑っている。 「んな笑わないでくださいよ!」 「だって椿君てほんと、素直っていうかすぐ顔に出るっていうか言葉に出るっていうか……っ、あはは、可愛いなあ」  焼いちゃうけどね、と付け足した桜田に、椿は口を噤む。  告白されてからだいぶ経つが、桜田からその話をしてきたことはない。  何らかの返事を、自分からするべきなのだろうかと、椿は悩んでいる。 「あー、今度は俺のことで何か考えてるでしょ。ほんとわかりやすいなあ」 「ほんっと! あんたはわかったら口に出さずにはいられない人だな!」  桜田はおかしそうに笑ったあと、ふと椿の手に触れた。そっと、温かい手に包み込まれる。 「元気になってよかった」 「……ご心配おかけしました」 「あめが次のステップに進めるかもしれない大事なときでしょう? 俺のことはまた今度余裕ができたときに考えてくれればいいから」  桜田は立ち上がる。 「さて、俺はそろそろ帰ろっかな」 「あ、送ってきます」 「いいよ。あめと話しな。オーディションあるならちゃんとあの子をやる気にさせなきゃでしょ? マネージャーの力の見せ所だよ」  そう言って笑う桜田に、椿は不思議になる。 「桜田さんって何でそんなに……」 「優しいって?」  クスっと笑ったあと、桜田は笑い方を変える。色っぽく目を細め、口角を上げた。 「椿君を落とすために優しくしてるんだよ。俺に感謝してくれる気持ちを、恋と錯覚してくれないかと思って」  桜田はそう言って、椿に顔を近づける。唇が触れそうになる。 「さっさと帰れこの変態」  ぐえっと変な声を出したのは椿だった。志岐が桜田の背中に蹴りを入れて、桜田が前のめりに倒れてきたのだ。桜田の頭が顎に入り、結果的に一番ダメージを食らったのは椿だった。 「椿に迫るな。ヤりたいなら俺がヤってやるから」 「いてて……あめ、暴力はいけないよ暴力は……」 「溜まってるなら、俺とヤろうよ」  椿の上に倒れこんだことをいいことに、椿の尻を揉んでいた桜田が起き上がる。 「ヤる? あめ?」 「うん」  志岐が頷くのを見て、椿も慌てて起き上がる。桜田の前に志岐が膝を着いたから、桜田が近づけないように羽交い締めにした。 「いたた今度は椿君?」 「志岐っ、溜まってるなら自己処理しなさい! 桜田さんものらないでくださいよ!」 「椿くん、ヤキモチ?」 「ああもう面倒臭いな! さっさと帰ってください!」  椿が腕を離すと、桜田は名残惜しそうに再び起き上がった。渋々コートを着ている。  志岐の今の言葉が、椿には冗談に聞こえなかった。  セックスが嫌いなはずなのに……仕事でできないから? 自分を傷つけずにはいられないからか?  志岐を見れば、また桜田にからかわれてむっとしている。  前ほど危ういことはない。しかし時折、こうして志岐がよくわからなくなる。そのうちわかるようになればいい。それまで待とうと思ってきたけど、最近の椿は、こんな風に自分のよく知らない志岐を見ると、ひどく不安になった。  相馬のことがあってから、自分の方が志岐に依存してるのかもしれないと思った。 「あー! 駄目だー!」  椿の声に志岐と桜田が驚いて振り返る。 「志岐、話そう。うん。それが一番いい。ちょっと腹割って話そう!」 「な、なんだよ急に……」  志岐は引き気味だが気にしない。  桜田は可笑しそうに一笑いして帰って行き、椿と志岐は二人きりになった部屋で正座して向かい合った。

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