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第四章 二
「なあ、寒い。こたつ入ろ」
「駄目。志岐こたつ入るとすぐウトウトすんだろ」
「するけどさ……何? 桜田誘ったのがそんなに気に入らなかったの?」
志岐は不貞腐れたようにそっぽを向いている。こういうところは子どもっぽいと思う。
「お互いいいって言ってんだから、別にヤったっていいじゃん。椿は自己処理しろって言うけど、扱くだけと挿れられんのは全然違うんだよ」
「でも志岐、セックスは嫌いだって言ってただろ」
そう言うと、志岐はぱっとこちらを向いた。なぜか驚いたように、椿の顔を見ている。
別に変なことは言ってないよなと、椿は少し不安になる。
「お、覚えてたのかよ……」
「忘れるわけないだろ、志岐のことなんだから」
「でも……、それ言ってからも、俺が何度も男とヤるとこ見てんじゃん……何度も何度も、男咥えて悦んでただろ」
「だから俺が志岐の言葉を信じてないと思ったのか?」
確かに、何度も射精して、気持ちよさそうにしていることはあった。でも決して、心は喜んでなんかいないとわかっていた。
志岐は椿を見続けている。椿の言葉を待っている。
「志岐はセックスが好きじゃなくて、でも自分が傷つくためにやらずにはいられない。ワガママで子どもっぽいけど、人のことを守ろうとする強いとこもある男」
志岐の膝に乗せられた手が、震えるのが見えた。
「何か間違ってるか? 俺が知ってる志岐天音っていうのは、そういう男だよ。なあ、どうしてもヤらずにはいられないのか? さっき桜田を誘ったのは、AVの仕事を減らされたから?」
教えてほしい。志岐のこと、もっとわかりたいから。志岐に依存しているのかもしれない。自分も志岐も、お互い踏み込み過ぎてるのかもしれないと、椿は思う。でも、もっと知りたいと思ってしまう。
椿は志岐のことで知らないことがあることが、不安だった。
志岐は一度きゅっと引き結んだ唇を、ゆっくりと解いた。
志岐の躊躇いが見える。椿に話してもいいことなのか迷いながら、言葉を探しているように、瞳を彷徨わせる。
「俺が、一番嫌なのは、男とヤること」
「うん」
「俺が、ここにいんのは、自分への罰だから、ヤんなきゃなんない」
途切れ途切れに、絞りだすように、志岐は言った。それは椿が初めて聞くことだった。
ここにいるのが、罰?
「それは、罰って……」
「ごめん……もう、話せない」
志岐は、ごめん、とまた重ねた。
俯いてしまった志岐の、頼りない白いうなじが見える。出会った頃より少し伸ばした髪。その髪が流れる首筋がなんて細いんだろうと、椿は心細く思う。
「志岐、映画の仕事、嫌か?」
ぴくりと、志岐が身体を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
「嫌だ……できない」
「嫌なら、それはAVの仕事と変わらない? その仕事は、お前にとって罰にはならない?」
罰になんてしてほしくない。けれど、そういう建前なら、志岐はこの仕事を受けてくれるのではないかと思ったのだ。受けてくれたら、きっとこれは志岐にとって転機になる仕事だと思ったから。
単館映画の、それもあまり大衆受けをするとは思えないBL映画だけど、それでも志岐にとって何か変わるのではないかと思った。
だからきっかけは罰だと思うのでもいいから、やってみてほしい。
「罰……そう、だね。罰かもしれない……」
そう言って笑った志岐を見て、椿は何か間違ったとわかった。しかしそれが何か、わからない。
「うん……それなら、やろうかな……」
志岐は近くに積んであった漫画を一冊手にとった。
「これ、歌も俺が歌うの?」
この漫画は、志岐演じるアイドルがファンである一人の男と恋に落ちるというものだ。歌を歌うシーンが何度かある。
「できれば役者に歌ってほしいって言ってた」
「……そう。はは、ますます罰だな……」
「志岐」
本音で話せたつもりだった。本音で話したかった。しかし志岐は話せば話すほど、今傷ついているように見える。
何を間違えた?
「いいよ、大丈夫。やるよ、椿。椿が俺のためにって、持ってきた仕事だもんね……」
どうして志岐は、嘘の笑顔を浮かべているんだろう。
◇
「椿ちゃーん、あつーいコーヒー淹れてー」
外回りから帰ってきた飯塚に命じられ、椿はデスクから立ち上がってコーヒーを淹れた。
飯塚はコートを適当に折りたたみ、椅子の背もたれに引っ掛けて座った。
「外さみーよー」
「ま、もうクリスマスですもんね」
「はえーよなー。あと一週間で今年も終わり! ああ年取ると時間が過ぎるのが早くて敵わねえよ」
椿はぶつぶつ言っている飯塚の前にコーヒーを置く。
「志岐のオーディション明日だっけ? よく受ける気になったな、あいつ。やる気にさせるなんて、やるじゃん」
飯塚に言われ、愛想笑いを返そうとして失敗する。笑いたいんだかなんなんだかわからない顔を作ってしまった。
「変な顔」
「元々です」
「いや、元々は可愛い顔してんじゃん? 何か悩みあるなら若林が聞くってよ」
向かいにいた若林が、急に話を振られて驚いて顔を上げた。それから不満そうに飯塚を軽く睨む。
「なんで俺ですか。椿のことが心配でしょうがないのは飯塚さんでしょ。素直に相談にのればいいでしょうが。俺に相談にのせといて、あとから根堀り葉堀り聞いてくんのやめてくださいよ」
「この、若林のくせに生意気な」
「あーはいはい。椿、ほんとに何かあるなら聞くからね」
飯塚に向けるのとは別の、穏やかな笑顔を椿に向けて、若林は言った。
その若林を見て思い出す。志岐のマネージャーになってしばらく経った頃、志岐の仕事について相談したときに、若林に志岐の選択の自由を奪ってはいけないと言われたことを。いくら椿が志岐のためになると思ったことでも、強制させるべきではないと教えられた。
「俺、志岐の選択の自由を、奪ってるかもしれない……」
志岐が信頼を寄せてくれるようになったのがわかる。しかし志岐は、それを表すのが下手だ。口は生意気なことばかりを言う。志岐もそれをわかっている。だから信頼を、椿の言うことを聞くことで表そうとしているのかもしれない。
志岐は自分を犠牲にすることに慣れている。恐怖さえも抑えて、自分を守ろうとしてくれた志岐のことを思う。
俺は、そんな志岐に甘えている? 俺への信頼を利用して、志岐に仕事を強制してる?
罪悪感にも似た気持ちが、椿の心の中に広がっていく。
「距離が近すぎて、見えなくなってる……」
志岐のため。そうなんだけど。
「またこの子難しいこと考えてるよー。お馬鹿なのにー」
飯塚の声で我に返る。
「強制しちまったのかなって思ったら、志岐に聞いてみればいいだろうが」
「そうだね、椿。以前なら話してくれなかったかもしれないけど、今の志岐と椿の関係なら、ちゃんと答えてくれるんじゃないか?」
話してくれるだろうか。そんなことはないと、今の、仲が良くなった関係だからこそ、志岐は強制されたんじゃないと言うんじゃないかと思う。
「この子どうしたのかしらねえ。勢いだけが取り柄だったんじゃなかったのかしらねえ」
「飯塚さん何ですかそのカマ口調は」
若林が呆れたように溜息を吐く。
「まあ椿、志岐と話さないことには何も始まらないだろ」
「でも、昨日もそう思って話したら、逆に志岐を傷つけたような気がするんです……」
なおも椿がぶつぶつと言っていると、飯塚が突然吹き出した。何が面白くて笑っているのかわからず、椿と若林はぽかんと口を開けて見つめてしまった。
「何だか椿の彼女の相談でもしてるみたいだなと思ってよ」
彼女という言葉に、椿は驚いて間抜けな声を上げた。
「はあ!?」
「あはは、確かに」
「若林さんまで!?」
飯塚はまだしも、若林にまでそんなことを言われるなんてと、椿はショックを受ける。もはや社長に相談するしかないのか……。
「ごめんごめん椿。そんな気負うなよ。明日がオーディションなんだから、今から断れないだろ? だったらもう、志岐に気持ちよくやってもらえるように乗せることだけを考えるのもいいのかなって思ってさ。それこそ、彼女のご機嫌とるみたいに」
最もらしいことを言われても困る。なにせ彼女なんていうのは今いないし、ちゃんと付き合ったのも愛梨くらいだったから。
付き合っていたときも、愛梨のご機嫌をとるなんてことは考えたことがなかった。あとになって愛梨に「椿は女心がまったくわかってなかった」と言われて傷ついた。
いや、志岐に女心も何もないけれど。
「ちょうど今日イヴじゃーん。椿、志岐とデートしてきたら?」
「デートって……」
「そこはほら、若林、デートプランを考えたまえ!」
「は!? そここっちに振ってくるんですか!?」
飯塚は若林に押し付けて、パソコンを起動させて一人仕事を始めてしまった。
この人相談に乗る気があるんだかないんだか、と呆れるが、気にかけてくれていることは嬉しく思う。
とりあえず、このまま時間を取るのも悪いからと、椿は若林にお礼を言って話を終わらせた。
「なんだか結局何の解決策も出せなくてごめんな」
「いえ。ちょっと志岐とデート、考えてみます」
「あはは。まあ、二人で遊びに行くなんてこと今までなかったんだろうし、ゆっくり外食でもしてきたらどうだ? この時間からだからあんまり遠くは行けないだろうけど」
若林が腕時計を見ながら言った。
外食……。なるほどと、椿は少し考え込む。食事というと自分の家が多かったが、明日は志岐の初オーディションだし、ちょっと特別なことをしてもいいかもしれない。
「ありがとうございます。何か食べたいものないか聞いてみます」
「椿―、今日もう特にすることもねえだろ。志岐んとこ行けー」
飯塚さん、聞いてたのか。
「わかりました。前日に社長に会っておきたかったんですけど」
「年末は社長も忙しいのよ。俺今日遅くまで居残りだから社長に伝えといてやるよ。椿ちゃんが悩んでるよって」
「……いいです。自分で言います。飯塚さんからだと何か捻じ曲げられて伝わりそうっすから」
そう言ってコートを持って立ち上がった。身支度を整えて若林にもう一度お礼を言う。
俺にはー? なんてニヤニヤして言ってくる飯塚には言いたくなくなるが、引きつりながらも一応お礼を言った。心がこもってないー、なんて文句を言われたが。
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