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第四章 三
「寒っ、雪降りそう……」
外に出てから一人ぼやく。
デートしませんか、とメールをしてから志岐の家にゆっくり徒歩で向かった。
メールの返信はない。
もしや、珍しく出かけている?
あれ? そもそも考えていなかったが、志岐って恋人はいるんだろうか。そうだとしたら、イヴの今日は本当にデートしていたりするのか。そしたら俺って相当空気の読めない奴にならないか!? と、椿は内心焦りだす。
家に行って志岐がいなかったら大人しく戻って、一人寂しくイヴを過ごそう。桜田も相馬も誘ったら来てくれそうだけど、二人ともにいらぬ期待を持たせそうで誘えない。
自分にはこんなとき一緒に過ごしてくれる友人さえいないのかと、やや落ち込みながらも志岐のアパートに到着する。期待せずにインターホンを鳴らすと、中からバタバタと駆ける音が聞こえてきた。
古いアパートだし、音が響くんだろうなと呑気に考えていたら勢い良くドアが開き、椿の顔面を直撃した。
「え、何やってんの椿?」
志岐はあまりの衝撃にしゃがみ込む椿に、心底不思議そうな顔を向けた。
「お、前、勢い良く開けすぎ……っ」
「は? え、まさかドアで!?」
志岐も慌ててしゃがむ。両手で覆っていた顔を見せると、さらに慌てた。どうやら鼻血が出ているらしい。
「つ、椿、とりあえず入って!」
部屋に入るよう促され、椿は床に血が落ちることがないように上を向く。
うえっ、喉に血が落ちてくる。
「志岐―、ティッシュくれー」
「ちょ、おい、玄関座ってないで上がれよ」
「大丈夫だよ。鼻血くらいすぐ治まるし。鼻の骨折れてるわけでもなさそうだし」
「怖いこと言うなよ」
「昔喧嘩して折ったことあってさ、そのときもっと痛かったし血もすごかった」
「……はい、ティッシュ」
ティッシュをもらって正面を向くと、血が手の中に落ちてくるのを感じた。血の勢いが止まってきたら、ちぎって突っ込んでおこう。
「ほんと、折れたりしてないの?」
「大丈夫大丈夫」
余計な話をして心配させてしまっただろうか。
ある程度血の量が減ってきたところで、ティッシュを丸めて突っ込んだ。
「鼻曲がってねえだろ?」
「……血は付いてるけど」
「なら折れてねえよ」
そう言うと、志岐はやっとほっとしたようで、椿が顔を拭けるようにタオルを濡らして持ってきてくれた。温かいタオルで顔を拭き、よく確認してティッシュを鼻から取った。
「うし、大丈夫。さあ出かけようぜ」
「落ち着きないな。ちょっと休んでから動きなよ」
そう呆れたように言って、血の付いたタオルを持って志岐は立ち上がる。
「あ、それ汚してごめんな」
「そんなこと……俺の方がごめん」
「あはは、あんなに勢い良くドア開けてくるとは思わなくてびびった」
思い出したらおかしくて笑ってしまう。
玄関まで駆けて来たところといい、志岐らしくない。いつも、ガサツな言葉に反して志岐の動作は静かだったから。
「……椿が変なメールしてくるから」
「ん? デート?」
何気なく聞き返すと、志岐はうっ、と言葉に詰まる。
「そ、の、デートってなんだよ……!?」
「や、イヴだし」
「なんでイヴだからってデートなんだよっ」
「いいじゃん、細かいことは。駄目かよ、俺とデートじゃ? ……デートする相手いんのかよ」
「い、いないけど」
「じゃあいいじゃん」
うだうだ言う志岐を促すと、まだ何か言いたそうではあったが、渋々コートを着て出てきた。
身体のラインが綺麗に見えるPコートに、マフラーを巻いている。口元をそこに埋めていた。
◇
「なんか、高校生の女子に見えんな……」
「……」
最寄り駅から三つほど電車で行ったところが、今イルミネーションが綺麗で賑わっていると若林に聞いていた。そこに向かう電車の中、不思議と黙り込んでいる志岐にそれを言うと、ますますマフラーを引き上げて、鼻まで隠してしまった。
「あのさ、それ何なの」
自分とデートと言ったって、志岐が喜ぶわけないとは思ってた。でもこんなに黙りこんで、不満そうな顔をされるとも思わなかった。ちょっと楽しんでくれるかな、なんて思っていたから、椿は少し寂しさを感じた。
マフラーの所為で襟足が隠れていて髪の長さはわからない。志岐は元々小柄で細いし、男が着てても女が着ててもおかしくないようなコートを着ているため、女にも見える……と思って思わず口に出したのがいけなかったのだろうか。
女みたいなんて言われたら普通は嫌か? 自分が空気を読めてなかった? そもそも誘ったのが悪かった?
悶々としてきて、椿まで無口になってしまう。
無言で窓の外を見つめる志岐の視線を辿って、椿も外に視線を向けた。
日は落ちているが、イヴだけあって人通りが多く賑わっている街が見える。
自分と二人より桜田を呼んでわいわいする方が、志岐は楽しかったのかもしれない。イルミネーションを見たら、やっぱり家に戻っていつも通り桜田を呼ぼうかなと椿は考え始めていた。
改札を出ると、志岐は寒さに身体を震わせた。白い息が吐かれるのを見て、やっぱりオーディション前日に寒いのが苦手な志岐を外に出したのは間違いだったなと反省する。絶対早く帰りたがっているに違いない。
震える背中を見て、可哀想になった。
「行くか」
さっさとイルミネーションを見て帰ろうと、椿は歩き出す。しかしその後ろを、志岐、はついて来ない。あれ? と思って振り返ると、大きな瞳が何か言いたげに椿を見つめていた。
「志岐? え、何か嫌だった?」
怒っているのか?
何せ顔の半分がマフラーに隠れているから、表情がわかりにくい。志岐は外に出てから喋らないし。
「なあ、何? 言ってくんなきゃわかんねって。なんで喋らないの? 怒ってる?」
カップルで賑わう駅前。自分たちはイヴに喧嘩する残念なカップルにでも見えているだろうなと思う。
志岐は首を振る。怒ってはいないらしい。ではなぜ喋らないのか、椿が困り果てた頃、志岐がすすっと身体を寄せてきた。少し迷うように、椿の腕に手を回す。そしてその手が、ゆっくりと降りて、椿の手に触れた。
「志岐……?」
冷たい手だ。細い指。それが、椿の指に絡む。
「えーっと、志岐さん?」
椿がどぎまぎとぎこちない動作で志岐を見ると、面白そうに目を細めた志岐が、椿の耳に唇を寄せた。
「デート、だろ?」
吐息は熱かった。
その温度が耳から全身に伝わったようだ。身体が火照るのを感じた。きっと顔も赤くなっている。それを見た志岐は、ますます楽しそうに目を細めて、スキップでもしそうな軽やかな足どりで人混みの中を歩き出した。
つながれた手に誘われるまま、椿も足を動かす。
さっきまで機嫌悪そうにしていたのにと、呆気にとられる。
「つーかこっちじゃねえ! イルミネーションあんのはあっちだ!」
気を取り直して、志岐を引っ張って椿がリードして歩き出した。
ちらっと志岐を盗み見ると、マフラーの中の口元が微笑んでいるのが見えた。
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