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第四章 五

 ◇  オーディションは無事に終わった。元々ほぼ志岐で決まっていたものを、志岐がAV男優であることから反対の声が上がり、他の候補者を連れて来たということだったから、結局志岐に決定したのは納得の結果だった。  原作者の女性漫画家もオーディションには立ち会っていたが、一目で「やっぱりぴったり!」と感激していた。  監督やプロデューサーを納得させたのは、Ameをモデルにして描かれたというキャラクターにそっくりな志岐の容姿ではなく、歌だった。  オーディションではAmeの歌を歌わされた。  この前椿に歌ってくれたときは、声を抑えて優しく、まるで子守唄のように心地良いものだったが、今回はアップテンポの曲を明るい声で歌った。透明感のある声に変わりはないのだが、それに華やかさが加わる。  こんな歌い方もできるのかと、志岐のマネージャーである椿の方が驚いてしまって、プロデューサーに呆れられてしまった。  主演であり、志岐の相手役になる男、三上智(みかみ さとし)は若手の舞台俳優で、まだあまり売れてはいない。このような映画に出るのも、話題になるのを狙ってだろう。少し変わったことでもしないと生き残れないから。  年が明けて、いよいよ撮影が開始された。  歌は想像以上だと言われ、誰からも評判はよかったのだが、問題は演技だった。  志岐は演技が下手だった。  それは椿もわかっていた。しかしAVの撮影のときには、ほとんどがセックスをしている場面であるし、あまり目立たなかったのだ。  志岐自身もそれをわかっているから、演技が上手い同年代の俳優たちを食い入るように見つめて何かを学ぼうとしていた。 「雅人、結局雅人は僕が歌手だから好きなんだ。ほんとの僕のことなんか見てない!」 「そんなことない! サキが歌を歌っていなくったって俺は……!」 「嘘だ!」  志岐が三上を突き飛ばす。三上がよろけた隙をつき、志岐は走り去っていく。  カット、と監督の声がかかる。  今日はスタジオでの撮影だった。歌番組の収録に観客として来ていた三上演じる“雅人”と、志岐演じるアイドル“サキ”が、些細なことから言い争いをしてしまうという場面だ。  パイプ椅子に座っていた監督は立ち上がり、志岐に声をかける。 「志岐君、ここは好きになりかけてる相手を信じられないって場面。このときのサキの気持ちは?」 「え……っと、悲しい……?」 「うーん……志岐君、少し話そうかな。ちょっと休憩―!」  セットから志岐が出てきて監督と隅の方で話し始め、撮影は一時中断となった。  椿は志岐が頑張っていると思う。原作の漫画も台本も読み込んで、キャラクターの心情もよく考えている。しかしそれをどう解釈したのか言葉にするのも苦手だし、演技として表すこともできなくて、結局何も考えていないように現場では捉えられがちだった。 「また中断か」 「ほんと顔だけで選ぶとかやめてほしいよな。進まねえよ」  そのためか、共演者との関係は良くない。特に相手役の三上智との相性が最悪だった。  三上は志岐より一つ年下だが、精悍な顔立ちをした背の高い男で、落ち着いた物腰から志岐より年上に感じることも多かった。ボーイズラブという特異な分野の映画だが、真摯に取り組んでいるのがわかる、好感を持てる人物だった。しかしだからこそ、本業をAV男優としていて、ろくに演技もできない志岐が気に障るようだった。  大袈裟なくらいに大きな溜息を吐き、三上を含めた共演者がセットから降りて椅子に座った。スタッフが紙コップに飲み物を淹れて持ってくる。椿は何となく気まずくて、少し離れたところからそれを見ていた。  額にかかる黒髪を掻きあげた三上の動作は様になっていて、さすが俳優だなと、椿は緊張感もなく感心していた。  すると、そんな椿の緊張感のなさが変に浮いてしまったのか、三上がキっとこちらを睨んできた。  ヤンキー時代の習性で思わず睨み返してしまいそうになるが、志岐の演技が原因なのだからそんなことしては駄目だと言い聞かせ、椿はぺこりと頭を下げた。  大丈夫。こういう対応で……大丈夫だよな ?   なにせ、椿も映画の撮影現場なんて始めてだ。自分の立ち位置がよくわからず右往左往している。  椿の心配をよそに、三上はずんずんとこちらに向かって歩いてくる。  椿はとりあえず愛想笑いを浮かべるが、三上はますます苛立ったように近づいて来る。 「あの、えっとあの」  戸惑いから情けない声が出てしまった。椿のそんな声から、三上は椿が志岐に振り回されている気の弱い可哀想なマネージャーだと思ったらしい。苛立ちから椿を憐れむような表情に変わったのを見てわかった。  まあ、感じ悪くされるよりはいいか。こういうとき童顔が役に立つと、椿は無理矢理前向きに考えた。 「志岐天音さんのマネージャーさん?」 「はい。あ、椿由人です」  とりあえず名刺でも渡しておくかとも思ったが、すぐに撮影に戻ることを考えると、迷惑かもしれない。三上のマネージャーには渡したし、いいかと思い直す。 「大変っすね」  三上は椿の隣に立ち、話しかけてくる。 「そう……ですね。なかなか満足できるような演技ができなくて、志岐自身も焦ってます」 「あ、いや、まあそうですけど……マネージャーさんも大変だなって」 「俺ですか? 俺は別に大変なことはないですよ?」  そう答えると、三上は壁に寄りかかっていた姿勢を正し、椿の正面に立った。  正面に立たれると余計に身長差を感じる。見上げる顔は男前だと思う。相馬や桜田も整った顔をしているが、二人ともソフトな印象を受ける顔立ちだから、三上のようなはっきりとした顔立ちの整った顔というのは見慣れていない。  思わずじっと見つめてしまっていたらしい。気まずそうに、三上は目を逸らした。 「あなたはこんな仕事がしたくてやってるんですか?」  ぶっきらぼうに聞かれ、椿は眉を潜めた。  こんな仕事? マネージャーの仕事ってことか? 「どういう意味ですか? こんな仕事ってマネージャーの仕事のことですか? そういう言い方は三上さんのマネージャーさんにも失礼じゃないですか?」  少し低めの声で答えると、椿を気の弱い男だと思っていたらしい三上は軽く目を見開いた。 「ち、違います! そうじゃなくて、AV男優なんかのマネージャーになってっていう……」 「なんか? 俺は志岐のマネージャーになったことを後悔なんかしていません。志岐は確かにAVの仕事をしています。あなたがそれで志岐を蔑むのも仕方がないのかもしれない。ですが、今のこの仕事中に志岐がAV男優だからと言って関係を悪くするようなことをされるのは、納得いかない。映画が撮り終わるまでは、志岐とわかりあえるように努力していただきたい」  三上が何か言おうと口を開いたとき、撮影再開の声がかかった。なおも何か言いたげにしていたが、さらに再開を促す監督の声に押され、戻っていった。  ……ヤバイか? 言葉がキツかった? いや、それより何より、相手の言葉を遮って言いたいことだけ言ってしまった。それも、志岐の仕事相手に。  椿は溜息を吐く。  それから撮影が終わるまで、人知れず心の中で反省していた。

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