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第四章 六
「椿、どうしたの? 俺のことで三上に何か言われた? 今日少し話してたよな」
車での帰り道、志岐は台本に目を通しながら椿に訊ねた。
志岐に心配かけるなんて……。
椿は自分の浅はかさに落ち込む。志岐と三上の関係をもし悪化させてしまっていたら、どうしよう。
「どっちかっていうと俺が三上に何か言いました。すいません。明日謝ります」
撮影後すぐに謝ろうと思ったのだが、三上が監督と話し込んでいたため話しかけられなかったのだ。
「なんで敬語………わかった。喧嘩売られていつもの勢いで言い返したんだろ」
「う……っ、まあそんなもんデス」
「はは、お前ほんと根がヤンキーだな」
「根は優しいとかじゃなく根がヤンキーて」
本性がヤンキーとか駄目だろ。
椿が反省し落ち込んでいるのに、志岐はおかしそうに助手席で笑っている。今日も監督からは厳しく注意され、役者たちからは冷たい視線を受けていたけど、志岐は落ち込んではいないようだ。
「撮影、辛くはないか?」
「うん? 辛くないよ。ま、皆に軽蔑されてんのは仕方がないだろ。そういう仕事だし。でもさ、いいもの作ろうって皆頑張ってて。いつもはさ、俺にされる要求って、どこでイケとか喘げとか咥えろとかじゃん? いいもの作ろうとはしてるけどさ、男の欲が煽れるようにって、それが俺に求められてることだろ?」
いつになく志岐が饒舌だ。椿は志岐の声に心地よさを感じながら耳を傾ける。
「今は違うんだ。いいもの、人の心が動かせるようなものを作れるように、そのために俺が求められてる。だから皆いろいろ教えてくれる。俺なんかと話すのも嫌な奴だっているだろうに。それってさ、嬉しいことだよ。きっとこういうのを……」
そこで、自分が熱く語っていたことに気がついたらしい。志岐は恥ずかしそうに、台本で顔を隠す。
「ちょっと寝る。ついたら起こして」
「こういうのを?」
「それはもういいから。寝る。おやすみ」
なんて言おうとしてたのかな。なんで隠すかな。今更何を恥ずかしがるんだよ。でもそうか。嬉しいのか。嫌味もたくさん言われているだろうに。
撮影が始まってから生き生きとして見えるのは、自分の気の所為じゃないのか。
それを思うと、椿の心は温まる。じわりと涙さえ浮かんでくる。
夕食は撮影現場付近のファミレスで済ませていたから、志岐を家まで直接送る。
アパートが見えたところで揺り動かすと、ぱっちりと目を開けた。
「寝れた?」
「ちょっとね。じゃあ、また明日」
「おう。しっかり休めよ」
コートを着た志岐はさっさと車を降りていく。しかしドアを閉じる直前、振り返った。それに気がついて、椿も手を止める。
「どうした? 忘れもの?」
助手席付近を見渡すが、特にそれらしきものはない。
「こういう気持ちを」
志岐はそこに大切なものがあるかのように、そっと自分の胸に手をやる。
「きっと、やりがいって言うんだ」
志岐はにっこりと笑ってから、椿に背を向けて歩いていった。
……やりがいって言った、あいつ。やりがいって。あの志岐が。仕事は罰だって言ってたあいつが。
志岐がやりがいだって言ってくれるなら、俺にとってもやりがいを感じることなんだ。
◇
「雅人」
志岐が三上の首に腕を回す。誘うように目を細め、唇を近づけた。三上は苦渋の表情を浮かべたあと、志岐の腕から逃れる。
「サキ、サキのことは、もちろん好きだ。でも歌から逃げているサキは……俺の好きなサキじゃない」
「なんだよ……っ、なんだよそれ……!」
「サキが歌手じゃなくたっていい。でも、本当は歌うことが好きでたまらないのに、自分を誤魔化して逃げているのサキは、嫌だ」
「逃げてなんかない!」
「自分でわかってないんだ。……サキ、わかるまで、離れよう」
志岐はどうして、と繰り返し、三上の腕に縋る。自分を見てもらえるように、精一杯色っぽく見えるように、口角を上げる。
「ねえ、僕のことが好きなんだろ? ……キスして」
そう言う志岐を突き放し、三上はその場を去っていく。
「はい、カット!」
珍しく一発OKだった。志岐も嬉しそうな表情を浮かべる。
椿は今日も志岐の撮影についていた。
志岐に、三上が何か声をかけようとしているのが見えた。しかし別の共演者に話しかけられ結局二人が話すことはなく、志岐は椿のもとへ歩いてきた。
「椿、どうだった?」
志岐は少しだけ誇らしげに、椿に尋ねた。
「よかったよ。昨日監督と話したから?」
「うん。まだまだだけど、わかってきたこともあって」
嬉しそうだ。こんなに嬉しそうな顔をして仕事をするところは、見たことがない。
この顔を写真に撮って桜田にも見せたいなと思った。
あいつも志岐のこと色々心配してるから。
「ああいうシーンはやっぱ上手いんだなー」
嘲るような声が聞こえたのは、そのときだった。志岐の表情が強張る。
誰が言ったのかははっきりしないが、三上も含め若い共演者が数人集まって話しているから、その中の誰かが言ったに違いない。
せっかく自然な演技ができるようになっていたところなのに……!
椿はつい睨んでしまう。
「椿、喧嘩売るなよ」
「……売らねえよ。お前こそ、いつもみたいに挑発しねえの?」
「俺がいつ誰を挑発した」
いや、わりといつもだと思う。椿のことを喧嘩っ早いとかヤンキーとか言うが、志岐もよく喧嘩売っていると、椿は思う。
しかし志岐は、なぜか大人しく椅子に座る。
「大丈夫か?」
「お前そればっかりだな、最近」
溜息を吐かれる。言われてみれば、確かにそうだ。でも他になんて言えばいいんだ?
椿は黙るしかない。志岐はそんな椿を見て、微かに笑う。
「平気だよ、ほんと。こういうシーンが本業なのは当たり前って、自分でもわかってる」
それでも俯いているのは、平気だけど傷ついているからじゃないのか。
こればっかりは、椿が何を言ったところで気休めにしかならないだろう。共演者にいくら言ったところで、生理的に受け入れられないものは受け入れられない。嘲るような視線や言葉に耐えなくてはならない。貶めるようなことを口にされ、志岐が傷つけられることは椿にとっても辛いことではあったが。
「志岐……さん」
輪から抜けて、気まずそうに、緊張しながら話しかけてきたのは三上だった。まさか三上から話しかけてくることがあるとは思わず、椿と志岐は顔を見合わせる。
そんな椿たちを半ば睨むように見て、三上は口を開く。
「今日、撮影終わったら食事に行きませんか?」
「は?」
間の抜けたような声を出したのは椿で、志岐は何も言わずに目をぱちくりとさせた。
「き、昨日のは、確かに俺が失礼だと思ったんで……それに、明日のシーン、監督がもっとあんたと話せって。気まずさが演技に出てるって言われて……」
明日は志岐と三上のベッドシーンの撮影が予定されていた。志岐にとっては一番緊張せずに自然にできるシーンであるが、三上にとって男相手にというのは恐らく始めてだろうし、固くなってしまうのだろう。
「椿、いい?」
志岐は椿に聞く。
人見知りの志岐は、椿や桜田以外の人間とは、食事もあまり一緒にしたがらない。でも、今は受け入れようとしてる。
志岐の頑張りが伝わってくる。
「いいよ。えっと、俺途中まで送って行きますから」
「いや、あの、椿さんも一緒に」
「は? あ、そうですか。佐藤さんも一緒ですか」
佐藤と言うのは、三上のマネージャーのことだった。
マネージャー同伴の食事会とは。それは二人が上手く仲良くなれるのだろうかと椿は疑問にも思うが、目の届くところなら安心でもある。
「や、えっと佐藤さんは一緒じゃないんですけど……」
椿は首を傾げる。佐藤さんは一緒じゃないのに自分は一緒……?
不思議に思う椿の様子に、三上は言い訳のように言葉を重ねる。
「昨日失礼なこと言ったお詫びっていうか……」
「いや、それは俺の方が失礼なこと言いましたから気にせずに……」
丁重に断ろうとしたら、志岐に肘でこづかれた。
「わかりました。椿と一緒に行きます。次のシーンのここって──」
そのまま志岐と三上は次のシーンについて話し始めてしまって、椿はそれを見ていることしかできなかった。
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