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第四章 七
◇
志岐の目の前の二枚目は、身を固くして座っている。
志岐はいつもどおりこたつに入ってぬくぬくとくつろぎ、椿に飯はまだかと催促してくる。
そんなこといいからそこの三上と話してやれよと時折キッチンから志岐を睨むが、一向に伝わっている様子はない。
撮影が終わり、どこに食事に行くかという話になった。台本や漫画を見ながら話ができるところはないかと探したが、生憎、個室があるような店は週末にはまだ新年会などで満席になるようで、なかなか見つからなかった。すると志岐は、事も無げに「椿ん家でいいじゃん」と言った。
ぎょっとしたのは椿と三上。三上にとっては敵陣に単身乗り込むようなものだろう。可哀想にもほどがある、と椿は反対した。
すると志岐が「じゃあ俺の家?」とか言い出すものだから、三上も志岐の自宅よりはマシだと判断したのだろう、椿の家に来ることで納得した。
それから一緒にカレーの材料を買いに行った。椿はもっと少しは凝ったものの方が良いかと思ったのだが、志岐が「カレーが食べたい」とか我儘言うものだから、カレーに決定してしまった。
三上は志岐に押され気味だ。
撮影中は志岐の方が押され気味だったはずなのだが、いつからこんな関係になった? いつからっていうか今か?
「三上さん、すいません。こいつ我儘で」
カレーを運びながら、椿は三上に謝った。
「我儘じゃない。寒いのに店探しまわる方が大変だろ」
「俺に作らせといて」
「俺が作ってもいいけど?」
「お前はカップ麺に湯を注ぐしかできねえだろ」
「おにぎりも作れる!」
「ああ……あれは美味かったな」
「だろ?」
「調子に乗るな」
いつものようについ言い合っていると、三上が目を丸くしてこちらを見ていた。
「ずいぶん仲いいんですね」
「椿が遠慮なさ過ぎるんです」
「俺か!? 俺じゃなくて志岐の遠慮がないんだろ!?」
何を思ったのか、三上が吹き出した。
今度目を丸くするのは椿たちの番だった。三上は撮影中、志岐に厳しい目を向けてばかりだったから。
「すんません。なんか、緊張してんのが馬鹿らしくなっちゃって」
「俺相手に緊張なんかしなくていいですよ……」
少し恥ずかしいと思ったのか、志岐は俯いてぼそぼそと言った。
急に人見知りするなっての。
「取って食われるとでも思いましたか?」
椿が聞くと、三上は苦笑する。
「正直、そうです。昨日椿さんに言われたのに申し訳ないですけど、やっぱり志岐さんは、俺たちとは違う世界にいるんだと思ってます」
志岐は顔を上げた。その表情は、傷ついているものではない。静かに、今言われた言葉を受け止めているようだった。
「職業が違う。俺がやってんのは、男に自分を食わせてるんだから。自分が食べていくために、身体を売ってるんだ」
食べていくためでは、ない。椿にはそれは嘘だとわかった。ただ食べていくためだったら、志岐はAV男優なんて選ばなかったと思うのだ。最も自分を苦しめて食べていくために、これを選んだ。それがどうしてかは、わからないけれど。
「そう、だと思います。俺はやったことがないことだから、無責任なことしか言えないけど」
「正しいです。皆さんが俺のことをそういう目でみるのは」
三上は、その言葉を聞いて首を振る。
「違います。やってることが違うからって、そういう目で見るのは、違った。今、一緒に作品を作ってるんですから」
昨日椿さんに言われたことをそのまま言うようで申し訳ないんですけど、と三上は付け足した。
「ちゃんと話しましょう。いや、俺たちが、ちゃんとします」
「え、いや……」
「すいませんでした」
三上が頭を下げる。志岐は慌てて、どうしたら良いのかわからず、三上と同じように頭を下げた。
二人してこたつに入ったまま頭を下げている姿は、少し面白い。
「さあ、カレー冷めちゃうんで食べましょ」
椿が促すと、二人はやっと頭を上げて可笑しそうに笑った。
「でも志岐さんにもやってもらうことがあります」
カレーを食べ終わり、椿が片付けをしてリビングに戻ると、二人は台本を持ってこたつから出て、正座をして向い合っていた。
自分もこんなことしたな、と椿は苦笑する。
志岐、こたつに入るとすぐ眠くなるから。
「明日以降、物語の山場に入っていきます。毎日俺と台本の読み合わせをしてください」
「えっと……?」
「つまり、演技もっと上手くなってくださいってことです」
三上は言い切った。
「俺は結構前にこの話をもらっていたけど、志岐さんのキャスティングはギリギリまでプロデューサーも迷ってました。その結果撮影開始の直前になってしまったわけですけど、こんなに演技ができないならたっぷり余裕を持つべきだったと思います」
仰る通りだと思う。
「よろしくお願いします」
志岐は三上の言うことに正当性を感じたのか、正座したまま腰を折って頭を下げた。
それから二人は何度も読み合わせをしていた。日付を越える頃になって、椿は明日の撮影に響くといけないからと、三上を送っていくことにした。
「いってらっしゃい」
「は?」
志岐と三上を車で送って行こうとしたら、志岐がさも当然のように椿と三上を送り出そうとした。
「ここ、俺ん家」
「うん。だから泊まってく」
「だからってなんだ、だからって」
「だって明日も朝から撮影だろ? もう寝たい。椿も明日俺ん家まで迎えに来なくていいからいいじゃん」
「あ、そっか」
そんなやりとりをする椿と志岐を、三上が眉を寄せて見ていた。
「こんなこと言ったらあれですけど、二人って付き合ってたりするんですか……?」
「はあ!?」
椿と志岐が同時に素っ頓狂な声を出したから、三上は驚いて後退った。
「俺はホモだけど椿は違うから!」
「ホモってはっきり言うなよ!」
「あんなのに出てて異性愛者って言う方が無理あんだろ!」
「バイとかさ!」
「……それホモよりマシってわけでもないだろ」
「そうか……」
三上は吹き出した。
さっきも自分たちのやりとり見て笑ってたなと思い出した。
笑うと、厳しい印象を与える目が緩んで、人好きのする雰囲気になる。
「ごめんなさい。俺、志岐さんと椿さんの言い合いツボかもしんないです……っ」
あまり笑うのも悪いと思っているのか、必死に抑えようとしている。しかし口元が緩んでいるのは抑えられていない。
「志岐さん、現場でもっとそういうところ見せたらいいのに。共演者の、ほら、佐渡とか、俺同じ事務所なんですけど、話しやすくていい奴ですよ。もっとたくさん喋ったら、絶対仲良くなれる気がしますよ」
「……いいですよ。俺あんま話すの上手くないし」
「確かに。志岐さんは話しにくい人ですよね」
三上は時折はっきりものを言う。
それに志岐は一歩引いてしまうこともあるけれど、この率直なところが、椿は嫌いではなかった。
椿が言ったことも一晩きちんと考えて、今日こうして答えを出してくる誠実さにも好感が持てる。
「椿さんと一緒だと、なんか違いますよね」
「え?」
志岐が不思議そうに聞き返す。
「椿さんと一緒だと、志岐さんってすごく話しやすくなる」
人見知りなんですね、と続けた三上の言葉を聞きながら、椿は志岐を見る。
志岐はうん、と頷いている。玄関に向かうためにこちらに背中を向けた三上から、視線を椿に移した。その瞳が何か言いたげに揺れるのを見て、椿の心はざわついた。
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