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第四章 八

 ◇  翌日の撮影は、やっと気持ちが通じあって、始めて二人が身体を繋げるシーンがメインとなった。  三上が共演者をまとめて、そして何か話したのか、志岐のことを冷やかすような声は聞こえなくなった。  今日は志岐も三上も心構えができているのか、躊躇いがないように見えた。  最近AVの撮影がなかったから、椿が志岐の身体を見るのは久しぶりだった。  相変わらずの白く滑らかな肌を持つ、女のように線の細い身体。ベッドに入ってスタンバイしているのを見て、スタッフも「綺麗だな」と思わず感嘆の声を上げていた。  対照的に、三上の身体は引き締まっている。桜田を始めて見たときのような強烈な色気は感じないものの、男として十分魅力的だった。  だから二人は、非常にお似合いに見えた。  チクリと胸に痛みを感じて、椿は首を傾げた。  志岐がいろんな男に抱かれるところを、これまで何度も見てきたのに。それと比べたら、ほんとにセックスをするわけではないこれは、志岐にとって別に辛いことでもない。  なのになんで胸が痛むんだ? 志岐が辛くないならいいじゃないか。ほら、今もリラックスして、三上と笑い合っている。  ズキリ、と痛みが酷くなった。  なんで見ていられないんだろう。志岐の仕事は、何でも見届けたいと思っているのに。  俺、おかしい。  椿のそのおかしい感覚は、カメラが回り始めて三上と志岐が身体を重ねたのを見て、本格的に酷くなった。  椿は外の空気を吸いに外に出た。  もうすぐ二月になろうとする空気は、おかしくなった胸と頭を冷やしてくれた。深呼吸すると、肺いっぱいに冷たい空気が入って、頭もクリアになる。  なんだったのだろう、と椿は考える。  胸が痛む……心臓の病気!? いやいや、丈夫なだけが自分の取り柄だ。だが、志岐のマネージャーを続けられない事態になっても困る。映画の撮影が終わって落ち着いたら病院に行こうか、などと悩む。年の近い桜田に聞いてみるのもいいかもしれない。撮影が始まってからあまり連絡をとっていないし、今夜あたり久しぶりにメールでもしてみるか。  椿は一人、ぶつぶつと呟く。  撮影はあと一週間ほど続く。とりあえず、その間だけ体調を崩さなければそれでいい。  ラストシーンは屋外で雨を降らせるという話だから、あまり寒くないといいなと思う。志岐が風邪なんか引かないように気をつけないと。  悩んでいる暇なんかないと、椿は自分を叱咤した。  ◇ 「なんで今日途中出て行ったんだ?」  撮影は夕方に終わったが、三上は別の仕事があるらしく、今日は夜再び会うことになった。  昨日椿の家に泊まった志岐は、今日も当然そのつもりらしく、着替えを取りに車を自宅に寄らせ、そのまま椿の家に来た。  三上を待っている間、いつものようにこたつに入った志岐は、何となく志岐と二人でいることに息苦しさを感じて早々に夕食の仕度を始めた椿の背中に、質問を投げかけてきた。 「え? いや、何となく?」 「……俺が嫌がってもAVの撮影は見続けたのに」  AV……今だったら、見ていられない気がする。想像しただけで、さっきの胸の苦しさが再びこみ上げてくる。  あれ? これもしかして、相馬とのことがあったから? もしかして俺、思い出して怖がってんのかな? 「なあ志岐、ちょっと俺のこと押し倒してみて?」 「はあ!?」 「頼む! 確かめたいことがあって!」  椿はリビングに行き志岐と顔を合わせる。志岐は椿が何をしたいのかわからず、不審者でも見るような目で椿を見ている。 「そんな顔すんなよ。ちょっとやってみるだけでいいから!」 「……意味わかんないよ」  やっぱ駄目か。だよな。 「今度桜田に頼んでみよう……」  しゅんとしてキッチンに戻ろうとしたら、志岐に後ろ首根っこを掴まれた。あまりの勢いに椿の口からぐえっと変な声が出る。 「何すんだよ!」 「今何つった?」  志岐さん? 声が低いですよー。  なんて軽く言えない雰囲気に、椿は恐る恐る振り返った。志岐が睨みつけていて、焦る。普段は冷めた表情をしていることが多いだけに、珍しく鋭く睨まれると迫力がある。大きな瞳も、迫力を後押ししている。 「え、いや他に頼めるなんて桜田くらいだしなーと……」 「来い」 「いって! 痛いな志岐!」 「うっさい」  椿の二の腕を痛いくらいにぎゅっと掴んだ志岐に引っ張られ、寝室まで来る。ほれ、と背中を押されて、意味がわからなくて隣の志岐を見る。 「ベッド。押し倒されたいんだろ?」  ……怖い。  じとっと見てくる瞳に怯んで、椿は志岐の言う通りベッドに座った。志岐はそんな椿の前に立つ。 「桜田にこんなことさせたら、許さない」  真っ直ぐに睨んでくる瞳に、今までと違う光が揺れた気がした。それに見入っているうちに、やんわりと肩を押され、ベッドに倒された。  志岐は椿の下肢の間に膝を付き、顔の横に両手を着いた。 「さ、桜田にって……、もしかして」  桜田のことが好きだからとかってそういうことか?  そう思ったら、ズキッと、椿の胸は傷んだ。 「お前が思ってること、絶対違う」 「まだ何も言ってねえだろ」 「俺が桜田を好きだからとか考えてんじゃないの?」 「……違うのかよ」  深く溜息を吐かれた。  じゃあなんだって言うんだよ。他に桜田に頼るのを嫌がる理由なんて……。それに、やはり押し倒されて胸が痛んだ。相馬にされたことを連想させることに怯えてるのか? いや、でも怖い感じは……しない。 「鈍い」  志岐の言葉で椿は我に返る。 「何?」 「なんでもない。椿こそなんだよ。これで何を確かめるって?」 「いや、な、今日志岐と三上の撮影見てたら、なんか変な気持ちになって」  ここまでさせておいて何も言わないわけにはいかず、椿は志岐に正直に話す。志岐と三上を見ていたら、胸が痛んだこと。今まではなかったことだから、相馬が原因なんじゃないかと思ったこと。それか、病気かもしれないということ。 「……何それ」 「でも志岐にこうされても別に怖くはないし、やっぱなんか体調がおかしいのかも」  それを聞いて、志岐が笑った。それが、傷ついているのに無理に浮かべる笑顔に見えて、椿は言葉を止める。 「そんなの、簡単なことじゃん。怖くない? だったら答えは一つだろ。あいつとのことがあって、男同士のそういうのに嫌悪感が湧いたんだろ」 「ちが……っ」 「まあ、当たり前だよな。むしろ今までそういうのがなかった方がおかしいよ。けどそういうの、撮影中には聞きたくなかった」  起き上がろうとする志岐の顔が泣きそうなものに見えて、椿は思わず焦って手を伸ばす。頰に触れると、志岐が目を見開いた。 「志岐、俺嫌悪感なんか湧いてない。志岐とこうして近くにいたって、そんなこと思わない」 「そう言ったって、撮影は、見なかったくせに」 「それは……っ、そうだけどっ」 「もう、触んないで」  志岐はそう言って起き上がり、部屋を出て行ってしまった。  椿は起き上がれない。  そのつもりはなかったとは言え、志岐を傷つけた。志岐に「鈍い」と言われても仕方がない。こんな大事なときに、自分の意味のわからない症状なんかに目を向けて。今は志岐のことだけを考えなくちゃならなかったのに。ちゃんとそう思っていたのに。  一人になった寝室で、椿は後悔に顔を両手で覆った。

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