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第五章 三

「何の用ですか? 事務所まで来て、何考えてるんですか」  社長から連絡がきていた。桜田が事務所まで訪ねてきていて、椿が自宅謹慎中だから家に向かわせたと。 「自宅謹慎って面白いね。学生じゃあるまいし。素直に守らなくても、ねえ?」  桜田は部屋を見渡し、言われた通りに引きこもっている椿に苦笑する。しかし、志岐の居場所に手がかりがあるわけでもない。家にいてテレビでも見る以外に、椿がすることはなかった。 「あめ、いなくなったんだって?」  ぴくりと、震えるのを抑えることはできなかった。 「社長さん、いい人そうだけどちょっと警戒心なさ過ぎだよね。いくらあめと椿君の友達でもあるからって、部外者にそんなこと話すなんて」  喋りながら、桜田が椿の前に回って顔を覗きこんできた。 「まあ、君を心配してのことなんだろうけど」 「え……?」 「社長さんからさ、君が眠れてないみたいだから、相談に乗ってあげてほしいって頭下げられちゃった」  社長はいつも、椿や志岐を子どものように可愛がってくれた。  仕事ができる人ではない。今だって対応に追われて、余裕などないはずなのに。 「……っ」 「あれ、え、泣く!? ここで泣いちゃう!?」 「泣いてねえ!」  言い返す椿を見て、桜田が安心したように微笑んだ。 「うんうん。体調は悪くなさそうだ。しっかり休めれば元気になるね。ちょっと横になりなよ。俺がそばで見守っててあげる」 「余計眠れないですよ……」 「寝込みは襲わないから大丈夫!」 「はいはい」 「ほんと、横になって。休んで、椿君」  懇願するような声。しかし穏やかな声に、椿の張り詰めていた気が緩む。 「寝室あっちでしょ? 行こ行こ」  桜田に背中を押され、久しぶりに寝室に入る。ちゃんとベッドで眠ることも最近はなかったから。促されるままベッドに入ると、ベッドのそばに桜田が腰を下ろした。 「あ、クッションそこにあります。っていうか、ちゃんと休みますから見てなくていいですよ」 「クッション借りるね。……嘘つき。ベッドに入ってすぐ眠れるならそんな顔してないでしょ」  桜田は毛布から顔を出す椿の、目の下辺りに親指で触れながら言った。酷いくまでもできているんだろうなと思った。  眠ると、最後に志岐と行った海の夢を見る。あのキスのあと何か言おうとして、言えなくて、結局志岐がいなくなってしまうのだ。現実と違うのは、目の前で志岐が消えてしまうこと。こぼれ落ちる砂のように、さあっと、姿が消えていく。  そんな夢をみて目が覚める日々が続いていた。それを見るとその日はもう眠れない。目を瞑ると、志岐が消えていく姿、最後に見せた笑顔が、浮かんでくるのだ。 「眠れ―、眠れー」 「なんですか、それ。催眠術ですか?」 「子守唄のつもり」  桜田は椿の頭を撫でる。椿も初めは抵抗してみせたが、しつこく触れてくるのでまあいいかと、今はされるがままに撫でられている。 「子守唄……。俺が、あの、落ち込んでたとき、志岐が歌ってくれたことがありました……」  ここで。優しい歌を。 「あめが、本当にAmeだったなんてね……」 「週刊誌、見ました……?」 「うん。見たよ」  桜田はそれ以上志岐の話をしなかった。呪文のような子守唄を歌いながら、椿の頭を撫でたり、背中にポンポンと優しく手を落としたりした。  そうされているうちに瞼が重くなってきて、椿は久しぶりに深い眠りに落ちた。  目が覚めるとすっかり夜も更けており、部屋は暗くなっていた。リビングから漏れてくる光を頼りに、椿は枕元にある目覚まし時計を手に取る。時刻は0時を過ぎようとしていた。  桜田はベッドの横でクッションを枕にして眠っている。 「さ、桜田さん! 風邪引いたら大変だから! 起きてください!」  飛び起きて寝室の電気を付ける。目を擦りながら、桜田も起き上がった。 「朝まで寝ちゃえばよかったのに……」 「送っていきますから! 明日撮影とかあります!?」 「ないない。帰るならまだギリ電車あるし大丈夫。でもまあ、泊まるつもりだったしね」  撮影がないと聞いてほっとする。 「あはは、なんだか元気になったみたいだね」  しっかりと眠った所為か、確かに身体が軽い。 「身体は、だけど」  桜田が立ち上がる。  椿の真正面に立つ桜田の雰囲気が、先ほどまでの柔らかい雰囲気から、少し変化しているように感じた。 「さて、甘やかしたあとにはちょっと鞭も必要だよね」  知っている。何度か、あった。桜田は優しいだけじゃない。優しいからこそ、必要なときに厳しいことを言う人だって、知っている。  椿が身構えていると、桜田が急に椿の腕を掴んだ。 「おわっ!?」  ベッドに押し倒されて、思わず声が上がる。上から身体全体を使って抑えつけられる。 「……ふざける気分じゃないって言ったよな?」 「あはは、怖い」 「話なら、ちゃんとする。こんな抑えつけなくても、逃げたりしない」 「んー? 話があるなんて言ったっけ? 椿君への鞭は、やっぱり身体かなあって。鞭って言うか、俺へのご褒美? もうさ、キスだけじゃ我慢できないっていうか」  いつもと、違うと感じた。志岐や自分を叱咤したときとは。 「……怒ってる、のか?」 「わかる?」  桜田から笑みが、すっと消えた。冷えていく。桜田のそんな表情を見るのは初めてで、椿は驚いて抵抗をやめた。 「なんであめを探さないの?」  低い声で尋ねられる。椿はそれに噛み付くように返した。 「探した! けど、なんの手がかりもないし! 俺には何も話されなかったし!」 「手がかり? そんなもの、テレビでもあの週刊誌でもネットでも、いくらでも流れてるじゃないか。あめの実家は訪ねたの? 場所がわからなくとも、社長の奥さんは上崎彩乃だろ? 亡くなったとはいえ、そのコネでもなんでも使えば、板崎洋に連絡を取るくらいできるんじゃないの?」 「けど……っ」 「けど、何? まあ、そんなこと社長がやってるか。だから君は動かないわけ? あめが見つかったとして、君以外に誰があの子を連れ戻せるって言うんだ」 「連れ戻す?」  笑ってしまう。  それこそ、自分以外の誰かだろうと思うから。志岐は、椿に何も言わなかった。信頼関係なんて築けていなかった。何も話してくれなかった。全部、勘違いだったんだ。志岐と分かりあえたと、打ち解けたと思っていたこと、全部。 「俺に何ができるって言うんですか!? 志岐にとって、俺なんかどうでもいい存在だったんですよ! 何も話してくれてなんかなかった! 何も!」  桜田は、椿が志岐に抱いていた気持ちを知っている。だからだろうか。胸に広がる暗い思いを、椿は吐き出してしまう。止まらない。 「触れ合えたことが嬉しくて、言われた言葉に舞い上がって……! 馬鹿みたいだ! 本当のことをなんにも知らないで! 志岐は俺のことなんか……っ」 「あめの思いを、全部否定するんだ?」  桜田の椿の肩を抑える腕に、力が込められる。 「俺があめに義理立てして君に手を出さなかったのは、あめが椿君のことを好きに……特別に思っていると知ってたからだ」 「そんなの、あんたの勘違いだったんだ!」 「そう……あめの思いを君が否定するなら、俺はもう遠慮する必要はないよね」  桜田の手が、椿のTシャツの中に入ってきた。 「何すんだ!」  椿が以前のように蹴り上げようとしたとき、桜田が耳元で囁いた。 「俺に甘えるの、楽だったでしょ……?」  足が、止まる。 「男を、あめを好きになって、尽くして、結局報われなくて、志岐天音のマネージャーっていう、仕事もなくしたようなもんだよね? ろくに眠ることもできなくて? 君に何が残ってる?」 「うっせーよ……」  服の中に手を入れ、椿の胸を桜田が撫でる。冷やっとしたその感覚に、鳥肌が立つ。 「俺に甘えて、やっと眠れたんじゃない?」 「うっさい……」 「自分の性的指向まで変わっちゃって、でもあめはもういなくて、自分でもどうしていいのかわからないんじゃないの?」 「んな個人的なこと……!」 「じゃあマネージャーとして、あめのことを管理できなかったって、それだけでそんなに荒れてるわけ?」  ……わかってる。  飯塚と言い合ったり記者に怒鳴り散らしたり、眠れなくなったり。それはマネージャーとしての自分じゃなくて、志岐を好きになってしまった自分の感情がコントロールできていないからだ。そんなこと、言われなくてもわかっている。 「あーあ、泣いちゃった」 「悔しい……っ」  志岐にマネージャーとして接しようと決意したのに、結局徹しきれなかった自分。  志岐に信頼されていなかった自分。  こうなってなお、仕事の相手として志岐を見ることができず、信頼を得られなかったと不貞腐れる自分。  悔しい。  悔しい。

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