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第五章 八

「頼まれたからね。志岐天音に」  こいつは、今なんて言った? 志岐に頼まれた? 何を? 俺が、元気かって? 「いつの話だ!」 「由人!」  思わず立ち上がって相馬の胸倉を掴んだ椿に驚いて、桜田が声を上げる。しかし椿は衝動を止めることはできず、相馬を壁に押し付けた。 「いつそんなこと頼まれた!? いつどこで志岐と会った!?」  頼まれたというのは、自分の前から姿を消した後のこと? それとも。 「お前が何かしたんじゃねえだろうな?」  睨みつけると、胸倉を掴まれたままで息が詰まるだろう相馬は、苦しそうに眉間に皺を寄せたまま微笑んだ。 「だったら、どうする?」  ゴツンと鈍い音がするのも構わず、相馬の頭を壁に押し付ける。 「ふざけてんなら容赦しねえ」 「由人!」 「うっさい」  桜田の方など見ずに答える。 「うっさくない。冷静にならなくてもいいとは言ったけど、暴力振るっていいとは言ってない。子どもじゃないんだから、手じゃなくて言葉でどうにかしろ」  なおも無視して相馬の襟元を握り締めていると、桜田が椿の手に自分の手を重ねた。 「手がかりを探すんだろ。こんな方法で手がかりが見つかる? この子は話そうと思ってるから君を呼び出したんだろ。だったらちゃんと、クリアな頭で聞きなさい」  その言葉に、急激に頭に登った血が引いていくのを感じた。桜田の手の温かさを感じる。感覚が、戻ってくる。  椿は相馬から手を離し、一歩下がった。 「……話そうと思ったからとか、何を勝手に都合のいい捉え方してるんですか」  相馬は面白くなさそうに言って、一つ咳をする。 「久しぶりに先輩に殴られたかったのに」 「あーそうなの? ごめんね。そういう性癖の子だとは思わなくて」 「あんたなんで来たの。ほんと先輩って人の見る目がない」  溜息まで吐かれる。 「二人とも、ごめん」  椿が謝ると、桜田は微笑み、相馬はますますつまらなそうな顔をした。  今日会ったとき、あのときの相馬とは違うと思ったのに。それなのに一方的に責め立ててしまったと、椿は反省する。  桜田の言う通りだ。今日自分を呼び出したわけを、疑いばかり持つ頭ではなく、クリアな頭で聞かなくてはと思った。 「あいつが絡むと、先輩カッコ悪いことばっかりする」 「しょうがねえだろ。……志岐のことが、好きなんだから」  ごめんなと、椿は心の中で相馬に詫びる。相馬にこれを言うのは、間違ってると思う。酷いことだと思う。だけど、言っておきたくて。今度はちゃんと、守りたいから。 「俺の好きな奴だから、傷つけないでほしい」  相馬は一瞬目を見開いたあと、静かに伏せる。 「……先輩馬鹿なの? 先輩が好きなものを壊すのが俺だってば。それわかっててそういうこと言う?」 「言う。だってお前、俺に何か教えようと思って呼んでくれたんだろ?」 「だから都合のいいように解釈しすぎだって」  相馬は変わったんだって、信じるから。だから気持ちを嘘偽りなく話す。守りたいから。志岐が取り持ってくれた、相馬との関係を。  相馬が顔を上げる。その顔はやはり穏やかで、志岐を好きだと言い切った椿を、憎む様子は見られない。静かに椿を見つめる瞳は、温度は高くなく、けれど心地よく温かいもの。  ああ、何か違う。今も俺のことを好きだとは思ってくれているみたいだが、何か違うんだと椿は感じた。 「知ってるのとは話すから、二人とも座って」  ソファに座るよう促され、椿と桜田は再び並んで座り、相馬は向かいのラグに腰を降ろした。 「結論だけ言うと、俺は、あの記事を書く手伝いをしました」 「え……?」 「週刊誌の、志岐天音の記事。あの取材をしたのは、俺です」  どういうことだ? 相馬が、なぜ?  何から聞けばよいかわからず言葉が出てこない椿の代わりに、桜田が質問した。 「君は何をやってる人なの? 記者でもやってるのかな?」 「俺は、フリーライターをやっている人の弟子……というか、勉強させてもらいながら助手のようなことをやってます」  相馬の話は、椿と再会する前に遡る。  フリーライターをしている師匠……本当はそんな風に呼びたくないが、そう呼べと言われているらしい。師匠の元で助手をしていた相馬は、あるとき、師匠が次に記事にしようと追っている人間の中にAmeがいることを知った。 「先輩がAmeが好きだっていうのは知ってたから、師匠に俺に調べさせてほしいって言った。志岐天音がAmeなんじゃないかって、あの人は思ってて、だから俺は、引き継いで志岐天音について調べ始めた。それが二年前。ほぼ調べはついて、でも志岐天音の知名度も低かったから、記事にするのは時期をみていた。そんなとき、先輩がマネージャーになったことを知った」  相馬は志岐の事務所を調べている中で、椿が同じ事務所で働いていることにも気がついた。しかし、師匠に接触するなと言われ、堪えていたらしい。それが志岐のマネージャーになり、甲斐甲斐しく世話を焼く椿を見て堪えられなくなり、あのようなことになった。  師匠にはこっ酷く叱られ、椿と会うことは禁止された。それで相馬は電話やメールをしてくるだけで、会いたいとは言わなかったのかと椿は納得した。 「志岐天音が映画に出ることになって、あの記事を出すいい機会になった。師匠は、記事を売る前に志岐に確認すると言い出した。一度確認してから、出版社に売るって。もちろん、確認して載せるなって言われても、それで稼いでる人だから、売るのは売るつもりだったんだけど。そして俺は、志岐に直接連絡をとった」  志岐はやはり、あの記事が載ることを知っていたのだ。自分や事務所に何も言わずに。 「なんで、俺に……」 「言わなかったかって? 志岐天音が、先輩に言わないでほしいって言った。俺はそんなの聞くつもりはなかったけど、師匠は志岐天音の言うことを聞いた」  相馬は不満そうな顔をする。コーヒーを一口飲んで話を続ける。 「俺たちが書いた内容を、志岐天音は認めた。自分がAmeであること。AV男優になったことも、口パクだったことも全部載せて構わないって言った」 「それ、ほんとなのか?」  どうして。載せてほしくないと言ったところで、それは叶わないことだったかもしれない。しかし自分や社長に相談して、対応策を考えることはできたはずだ。どうして何も言わず了承してしまったのかと、志岐を責める気持ちが湧き上がる。 「信じる信じないは、先輩の勝手だよ」 「信じる」  言い切ったのは、黙って聞いていた桜田だった。  この短時間で相馬の何がわかったのかわからないが、桜田は相馬を見据え、言い切った。自分よりずっとよく人を見ている人だ。桜田の信頼に足る何かが、相馬にあるのだろうと思った。

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