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第五章 九

「何この人」 「気にすんな。続きは?」  相馬は桜田に不審な目を向けたあと、話を再開させた。 「全部載せていい。それをインタビューで自分が答えたことにしてもいい。全部認める。そのかわりにAmeの、歌声の正体については何も書かないでほしいと言った」 「歌……誰が歌ってたのか、お前知ってるのか?」  あの記事には本来、歌声の正体についても書かれていたのか! 「Ameは、志岐天音とその義理の姉、坂崎千紗の二人によって作られた歌手だったんだよ」 「義理の、姉……?」 「坂崎洋の娘だよ。志岐の母親と再婚したとき、坂崎にも前の妻との間に娘がいたんだ。志岐天音の一歳違いの姉。それがAmeの歌声担当」  透き通る、儚い歌声。しかし強さも秘めた、あの声の持ち主。椿の脳裏にふわりと、歌が浮かぶ。 「言わば志岐天音の影に隠れ続けた子だね」 「なんでそんなことを……」 「千紗は顔がよくなかったらしい。今の世の中、親の七光りだけで売れないだろう。板崎は事務所の経営にも関わっていたし、売れる歌手がほしかったんだと思う」  志岐の影に。しかしそれは、志岐も同じだと思った。二人とも、Ameという虚像が大きくなり、その影に隠されていたのではないのかと。 「二人のバランスが崩れたのは、志岐天音の成長に伴って性別を隠したまま活動していくことに限界を感じた事務所が、Ameの性別を男として発表し、声変わりをしたことにして志岐天音本人に歌を歌わせようとしたからだったって、志岐は言ってた」 「つまり、板崎千紗が用済みってことに……?」 「そう。しかもそれを言い出したのはAmeをプロデュースしていた板崎洋自身。実の父親に捨てられた千紗は、自殺した」 「自殺……!?」 「一命は取り留めたらしいから、未遂だけど」  志岐や、板崎千紗にとって“Ame”がどういうものだったのかはわからない。けれど、命を絶つという決断をするほどに、大切なものだったのだと思う。志岐の一つ上ということは、きっと、あのときまだ十代だった少女に課せられたものの大きさ。想像ができない、苦しみがあったのだろう。  ───俺を救ってくれたあの歌声の持ち主が、死を選んだ。  椿は俯く。 “俺は、歌で、たくさんの人を、不幸にしたから” “椿の好きな、Ameの歌声は、人を幸せにしていたんだろう? そんな風に、俺もなりたかった。でもなれなかった”  志岐が背負っていたものが、少しずつ、晒される。わからなかった言葉の意味が、やっとわかる。わかっても、すべてが手遅れで。  いや、あのとき事情をわかったところで、自分が何か言えたとも思えない。歌で少女は不幸になった。それを、否定はできないから。 「志岐は、今は一般人の坂崎千紗の名前を一切出すなと言った。それ以外のことは何をどう書いても構わないって。むしろ、歌声の正体なんて注目もされないほど、自分がAV男優となったことを面白可笑しく書いてほしいって」  浜辺で見た志岐の表情を思い出す。決意を秘めた顔。あれは。 「守りたかったんだ……」  声が震える。  志岐は守ろうとしたんだ、坂崎千紗を。誰かを守ろうと決意した表情。だからあれほどに、強さを感じたのだとやっとわかる。  知っていたのに。誰かを守ろうとする志岐は、想像もできないほどに強くなるということを。 「先輩を裏切ることになっても、あの子を守らなくちゃいけないって言ってた。自分が傷つけた女の子だからって」  相馬の言葉を、椿は唇を噛み締めて聞く。そうしていないと、嗚咽が漏れてしまいそうだったから。  嘆く権利なんてない。何も知らず、志岐に裏切られたと不貞腐れて、周りに八つ当たりして、ここにきてまた、相馬を疑って問い糾したりする、そんな馬鹿な自分には。  何をやってたんだろう。何をやってるんだろう。  たくさんのものを背負って、自分を責めて、傷めつけて。あんなにも苦しみながら男に抱かれていた志岐。何も知らなかったくせに、そうせずにはいられなかった志岐に、自分を傷つけるなと、嘘の笑顔を見せるなと、言った。 「由人」  桜田の声が聞こえる。でも顔が上げられない。優しい言葉をかけてくれるとわかる。そんなこと言ってもらう資格なんてないのに。自分は志岐の力になんかなっていなかったのに。 「椿君、自分を責めて俯くのは、まだ早いよ。俺だってあめに、辛いことを言ったことがある。でも今は、俯かないよ。あの子にまた会うまでは、俯かない」  ゆっくりと、顔を上げる。桜田も耐えるように顔を歪めていた。  早い。早いよな。真実を知って、それだけでへこたれるのは、まだ早い。志岐を取り戻してからだ、俯いていいのは。 「ありがと、相馬」 「なんで俺にお礼? 俺はあの記事を書いたんだってば。言わば元凶だよ」 「遅かれ早かれ、志岐の正体はきっとバレてたはずだ。でも志岐が守ろうとしたものを守ってくれたのは、きっと相馬だったからだろ。他の奴だったら、そんな配慮してくれないだろ」 「俺が志岐天音に配慮する理由なんてないよ。師匠がそうしろって言ったからそうしただけだよ」  あれだけぐいぐいと椿に迫ってくるのに、こういうときには拗ねたように一歩下がる相馬。相馬のこんな一面を、椿は知らなかった。 「志岐天音のマネージャーに全部話せなんて、師匠は言ったか?」 「……それは俺の独断だけど。そこは先輩のことが好きだから、志岐天音が勝手にいなくなって困ってるんじゃないかって」 「俺が困ることばっかすんのがお前だろうが」  相馬がぷいっとそっぽを向く。微かに耳が赤いのは、気の所為だろうか。 「志岐のことを考えてくれたんだろ」 「今日の先輩は都合よく解釈しすぎ。志岐天音に、ちょっと同情しただけだよ」  これ以上言うと機嫌が悪くなりそうだから、もう言わない。 「志岐の行き先に心当たりは?」 「わからない。でも、自分の母親にも負い目があるみたいな言い方してたから、実家には戻ってないと思う」 「そうか……」  どこにいるのだろう。今何を思っているのだろう。椿は志岐に思いを馳せる。 「ちょっと待ってて」  相馬はそう言って立ち上がり、別の部屋に行ってしまう。程なくして戻ってきた相馬が椿に差し出したのは、一つのUSBだった。 「取材の時の音声が落としてある。もちろん全部じゃないけど、一つ、記事にしていないことで志岐から先輩へのメッセージがあったから」 「俺への?」  それを受け取ろうとすると、相馬はぱっと手を閉じてしまう。何がしたいのかわからず、椿は眉を寄せる。 「渡したいのか渡したくねえのか何なんだ?」 「渡したくないよ」  その声に椿は顔を上げて、相馬を見る。椿によく見せていた、熱い瞳。それが揺れている。 「渡したくない。聞かせたくない。でもあいつが、あんまりにも馬鹿だから。俺に先輩を頼むとか、頭を下げるから。馬鹿過ぎて可哀想だから。だからしょうがなく渡す」  そう言って、椿の手に握らせた。ぎゅっと力を込めて、それから名残り惜しそうに離した。 「あんたは聴くなよ」  攻撃的な声を出す相馬に、桜田は可笑しそうに笑う。 「わかったよ。相馬君だっけ? 落ち着いたら二人でお茶でもどう?」 「なんでだよ」 「椿君に振られたもの同士ってことで」 「俺は諦めたわけじゃない。志岐天音が戻ってきたらまたストーカーするつもりだから」  物騒なことを言う相馬に椿はぎょっとし、桜田は声を上げて笑う。 「見守っていて困っていると助けてくれるなんて、ずいぶん優しいストーカーだね」 「……先輩、こいつ蹴ってもいい?」 「やめろ。俺もときどきこのへらへら顔に殺意がわくけど堪えてるから」 「えっ、そうなの!? 殺意!?」 「冗談ですよ」 「絶対冗談じゃない顔してたよ!?」 「はいはい。ほら、帰りますよ、瑞希さん」 「そういうときに名前呼ぶのずるい」 「先にずるいことしたのはそっちですから」  二人のやりとりを見ていた相馬が深い溜息を吐く。 「先輩って昔から人たらしだよね。特に何が魅力ってわけでもないのに」 「お前……好きとか言いつつ魅力がないってどういうことだ」 「褒めてるんだよ」 「褒めてねえだろ。……ったく」  玄関まで送りに来た相馬に、もう一度礼を言って外に出る。最後に相馬は「何かわかったら連絡する」と言ってくれた。相馬が志岐のためにそこまでしてくれる理由が、椿にはまだわからなかった。  桜田とも別れ、椿は事務所に行く。  これまでのことを謝り、そしてわかったことを報告しなければならない。

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