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第六章 一

 ──絶対に志岐と再会する。  そして再会したら、もう自分の気持ちに蓋なんてしない。  自分と志岐の気持ちに、真摯に、向き合っていきたい。  ◇ 「飯塚さん、すんませんでした」  突然泣き始めた椿を、飯塚は気遣って連れ出した。事務所近くの喫茶店、奥の席で、向い合って座る。温かいコーヒーを一口飲み、やっと落ち着いてきた。 「いや、焦ったわあ。突然号泣し始めっから」  けたけたと笑う飯塚にいつもは苛つくのに、今は心が和む。いつもと変わらない態度でいてくれる、それがこの人の優しさなんだと思うから。 「若林が俺のこと睨んでたから、絶対あいつ俺がいじめたんだと思ったんだろうな。椿ちゃん、帰ったら俺の無実を証明してくれよ?」 「わかりました」  椿の頬も緩む。 「んで? なんで泣いたのか話す?」 「えっと……」  言い淀む椿に、飯塚はまた笑って、コーヒーを一口飲む。 「軽く話せないならいいわいいわ。深刻な相談されても面倒くせえしな」 「俺、志岐を好きになってしまいました」  飯塚がコーヒーを吹き出した。周囲の人が何事かと見てくる。それを笑って誤魔化した飯塚は、まじまじと椿を見つめた。 「好きって、え? 椿、マジで?」 「はい」 「え? お前ら付き合ってたの?」 「なんでそうなるんですか」 「志岐は明らかにお前のこと好きだったろ? 両想いってことは付き合ってたんじゃねえのか?」  飯塚にまでわかっていたなんて……。椿は自分の鈍さ加減に呆れ果てる。 「付き合ってません」 「そうなん? つーか椿、普通に女と付き合ってたことあるって言ってなかったか? ゲイだったっけ?」 「じゃなかったはずなんですけど……いつの間にか、好きになってました」  飯塚は深い溜息を吐く。 「そう好き好き言うな、痒くなるから。で? なんでそれ俺に言うわけ? 深刻な相談すんなって言っただろうが」  話を聞いてくれるのかくれないのかわからない、いい加減な物言いをする飯塚はやはりいつもどおりで、椿は力むことなく答えることができる。 「相談じゃないんです。飯塚さん、俺と一緒に志岐探してくれるんですよね? だから言っておきたくて。俺、志岐が帰ってきたら手え出します」  飯塚は数秒黙り込んだあと、深い深い溜息を吐いた。 「半端な気持ちで言ってんじゃねえな?」 「はい」  飯塚の目を真っ直ぐ見ながら答える。  椿は覚悟をした。ああは言ってくれていたが、志岐が自分の気持ちを受け入れてくれるかはわからない。志岐のマネージャーではいられなくなるかもしれない。事務所を辞めることになるかもしれない。それでも、志岐と向き合う覚悟を。 「援護はしない。俺は自分のとこのタレントに手え出すのはよくねえと思ってる」 「はい」 「でもお前と志岐を責めようとも思わない」 「……その言葉だけで、十分です」  いつも悪ふざけばかりの飯塚の真摯な言葉は、重い。それを受け止める。選ぼうとしている道は、すべての人に受け入れられる道じゃない。受け入れてくれる人の方が稀なものだと思う。椿はそれを改めて受け止める。 「まあまずは、志岐を見つけねえとな」  飯塚がニヤリと笑って、椿も微かに笑い返すことができた。 「心当たりは……ねえよな。だから行き詰まってんだもんな」 「相馬……あの記事を書いた奴は、実家にも帰っていないだろうって言ってました」 「板崎洋は連絡待ち……志岐が宛もなくふらふら歩いてるなら、見つけんのは至難の業だな」 「ですよね……」  実際、がむしゃらに探し回ったが見つけられなかった。 「志岐が自分から戻ってきたくなるようなことがあればいいんだけどな。事務所に迷惑かけたと思ってるだろうから、きっともう戻ってくることは考えてないよな」  志岐が戻ってきたくなるようなこと……まったく思いつかない。そもそも、それを思いついたとしても、どうやって志岐に伝えれば良いのか。 「携帯も相変わらずか?」 「はい。電源がずっと入ってません。解約はされてないみたいなんですけど」 「手詰まりだよなあ。捜索願なんかだそうものなら、ますます騒ぎが大きくなるだろうしな」 「それで見つかっても、志岐はもうここには戻ってこない気がします」  一時間ほど飯塚と話し合ったあと、今日はこのまま家に帰ることになった。  ◇  帰ってから、相馬に電話する。ワンコールで電話に出た相馬は、「かけてくると思った」と笑った。 「ありがとな」 『お礼は身体で』 「桜田さんと同じようなこと言うなよ」 『……あの人と同類とか最悪』 「そう言うなって。あの人すごく優しいんだ」 『手懐けられてる』  桜田はすっかり相馬に嫌われてしまったらしい。初めに敵意を向けたのは桜田か。原因が自分なだけに悲しくなる。 「志岐が戻ってきたら、一緒に食事でも行こう」 『先輩のことを好きな三人が揃って何するんだよ。しかも志岐天音と両想いだろ。よかったね』  相馬は投げやりに言った。  相馬は、椿に執着していた。誰を傷つけても、椿さえ傷つけてもかまわないと行動していた。その相馬が志岐の想いを伝えてくれたことは大きな変化であり、それと同時に、この長い恋の終わりを示しているように思えた。 「相馬、俺のこと諦めないって言ったけど、あれ嘘だろ」 『……そう思う?』 「うん」  名残惜しそうに離れた指。あのとき、何となく終わりを感じた。 『志岐天音と、関わらなければよかった』  ぽつりと、相馬が言った。 『クソ生意気なガキなくせに、自分のことより先輩の方が心配って、平気で言ってくるお綺麗なとこがムカつく。ああいう奴ほんと嫌い。自分の方が先輩のこと想ってるって言われてるみたいでほんと』  熱を持った相馬の声が、すっと冷える。 『敵わないって、思わされて』 「相馬……」 『愛梨先輩もそう。先輩が好きになる人っていつもそういう人。俺なんか生まれ変わってもなれないような、強い人が先輩は好きになるから。だから俺なんか、もう駄目だって思った』 「俺は相馬こと、嫌いじゃないよ」 『……せっかく諦めようとしてんのに、そういうこと言ってどうすんの。先輩にとって長年重荷だった厄介事がやっとなくなるってのに、引き止めてどうすんの』 「ごめん」 『ほんとだよ。鈍くて無神経で、そのくせよく知らない奴にも優しくして、慕われると誰でも可愛がって』 「……ごめんな」 『好きだったよ』 「ありがとう」 『大好き』  いつか屈託なく笑いあえる日がくるかな。中学のときみたいに、馬鹿な冗談を言い合えるような関係になる日がくるかな。 「ありがと、相馬」  椿が言える言葉はそれしかなかった。礼だけを言う、そんな綺麗な関係じゃなかった。椿は相馬を苦しめたし、相馬も椿を苦しめた。だけど、今言いたい言葉はそれだけだった。 『事務所に戻って、何か手がかりあった?』  やがて相馬は、志岐ついて訊ねた。 「新しいことは何も。板崎洋へは、社長がすでに連絡してて返事待ち。でも向こうは、関わりたくないって感じだったみたいだから、志岐が板崎洋のところにいるわけじゃないみたいだ」 『だろうね。あいつ、板崎には近寄らないよ』  言い切った相馬に、椿は首を傾げる。 「どういうことだ? そりゃ親が離婚したら他人だろうけど、Ameのプロデュースもやってた人だろ? 今一番頼りにするのは板崎なんじゃないのか?」 『志岐天音は、板崎千紗への罪悪感を忘れてない。その子の近くには行けないって言ってた』 「板崎千紗……その子の話も志岐としたのか?」 『板崎千紗の歌が、大好きだったんだってさ。その子が自殺したとき、自分の方が死んだ方がいいと思って死のうとしたけど、一命を取り留めたのを知って、もう一度歌を聴きたくて、諦められなくて生きてるって、言ってた』  志岐が求める歌。傷つけて、傷ついても諦められない歌声。 『板崎の方も、ちょっと探ってみるよ。志岐天音、板崎の話をするときは何かおかしかったから』 「おかしい?」 『うん。母親や板崎千紗に対しては、申し訳ないとか、謝りたいとか、そういうこと言うのに、板崎洋へはそういうのなかった。恨んでるって言葉では言わないけど、あれは好意はなかったと思う』 「わかった……ありがと、何かわかったら教えてくれ」  そう言って電話を切る。  シャワーを浴びてベッドに入るが、頭は冴えてしまって眠れない。  今日知った、志岐の過去。耳に残る、ずっと留めて置きたい志岐の声。桜田の想い。相馬の想い。社長や飯塚、事務所の同僚皆の優しさ。それらが頭をぐるぐると巡り、ときに胸を締めつけた。志岐の歌が、聴きたくなった。  深夜から降り始めた雨の音を聴きながら、椿は志岐の歌声を想った。

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