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第六章 二

 ◇  翌日の午後、板崎の事務所から正式な連絡を受けた。 「志岐天音は確かに、あのとき板崎洋の義理の息子であり、Ameとして歌手活動をしていたが、今は事務所に所属しておらず無関係である。このことに関し、板崎洋の名前を出すことは避けてほしい」  簡単過ぎる回答だった。息子だった志岐を無関係と言い切ったのだ。板崎洋の意志ではないのかもしれないが。  手がかりを断ち切られたようなものだった。それを受け、今日タレントにつく仕事のない社員、椿、飯塚、若林、そして社長で話し合うことになった。  社長の机を囲むように椅子を持ってきて丸くなる。 「志岐が戻ってくる気になるまでは、このまま様子を見るしかないんですかね……」  若林が言うのを聞き、飯塚は厳しい顔をする。 「戻ってくる気になる日なんて、このままじゃこねえだろ。あいつは二度と帰ってこないつもりで出て行ったんだろうから」  社長にあてたあの手紙、あれを読む限り、そうとしか思えない。 「そうだね……僕は天音が辞めることを認めたつもりはないけど、天音はそうは思っていないだろうし」 「やっぱり志岐の実家に行ってみようと思います」  椿の言葉に、飯塚が苦笑いする。 「おたくの息子さんをAVに出してた事務所の者です。また一緒に仕事したいので行方知りませんかって?」 「飯塚君」  社長が咎めるように言うが、今飯塚が言ったことは事実だと思った。それでも。 「何を言われるか、わかります。でもそれから逃げるつもりはありません。志岐が親に話していたとも思えませんし、きっと今回初めて家族に知られてしまったんだと思います。だからこそ、ちゃんと話したいというのもあります」 「それは僕も思っていたことだよ。行くときは、僕も一緒に行く」  社長が言ったときだった、「すみません」というか細い声とともに、ガラスドアが開いた。入ってきたのは、一人の少女。  部外者が訪ねてくることなんて殆ど無い。タレント志望の子が以前路上スカウトで名刺をもらって、なんてことはたまにあるが、そのような子は華があってどこかしら目を惹く。しかし今訪れた少女は大人しそうな、目を惹くところなどない普通の女の子だった。 「えっと、どうしました?」  とりあえず要件を聞こうと、一番下っ端の椿が立ち上がる。  外は昨日からの雨がまだ降り続いているらしい。女の子が持つ淡い緑色の傘から水滴が落ち、小さな水たまりを作っているのが見えた。  年は志岐と同じくらいにも、もっと幼くも見える。しているかしていないかもわかりにくい薄い化粧に、染めたこともパーマもかけたこともないような、自然なストレートの黒いロングヘア。それが彼女の印象を幼いものにしていた。志岐と同じ年頃でも、女性というより少女や女の子、という方がしっくりくる。 「表の看板見ました? ここ芸能事務所なんですけど」 「わかってます」  きつく睨まれ、椿は思わず押し黙った。  大人しそうな印象に反した、きっぱりとした物言いと物怖じしない態度に、その場にいた全員が一瞬言葉を忘れた。か細いと思った声が、凛と響くものにガラリと印象を変えた所為もある。 「志岐天音の事務所ですよね?」  少女は椿たちを端から順番に見据えながら、言った。  志岐のファンか何かか? いやしかし、そうも見えない。声にこちらへの敵意が見えるのも気になった。 「志岐に関しては、部外者の方には何もお話できません。事実確認中です」  椿が決まりきった台詞を言うと、少女は椿に視線を固定させ、ますます強く睨んだ。 「天音に会わせてください」 「失礼ですが、志岐との関係は?」 「あの子をAVなんかに出した人たちに、話すことはありません。天音に取り次いでください」  少女はそれを繰り返すばかりだ。  溜息を吐いて、飯塚が立ち上がり、少女を通り過ぎてドアに手をかける。 「あのね、悪いけど何者かもわからない子に会わせるわけないでしょ。お引取りください」  飯塚はそう言ってドアを開けた。そんな少女は飯塚へ詰め寄る。 「 ここにいないんですか? どこにいるんです? 今どこに住んでるんです? あなたたちが無理にAVなんかに出してるんでしょう? あめを返してください!」  あめ? この子は、今“あめ”と言った。まさか……  高く透き通る声。聞き覚えがある、この声。 「板崎、千紗……?」  椿が思わず呟いた声に、少女は振り返った。目を丸くする。 「私のことを、知ってるんですか?」  やはり。この子が、板崎千紗。志岐が守ろうとした、女の子──。  志岐が事務所に来た経緯を正直に話すと、彼女の表情は沈んでいくと同時に、こちらへの敵意は失せていった。 「そうですか……。あめは家を出た後、そんなことを……」 「信じるんですか?」 「あめは、家に手紙は送ってきていたんです……とてもお世話になっている人がいると。仕事の面倒も見てもらっていて、だから自分を心配する必要はないと。電話も本当に時々ですが、してきていて、その言葉に嘘はないように思っていたので……」  まさかその仕事がAV男優だとは思いませんでしたが、と付け足した。  来客用のソファに、椿と社長、そして板崎千紗は座り、お互いの話を聞いた。あまりこちらが大人数だと緊張するだろうと、席を外すことになった飯塚と若林は、それぞれのデスクに向かって仕事をしている。聞き耳は立てていることだろう。 「志岐と、連絡をとっていたんですね」  家出状態だと思っていたが、少し違っていたようだ。 「あめが連絡を入れていたのは、母親に、です。私は、もう何年も連絡をとっていません。あめのお母さん……私にとっても、短い間母でしたが、母と私は今も連絡を取り合っていて、そこであめのことを聞いていたんです。……私は、もうあめに会うことは、できないので」  相馬の話からはわからなかった、板崎千紗の志岐への思いを知る。板崎千紗もまた、志岐に罪悪感を持っているようだった。 「志岐が今どこにいるかは? 志岐から最近連絡はありませんでしたか?」  板崎千紗は首を振る。 「あめは家を出てからどこで暮らしているのか、母にも教えてくれませんでした。母も、あめが心に傷を負って、私たちの前から消えたことをわかっていたので、無理に聞き出そうとはしませんでした。元気なことがわかっていればいいと……」  伏せた瞳が、揺れていた。 「突然、すみませんでした。あめはここからもいなくなってしまったんですね」  板崎千紗は立ち上がる。一つお辞儀をして、出ていこうとする。 「ま、待ってください!」  椿が思わず大声を出すと、彼女はえ、と振り返った。切りそろえられた綺麗な黒髪が揺れる。 「志岐のことを、教えてください!」 「でも……」  椿も立ち上がり、板崎千紗の前で頭を下げた。  驚いたように息を呑んだ彼女が、静かに、押し殺したように息を吐くのを聞いた。様々な感情を抑え込もうとしているように感じた。 「無理にAVに出したわけではないというのは信じます。でも、やっぱり、あなたたちを信用してすべてを話すということはできません」  そうだろうと思う。彼女が自分たちを信用できるわけがないとわかっている。抑え込んでくれているが、事情はあろうとも、志岐をこんな道に引きずり込んだ人間に対する怒りは消えないだろう。  しかし、今縋れる唯一の手がかりだ。これを逃したら、もう志岐に繋がる道は見つからないかもしれない。  椿は顔を上げた。 「信用できるわけないっていうの、わかります。俺は志岐のマネージャーをしていました。志岐が男とセックスすんのなんか嫌がってるの知ってて、仕事を取ってきていました。あいつの痛みを、何もわかってなかった。その結果が、今回のようなことになりました」  志岐は、この子を守るためにすべてを捨てた。ならば戻ってくるきっかけになるのもまた、きっとこの子の存在だと思う。だから。 「志岐は、あなたの歌を聴きたいと言っていたそうです。そのために、生きてるって」  板崎千紗は、びくりと身体を震わせる。 「何があったのか、教えてください。すみません、こんな、信用もなにもできない奴ですけど、志岐を連れ戻したいんです……!」 「……また、この仕事をさせたいから?」 「違います! 志岐の痛みが、わかった。だからただ……っ、ただ抱きしめたい……!」  社長は呆気にとられ、板崎千紗と若林は目を丸くした。馬鹿か!? と大声を出したのは飯塚だった。  自分でも何を言ってるんだ、馬鹿じゃないのかと思う。でも、板崎千紗を引き留める言葉なんて他に思いつかなかった。自分の中にある志岐への気持ちを示すことでしか、信頼を得られる術がわからない。 「志岐に会いたい、もう一度……! 志岐がもう、仕事をしたくないって言うなら、それでいい! それでも、会いたいんです! 俺は……っ」  なんて自分勝手な言い分。会いたいという、自分勝手な思い。でも、それが今椿が伝えられるただ一つの気持ち。  板崎千紗に向かって、椿は深く頭を下げる。情けなく、手は震えていた。  沈黙が、流れる。  駄目だろう。こんな不格好な言葉じゃ、引き止められない。信頼を得られるわけもない。唯一の手がかりなのに。  椿が諦めかけたとき、か細い声が聞こえた。 「変な人……」  はっと顔を上げると、微かに笑う少女が目に入った。 「名前を聞いてもいいですか?」 「椿由人です」 「椿さん……、あなただけに話すことはできますか?」  椿は社長を見る。社長は頷いてくれた。 「わかりました。お願いします」  椿はもう一度、板崎千紗に頭を下げた。  昨日飯塚と話をした、事務所近くの喫茶店に場所を移すことになった。事務所のドアを開いたとき、社長に声を掛けられる。 「伺ったことを、僕たちに話さなくていい。でも、一人で突っ走るのだけは駄目だよ。動くなら、僕らも一緒に。君一人が背負う必要はないよ」  それにわかりましたと返し、椿と板崎千紗は事務所を後にした。

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