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第六章 八
「桜田も相馬も、志岐を心配して、俺が志岐を見つけられるようにって協力してくれた」
「それは……あいつらが椿のこと好きだからだろ」
「違う。よく考えてみろ。桜田との付き合いは、お前の方が長いだろ。あいつに助けられたこと、俺と会う前からあったんじゃないか?」
「……お節介だから。椿と一緒で」
そう言いながらまた涙を流すのは、桜田の優しさを思い出しているからなのだろうなと思う。
「相馬は、あいつはほんとだったら、志岐に何があったのか、俺に教えるわけないだろ? でも教えてくれた。お前を見つけられるようにって、手がかりを探してくれて」
「それが、わかんない……あの記事を載せる時点で、俺はいなくなることを相馬にも話してた。そのときは止めなかったのに。だから信用してたのに」
「志岐のこと、ほっとけなかったんだよ。俺は相馬とずっと一緒にいたのに、あいつの気持ちなんかわかってなかった。わかろうともしなかった。どんな言葉を言ってほしいのか、そういうこと、考えたことなかった。でもお前は、相馬の言ってほしいことを言えるんだよ。相馬を救ったんだよ。だから相馬は、志岐を助けたいって、見つけてやりたいって、思ったんだと思う」
絶対認めないだろうけど。都合良く考え過ぎだって、また言うのだろうけど。
「ただ引き留めるんじゃなくて、俺が迎えに行けるように、お前が自分の意志で戻って来れるように、したかったんじゃねえかな」
「……そんな面倒くさいことする奴かよ」
「俺の知ってる相馬はそんなことしない。でもお前が変えた相馬なら、すると思う」
きっと志岐が、自分の意志で戻ってこないと意味がないって思ったんじゃないかな。
「馬鹿な奴ら……」
椿の腹に額を押し付ける志岐。その頭を撫でながら、椿は話を続ける。
「飯塚さんは、志岐がいなくなって荒れる俺を叱ってくれた」
「お前、荒れたの?」
「……結構な。飯塚さんにめっちゃ厳しいこと言われた。社長にも自宅謹慎とか言われて、しばらく家に引きこもってた。俺が志岐に不利になるようなことしないようにとか、俺が頭冷やしてお前を捜せるようにとか、そういうこと思って厳しくしてくれたんだ。二人ともお前を連れ戻したかったからだ。事務所の人皆そう。お前に仕事してもらいたいとかじゃなくて、志岐にもう一度会いたくて、皆協力してくれた」
ひっく、とまたしゃくり上げる声が聞こえてきた。
「社長は俺にな、『幸せになって』って言ったんだ。お前に幸せになってほしいって、願ってる。志岐の幸せを心から願ってる人がいる。志岐を、愛してるから」
もう一人の女の子の想いも、伝え忘れちゃいけない。
「千紗さんも、お前のこと愛してる。だから歌ってくれたんだ。事務所に来てくれたとき、志岐のことを『家族』って言ってたよ。お前は家族を失ってなんかいない。愛してる、愛してくれてる家族が、ちゃんといるじゃないか」
「愛して……?」
「うん。志岐は馬鹿だなあ。こんなにたくさん、お前を大切に想って、愛してる人がいるのに、それに気づかないで全部捨てていこうとするんだから」
嗚咽が漏れる。肩を震わせて泣きじゃくっている。ぎゅうぎゅうと抱きしめると、ますますそれは酷くなる。
「椿……っ、椿……」
「大丈夫だよ。もう、いろいろ大丈夫。いっぱい泣いて。そんでもう、俺から離れて行くなよ」
「ん、ひっく、うん……っ」
「え? 何? うんって言った?」
「言ってる……っ、言ってんじゃんっ、んくっ」
「あはは、しゃっくりでわかりずれぇんだもん」
「椿の馬鹿……! ひっく!」
「あはは」
離れないと言った。いや、実際にはただ頷かせたようなものだけれど。
「椿……?」
そのとき、志岐が目を丸くして自分を見上げていることに気がつき、椿は首を傾げた。
「何? どした?」
「泣いてる……」
言われてみれば、確かに視界が滲んでいくのがわかった。
「あれ、なんだ……? 安心したからか? 泣き虫が伝染ったか……?」
ずっと会いたくて。会いたくて。自分はなんて無力なのだと、打ちのめされた。志岐を連れ戻すと決めてからも、気をぬけば「もう会えないかもしれない」と弱気になる自分を叱咤した。
でも、本当は怖くて、不安で、心は悲鳴をあげていた。志岐の心の痛みに比べたら、自分の恐怖なんか、小さな小さなものだけれど。好きになった人と離れること、それはこんなにも怖いこと。そんな怖いことを志岐は経験してきたのかと、それを実感したのだ。
「……っ、ごめん、俺が泣いてどうすんだってな」
軽口を叩いて笑うのに、涙が止まらない。志岐もそんな椿を見て、ますます涙を溢れさせる。
ああ違う。違うんだ。泣いていいんだけど。泣き顔も、見せてほしいんだけど。
「なあ志岐、笑って?」
「な、何?」
「志岐の笑顔がみたい……っ」
やっぱり笑顔が、見たい。ずっと見たかった。会えなくなってから、ずっと。
「椿……」
志岐はぽろぽろと泣きながら、微笑んだ。椿はそんな志岐の額に自分の額をくっつけて、やっぱり笑った。
それからも泣き続ける志岐をあやしていると、やっと桜田と相馬が帰ってきた。抱き合う椿たちを見て、桜田は嬉しそうに笑った。そしてゆっくりと二人のそばに腰を落とすと、椿が抱きしめる志岐の頭を、柔らかく撫でた。
相馬は黙って突っ立っていて、椿と目が合うとぷいっと顔を背けてしまった。
「二人とも、ありがと……」
志岐は小さな声で、しかしはっきりと礼を言った。
桜田は「いえいえー」なんて軽く返し、相馬はやはり黙っていたけど、足早に近づいてきて、軽く志岐の頭を小突き「先輩泣かせんな」とだけ言った。相馬に泣かされたことの方が多いよな、なんて思って、可笑しくて笑った。
二人とは、また今度ゆっくり会おうと約束して別れた。
家に帰る頃には日付が変わっていて、志岐と二人で椿の部屋について早々、ベッドに倒れこむようにして眠ってしまった。
朝になり、閉め忘れたカーテンから日が差し込んで目が覚めた。疲れていたとはいえ、抱き合って同じベッドで眠っていたことに気がついてぎょっとした。しかし同時に、まだ自分にしがみついて眠っている志岐に、椿の心は和む。
ここにいる。志岐が、ここに。
「志岐」
一度呼ぶが、瞼がぴくりと動くだけで開くことはなかった。
昨日散々泣いたから、目は可哀想なくらいに腫れている。今更だけど冷やしてやろうかなと思いベッドから降りようとするが、思いのほか志岐は椿に強くしがみついていた。
なんて愛しいんだろう。
ベッドから降りることは諦める。
もう一時間ほどしたら起こそう。事務所にも千紗にも早く連絡しなくちゃ。自分だけが志岐が戻ってきた幸せを噛み締めるなんて申し訳ないと思った。
そう思いつつも、そっと志岐を抱きしめた。ふわりと甘いようにも感じる志岐の匂いがして、安心して椿もまた目を閉じた。そして小さく囁く。
「おかえり、志岐」
第六章 終
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