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第七章 三

 一旦椿が部屋から出て安心していたらしい志岐は、椿がノートパソコンを持って寝室に戻ってきて電気をつけると、布団の中から顔だけ出した。 「何? 椿。いい加減、俺寝たいんだけど」  志岐の言葉には答えず、椿は黙ってパソコンを起動させる。音量も上げる。 『じゃあ最後の質問いいですか』  パソコンから、相馬の声が流れ始める。 『やっぱり男が恋愛対象で、今も好きな人はいるんですか?』  志岐は飛び起きる。 「これ、まさか……!?」 「志岐がいなくなったあと、相馬からデータをもらった」 「な……っ」  志岐は絶句するが、その後も音声は続いていく。 『俺が好きになったのは、やっぱり同性でした』 『どんな人?』 『俺の顔を、好きだと言ってくれた人』 『顔? 顔だけってこと? それって嬉しいの?』 『嬉しかった。表情を、見ててくれて、俺が作る表情が好きだって。笑顔に幸せをもらえたって、言ってくれた人。その人にだけは、本当に心から、笑えた』  志岐はベッドから降りて立ち上がった。パソコンを取り上げようと考えたのか、椿との距離を縮める。 「この言葉に、意味がないって?」  しかし椿の低い声に、志岐は動きを止めた。 『マネージャーとして、仕事で優しくしてくれたんだってわかってる。顔を好きだって言ってくれたのだって、千紗の歌があったからだってわかってる。でも、救われた。ずっとずっと自分が憎くて、顔なんか潰そうとか焼いてしまおうとか思ったこともある。鏡なんか見ると吐き気がして、割りたくなった。でもあの人に好きだと言ってもらえたから、それから、少し、許せるようになった。あの人が辛かったときに、俺が救えていたんだとしたら、それはすごく、嬉しくて』  志岐は俯く。 『最初は、気に入らなかった。Ameが好きだなんて、騙されてるとも知らずになんて馬鹿なんだろうって思ってた。それも、千紗の歌ならまだしも、外見まで好きだなんてどこまで見る目ない奴なんだよって』  深く深く俯く。 『でも、あのとき、壊れていく家族を見ながらせめて笑顔でいようって、それだけしかできなかった俺を、あいつは見ててくれたんだって、わかった』  志岐は、顔を両手で覆った。 『椿由人を、好きになった』  そこで、椿は音声を止めてパソコンの電源を落とした。立ち尽くす志岐の前に立つ。 「なあ、これにも意味がないの? 忘れろって言うのかよ? 忘れられるわけねえだろ。好きな奴に好きって言われてキスされたことを、忘れられるわけねえだろ」  志岐の肩が震えて、また泣かせてしまったのだとわかる。 「志岐の過去を知った。悲しかった。可哀想だと思った。辛かった。でも俺が志岐への気持ちを自覚したのは、それを知る前だ。キスされたのは、もうお前のことが好きだって気づいたあとだった」  志岐が驚いたように、覆っていた手を離し顔を上げる。せっかく腫れが引いてきた目元が涙を擦ってまた赤くなってしまっていることに、胸が痛んだ。 「別にいつ好きになったとか、言い訳みたいに言うつもりはなかったけど、志岐に信じてもらえないなら言うよ。お前がAmeだって知る前から、俺は志岐に惹かれてた。マネージャーとしてそばにいたかったから、隠してた。でも志岐がいなくなって、後悔したから。だから伝えたいと思った」  志岐に腕を伸ばして、抱き寄せる。  頼むから、拒まないで。 「志岐を、愛してるって」  志岐の身体がまた震える。 「信じろよ。あのキスの意味、直接聞かせて。今は嫌いになったんだったらそれでもいい。でもあのときの気持ちを、聞かせて」  少し身体を離し、志岐の瞳を見つめた。 「なんで、だって……、椿が俺を好きになる理由なんて、ない……っ」 「志岐こそ、なんで答えてくれないの。なんで隠すんだよ」 「だって、お前と俺とは、意味が違う……!」  一体何の意味が違うと言うんだ。 「好きの意味が、違う! 俺は椿と、キスしたいとかセックスしたいとか、そういうこと考えてる。友人って、家族って、言ってもらえて嬉しかったのに! 男に犯されて千紗も母さんも傷つけたのに。椿とヤりたいとか、そういう、また馬鹿なことばっか考えてる! どうしようもない。汚いんだよ俺。だから言いたくなかった。椿がくれた気持ちを台無しにするようなことばっか考えてるから。家族って言ってくれた人とまたヤりたがるなんて、俺頭おかしいんだよ!!」  自分が言った「家族」という言葉を、志岐はこんな風に受け止めていたのかと、初めてわかる。 「嬉しかった! 嬉しかったのに……! 椿が俺を家族みたいに思ってるって言ってくれて嬉しかったのに! 今も、嬉しいのに。家族みたいに愛されて、こんな幸せなことってないのに……! 止まらない。お前を好きになる気持ちが止まらない。嫌いだって言わせてよ! じゃないと俺は、また間違う! また皆を傷つける」  嫌いになりたい、と志岐はしゃくりあげる。溢れる涙を椿に見せまいと、手の甲で何度も何度も目元を擦る。 「嫌いになりたいのに……!」 「志岐、やっぱりお前わかってないよ」  わかってない。家族として、じゃないんだって。 「家族みたいに思ってるって言ったことに、嘘はない。……いや、嘘だな。家族とは、違うな。家族みたいに大切なのは本当だけど。キスされて嬉しかった。好きだって言ってもらえて嬉しかった。今、俺とセックスしたいって言ってもらえて、嬉しかった」  志岐が、動きを止めて息を呑んだのがわかった。 「なあ、これが家族と同じ『好き』だと思う? 嫌いになりたいなんて言うなよ。そんなこと言われると、死にそうになる。志岐を好きで仕方がない俺が、死にそうになる」 「だって……」 「好きになる理由? そんなの、いっぱいあるよ。憧れたのは、辛さを隠して笑うAmeとしてのお前。あのときから、それは変わってない。惹かれたのは、初めはそれだった。その後に出会った志岐は、生意気で憎たらしくて。でもお前、やっぱり今も強くて」 「強くなんか、ない……」 「うん、そう。弱いのにさ、でも人を守るためには強くなれるとこ、尊敬してるし大好き。すごく心配になるけど。あと、笑顔も可愛い。ときどき優しいとこも、不器用なとこも、料理下手なとこも、演技が下手なとこも、全部好き」  あ、でも演技の勉強はしようなと付け足す。 「志岐の歌も好き」 「千紗の歌、だろ」 「違う。もちろん千紗さんの歌も好きだけど、志岐の歌が、好きだよ。海で、俺は自分の気持ちを抑えこむことに必死だったけど、あのときお前の歌を好きだって言った気持ちは、全部本当だよ」  なあ、好きなんだ。他にもいっぱいある。いっぱい、好きなところがある。  たとえば、前髪を気にして指で摘むちょっとした仕草。家に来ると、こたつに飛び込んでなかなか出てこない子どもっぽさ。俺が積極的になると、ぎゃくに挙動不審になって慌てるところ。  そういう志岐の仕草一つ一つが、愛おしいと思えた。 「志岐と出会えて、俺は幸せになったよ。志岐は俺に、一生分の幸せをもらえたって言ってくれたけど、俺も同じ。志岐にたくさんの幸せをもらってる。きっと、これからも」  そう。これからも。 「これからもずっと、俺と一緒にいてください」  椿はそう言って志岐に笑いかける。 「夢、みたいだ……」 「夢じゃないよ」 「だってこんな、こんなに嬉しいこと、ない……」  せっかく止まった涙が、また志岐の瞳に溢れだす。 「志岐、お願い。言って? 志岐の言葉で直接聞きたい。俺のこと、今はどう思ってる?」  志岐は淡く微笑んで、ふわりと椿に抱きついた。 「俺は、椿由人が大好きです。……よろしくお願いします」  どちらからともなく顔を近づけて、触れるだけのキスをした。  照れくさくてお互い笑ってしまいながら、何度もキスを交わした。

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