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最終章 二

「俺の歌、聞いてもらえんのかな……」 「売れるか、ってこと?」 「聞いてもらえるってことが売れるってことなら、そうかな……。千紗の歌を歌わせてもらえるのに、伝わらなかったらどうしようって思う」 「伝わらなかったら……? えっと、千紗さんの音楽と、お前の歌にこめた想いがってこと?」 「そんな感じ」  そう言った志岐の笑顔が儚く見えた。瞳が潤んでいる。  歌うことの幸せと背中合わせにある不安。その不安と戦っている。仕事にするのなら、ただ楽しく歌うだけでは駄目なのだと、志岐はよくわかっている。 「聞いてもらえるようにサポートする。志岐が一人で頑張ることじゃないんだ。一緒に、頑張るものだから」 「うん……」  頷きつつも、志岐は納得していないんだろうなと思う。志岐は自分に厳しいから、一人で頑張ろうとする。そこは心配だ。  だから逆に、相馬のように喧嘩しながらそばにいる方がいいのかもしれないと、最近思う。自分といると、志岐は頑張り過ぎてしまうから。相馬にからかわれながらやるのが、ちょうどいいバランスな気がするのだ。まあ、志岐は絶対否定するだろうから言わないけど。 「まあ、売れたら事務所も助かるしな。事務所が潰れたら俺たち二人して失業だし」 「はは、確かに」  志岐が少し笑ったことに安堵する。 「そういや、この前若林さんが連れて来た女の子はちょっといいとこ行きそうだって皆で話してたんだ。可愛くてさ、なんか人目を惹く子でー……」  さらに空気を和ませようと軽い世間話のつもりで言ったのだが、志岐の瞳に剣呑な光が宿るのを見て、椿は口を噤んだ。 「可愛かったんだ?」 「う、うん。読者モデルもしたことあるとかでさ」 「ふーん」  ヤキモチだとわかった。それは、ちょっと嬉しいと思ってしまう。付き合って半年経っても変わらず焼いてくれるのが嬉しい。  ……あれ、なんか俺性格悪い? でも今のは焼かせようとか狙ったわけでもなくて。 「うお!?」  急に志岐が起き上がる。布団が落ち、冷たい空気に晒される。 「おま、寒いだろ」 「椿は俺が他の誰かと仲良くしててもヤキモチ焼かない」 「え、焼くよ」 「桜田と相馬と仲良くしてても何も言わない」 「だってあいつらは……あいつらじゃん?」  ぽかんとして返したら、志岐が椿の上に伸し掛かってきた。 「俺は、椿が誰と仲良くしてても面白くない。椿は元がノーマルだから、男にも女にもヤキモチ焼いて、すごく疲れる。仕事関係だとお前愛想良すぎだし。無駄に顔が可愛いし」 「可愛くないし、」 「可愛い」  言い切られて、また口を噤んだ。  志岐に自分はどう見えてんだろうなと、椿は不思議になる。謙遜じゃなく、童顔ではあるが、そこまで可愛いと言われるほどの顔じゃないと思っている。それなのに、志岐は椿を可愛い可愛いと言う。 「見えるとこにキスマーク付けたら牽制になる?」 「やめろ。仕事しにくくなる」  事務所の人には誰が付けたのかバレバレだし。 「だいたい、俺志岐と付き合うまで高校以来彼女もできなかったんだぞ。そんなモテねえし心配することねえよ」  そう言うのに、志岐は聞いていないのか、椿の首元に唇を寄せる。強く吸われて、痕が付けられたとわかる。 「志岐さん? ときどき独占欲強すぎますよー」  ま、冬だし事務所寒いし、マフラーでもしてればいいかと思い直す。 「ヤりたい」 「駄目。お前疲れてるだろ。ちゃんと寝ろ」  そう言って志岐を寝かしつける。不満そうな顔をしていたが、椿が頭を撫でると微笑んで眠った。  やっぱり疲れてるんだなと思う。まだ本格的に仕事を開始したわけではないから、体力的なものじゃなくて、精神的に。  志岐と話したいことがあるのだが、それはもう少し志岐が落ち着いてからにしよう。  そんなことを考えながら、椿もいつの間にか眠っていた。  ◇ 「先輩、俺の方がわかるってどういうこと。高校俺の方が一年早く中退してるのに」 「お前は頭いいけど俺馬鹿なんだから仕方がねえだろ!」 「開き直ってないでほら、ここ解いてみて」  向かいに座る相馬は呆れた声を出し、その相馬の隣に座る桜田は、苦笑しながら椿と相馬を交互に見ている。時折参考書を見ながら、椿と相馬が行き詰まると教えてくれた。  椿は相馬と桜田に、ここ数ヶ月勉強を教えてもらっている。大学を出ている桜田と違い、相馬は椿と同じく高校中退である。それなのに自分よりずっと勉強ができるとはどういうことだと、椿は少し悔しくなった。  二時間ほど勉強して、桜田が休憩しよう、とコーヒーを淹れてくれる。  あれ? ここ相馬の家だよな? まるで自分の家かのような自然な動作に、椿の頭に疑問が湧く。自分の知らないとこで、この二人も仲良くしてるんだろうか。 「先輩中学レベルから怪しかったからなあ。でも意外と英語はできんだね。漢字とか変に知ってるし」 「変にって。仕事で困るから勉強した」  理数系がさっぱりわからなかった椿は、中学の範囲からやり直した。やっと最近高校の範囲に入った。こんな調子で大丈夫かと、不安になる。 「試験夏でしょ? 厳しい気がする」 「はっきり言ってくれんな。暗記力には自信ある!」  そう言うと、相馬はどうかなーと笑った。  あ、柔らかい笑顔だ、と思った。こういう顔を、相馬は最近見せるようになった。 「相馬、何かあったのか?」 「はい? 何が?」 「何か、顔が変わった」 「何それ。整形とかするわけないでしょう?」 「いやそういうことじゃなくて」  椿が首を傾げていると、桜田が笑った。 「由人君の言いたいことはわかるよ。最近の相馬君は優しい顔をするよね」  それを聞いた相馬は、忌々しいとでも言いたいような厳しい顔をした。 「その由人君って言うのやめろよ。先輩も、なんで志岐には呼ばせないでこいつには呼ばせるんだよ」 「それは……」  椿は言葉に詰まる。  志岐が気にしているのは知っている。でも桜田にだけ名前で呼ばせるというのは、約束したことだから。自分がそうしたかったから。 「あいつが気にしてんのわかってるくせに。大事な時期なんだから振り回すようなことすんのやめなよ」  言葉に詰まり俯いていたのだが、相馬の言葉に思わず顔を上げる。志岐のことを大事に考えてくれているような言葉が、嬉しくて。 「何ニヤニヤしてるの。俺の前でそんな顔したらキスするよ」 「ああ、え、いや、それは困るけど」  相馬は表面上愛想はいい方だが、基本的に椿以外の人間のことはどうでもいいと考える男だったはずだ。だからいろんな問題を起こしていたのだし、他人を傷つけていた。  それが、志岐の心を気にしている。椿より志岐の心を優先しているのがわかる。 「あ、なんか今思った」  桜田が、急に声を上げる。何かに気づいたように。 「どうしたんですか? 瑞希?」 「俺、十年後くらいに相馬君と付き合ってる気がする」  瞬間、相馬が桜田を椅子ごと蹴り倒した。大きな音が響いた。

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