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最終章 三
「うわー、痛い」
桜田はへらへら笑っているが、相馬がそれを冷たく見下ろしている。今のは変なことを言った桜田も桜田だから、庇えないと思った。
「先輩、そろそろ志岐のレッスン終わるでしょう? 行きましょう。桜田、あんたはいい加減帰れ。また俺が帰るまでここにいたら半殺しにする」
「半分の半分くらいにしろ!」
「由人君? 半分の半分も結構やばくない?」
桜田の考えてることはよくわからない。
相馬の「また俺が帰ってくるまでここにいたら」「いい加減帰れ」という言葉は、桜田を自分の家に一人残しておくこともこれまであったということを示していると思った。それも、いい加減帰れと言いたくなるくらい長く、しょっちゅう?
椿はそんなことを考えながら、相馬の運転する車の助手席に乗り、志岐を迎えに行く。さっきの桜田の言葉や相馬の言葉を突っ込んで聞いていいものか迷う。
結局、桜田は相馬の家に残っているし。二人に何が起こっているんだか……。
「先輩の所為ですよ」
唐突に言われ、何のことかわからない。仕事のことか、志岐のことだろうか。
「変なのに付き纏われてる」
ああ、桜田のことか。
「変だけど、優しいだろ?」
「どうだか。俺はああいう奴、好きじゃない。先輩の方が優しいし、可愛い」
「俺がどうかは置いといて……。なあ、それなのになんで桜田と会ってるんだ? 俺に勉強教えてくれるときは別としてさ。それ以外でも会ってるんだろ?」
「先輩の所為だから」
また!? 今度こそ、本当に意味がわからない。椿の何もわかっていない間抜け面を横目で見てわかったのだろう、相馬が溜息を吐いた。
「桜田が先輩以外を好きになったら、名前で呼ぶのやめるんでしょう?」
「え、そこまで聞いたのか? でもそれとお前が桜田と会うのになんの関係が……」
「よく考えるんだね」
「え、教えてくんねえの!?」
「先輩は頭を使うことを覚えましょう」
あしらわれた気がする。自分の中身の少ない頭を使っても、相馬の考えてることなんてわかる気がしないと、椿は思った。桜田に聞くか。
「桜田に聞くのは、なしだからね」
「おお!?」
「先輩の考えることなんてお見通しだから」
また溜息を吐かれた。
まあ、この件に関してはおいおい考えていくことにしよう……。
「志岐とは仲良くしてくれてありがとな」
「仲がいい? どこ見てそう思うの。だいたい、あいつと話すのは仕事だからだよ」
それ以上言っても、志岐と同じで否定するに違いないから、椿は笑うだけにした。
「志岐にはいつ話すの?」
「んー、CDデビューして落ち着いてからかな」
「それって、結構先じゃない? 直前になると俺が気まずいんですけど」
「悪いな」
そう言ってまた笑うと、相馬は「ずるい」と言う。
「言っとくけど、まだ先輩のこと好きだから。諦めたけどそこは変わってないから、あんまり可愛い顔するとまた頑張りだすからね」
「お前の頑張りはこえーからやめてくれ」
「だったらそんな風に、俺に無防備な顔見せないことだね」
昔から、難しい奴だ。だいたい、可愛い顔ってなんだと思う。
「話戻すけど、志岐にはやっぱり、デビュー前に話しといた方がいいんじゃないですか」
「……お前も言ってたじゃん。大事な時期なんだからって」
「大事な時期だよ。来週レコーディングして、年明けデビューなんだから」
でも、と相馬は言葉を続ける。
「歌、聞いた?」
「まだ……俺は、レコーディングするまで聞くなって言われてる」
正確には、曲は聴いた。千紗が作曲した曲は。それに歌詞がついた状態のものを聞いていないということだ。マネージャーなのに。
「あれ、先輩へのラブソングだよ」
「へ……?」
「先輩が板崎千紗と一緒に作った歌への、返事だね。志岐が作詞してる。悔しいくらい、想いに溢れてる。あいつの言葉で書かれた、先輩への愛の歌だ」
愛の歌。
「あいつ、歌上手いよ。Ameやってたとき、仕込まれたんだろうね。板崎洋がデビューさせようとするわけだ。でも先輩への想いが強すぎて、感情で音程が乱れる。そこを注意されて、でも平坦には歌いたくなくて、葛藤してんだよ」
知らなかった。志岐は調子はどうか聞いても、そんなことは話してくれなかったから。
「なんで俺には話してくれなかったんだろ……」
椿は志岐が作詞したことさえ、知らなかった。隠すのは、どういうつもりなのだろう。
「はあ……なんでいつも俺が志岐と先輩の間を取り持ってんだろ」
志岐がレッスンをしている貸しスタジオの前で、相馬は車を止めた。少し黙って考えたあと、相馬は口を開く。
「志岐は、歌を歌う人なんだよ。何をどうしたって、そこに辿り着く。それを自分でもわかってるんだ。だから先輩に、歌で伝えたいんだよ。歌で勝負したいんだ」
「勝負?」
「先輩に自分の歌を認めてほしいんだよ。歌で、自分を認めてほしいんだ」
「はあ? 俺は志岐の歌が好きだし、それを志岐にも言ってるぞ?」
「それ。そう言いつつ、志岐のことは志岐って呼ぶし桜田のことは名前で呼ぶし呼ばせる。先輩のことが好きだって言ってた俺とも警戒心なく会うし、志岐とも会わせる。そういう隙が嫌なんだよ、あいつ」
「隙?」
「隙間なく、自分のことしか見えないくらい惚れさせたいんだよ。先輩がどういう人間を好きになるか、わかってるんだ」
志岐のことは十分好きなのに。そりゃあ、桜田のことは自分の隙、なのかもしれないとは思う。でも志岐にだって、千紗のような大切な人はいるし、桜田のことは志岐だって特別に思っているはずだ。
「どういう人を好きになるかって?」
「強い人」
相馬は、自嘲するように笑う。
「先輩はやっぱり馬鹿なヤンキーなんだよ。強い人に憧れるんだ。内面のね。俺とは正反対の」
相馬の瞳が、一瞬切なく揺れるのを見た。
「相馬……」
「志岐が一番強さを出せるのは、勝負できるのは、歌だから。その姿を見せたいんだ。Ameの歌が先輩を変えたみたいに、自分の歌で先輩の心に踏み込みたいんだ。だからまだ中途半端なものは聴かせたくないってわけ」
俺の心なんて、とっくに志岐でいっぱいになっているのにと思う。これ以上惚れさせるなんて何を考えてるんだ。志岐がいないと生きていけなくなる。
……ああ、俺にそうなってほしいのか。
「そういうことか」
椿の表情を見て、やっと椿にも伝わったとわかったのだろう。相馬がやっと呆れたようにではなく、面白そうに笑った。
「そう。先輩が求める関係と志岐が求める関係は違う。そこんとこ、早く話し合った方がいい」
志岐は昨日も言っていたのに。「伝わんのかな」と。あれはもちろん、たくさんの人にという意味もあるが、椿に、ということだったのだ。椿に伝わるか。椿が志岐なしじゃいられないようになるかと。
それに気がつかないなんて、自分はまだまだ志岐のことがわかってないと苦笑した。
「お前、なんでそうやって俺と志岐のこと応援してくれんの?」
「……自分でもなんでかわかんないから聞かないでよ」
「わかったら教えて」
「教えたらなんかいい事ある?」
「え、いやねえけど……あ、お前のこともっと好きになる!」
何かいい事……と考えて椿が思わず口にすると、相馬は本日何度目かの溜息を吐いた。
「そういうこと桜田にも言ったんでしょう? 先輩は志岐天音の恋人。それ自覚して。ほら、降りる!」
促されて椿は車から降りる。ちょうど志岐がビルから出てきたところだった。
「今日は二人で話し合いがあるから帰ったって社長に言っとく。じゃあね」
そう言って相馬に車のドアを閉められる。志岐を迎えに来たはずなのに、椿も志岐も置いて、相馬は行ってしまった。
唖然とする椿に、一緒に車を見送った志岐が眉を寄せる。
「何してんの? 椿。あれ相馬? なんで俺たち置いて行かれたの?」
「そうですよねー」
どうするか。適当にどっかで飯を食って……いや、せっかく相馬が与えてくれた機会だ。あいつの心遣いを無下にはできない。
「話があって」
「え? それ家じゃ駄目なの?」
「駄目じゃないんだけど……」
薄暗くなった街。オレンジ色の街灯が、ほんのりと辺りを照らし始める。
椿は志岐の手をとった。
「デートしませんか?」
志岐は一瞬きょとんとしたあと、微笑んだ。
「はい」
柔らかい声に、心が温まる。
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