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最終章 四
◇
「もうあと二週間くらいでクリスマスか。早いなあ」
「ちょうど去年もこうやって寒い中歩いたよな。志岐が女の子のふりして喋んなくてさ、あのとき俺内心落ち込んでた」
「ははっ、俺は浮かれてたよ。もう椿のこと好きになってたからね」
手を繋いで歩く二人を、時折通行人が興味深げに見てくるのを感じた。志岐はニット帽を買って目深にかぶっているから誰とはわからないと思うが、去年のデートのときとは違って中性的な格好はしていない。明らかに男だとわかる。
「椿、見られてるよ。気にしないの?」
「んー? なんだろうな、そりゃ、人前でキスしたりとかしたいとは思わないけど、手ぇ繋いだりはさあ。そのくらい許してほしいなって。まあ、それ見るのも嫌って人はいるかもしんないけどさ。ほら、小さい子がいる家族連れとかがいないところでなら許してほしいよな!」
「椿は変わってるね」
どういう意味!? 志岐は手を繋いだりとか嫌だったのか!? 椿がそう思って焦っていると、その様子が可笑しかったのか、志岐は笑った。
「周りが嫌な思いをしないように配慮するけど、自分がどう思われるのかは気にしないんだね」
「どう思われるか……いや、気にするけどさ。あ、いや志岐は気にする? 志岐が嫌なら手ぇ放す」
そう言いながらも、放したくなくて手をぎゅっと握ってしまう。
「あー、泣きそう」
「え!? んな嫌だった!? 早く言えよ!」
「そうじゃないって」
志岐にぎゅっと手を握り返される。
「嬉しいんだよ、椿」
聞いたことはなかったけど。
志岐だって同性愛者ということで辛い思いをしたこともあっただろうと思う。大きな傷があったために見過ごされた、小さな傷が、きっと志岐の心にある。いつか、その傷を見せてもらえたらと椿は思っている。そして、それを癒すことができたらと。
さすがに手を繋いだまま、去年のように人通りの多い道路をイルミネーションを見るために歩くわけには行かず、人の少ない道を選んで家まで歩いた。デートと呼ぶほどのものじゃない、夜の散歩。しかしどうしようもなく胸がときめき、風景をきらきらと輝かせてみせる。冬の澄んだ空気が、星の光を届けてくれているよう。
こうやって、手を繋いで生きていけたら、それでいいのかもしれない。志岐のマネージャーとして、恋人として、今と同じように隣にいて、一緒に寝て、温め合って。それで十分幸せだ。
きっと志岐もそう。そうなんだろうけど、もっともっとと求めてしまうんだろうな。それはわかるんだ。もっと志岐を知りたい。もっと好きになってほしい。それは椿だって思っている。
今のままで十分だと思う気持ちと、もっと好きになってもらいたいと欲張る気持ち。行ったり来たりしている。
「あー、歌いたいなあ。こういう澄んだ空気って、音をよく通してくれる感じする。ただなんとなくだけど」
繋いだ手を軽く振りながら歩いていると、志岐が空を仰ぎながら言った。月明かりが、その横顔を照らす。綺麗だと思った。
「歌ってよ」
今、志岐の歌が聞きたかった。
志岐は鼻歌を唄った。優しい声。楽しそうに、時折椿の顔を見て、その声に笑い声が交じる。
ああ、ずっとこうしていたいよ。
「椿……、何かあったんだろ?」
家に近づき、歩き慣れた道に出たとき、志岐が足を止めた。
「話、何? なんでずっと、泣きそうな顔してんの?」
「泣きそうに見えたか?」
「うん。辛そうじゃないけど、泣きそうな顔」
泣きたいのかもしれない。志岐が好きで。本当は、志岐なしじゃ生きていけないってくらい深く、恋に落ちていきたいのかもしれない。志岐はそれを望んでる。多分簡単に、自分はそこまで落ちていけると思う。そのくらい、志岐のことが。
「俺は志岐が、好きだよ」
「……うん。ありがと」
「でも」
でも……それって、長く一緒にいられる? 志岐は歌手で、自分はマネージャーで。それってずっと、絶対に続けられるのかなという不安がある。五年後、十年後、二十年後、三十年後。事務所が潰れたら? 志岐が歌手としては成功しなかったら?
そのときも自分たちは、自分は志岐を好きという気持ちだけで、生きていけるのか? それで志岐を守れるのか?
「俺は、志岐をちゃんと守れる力がほしい」
「十分、守ってくれてる」
「俺は志岐を好きだ。十分」
「……十分、ね」
浮かんだ苦笑は、椿の心の隙間を見ているのだろうと思った。桜田を思う椿の気持ちを。
ほら、お前は十分だと感じてない。俺も、同じだ。お前を守る力が、十分じゃないと感じてる。
「志岐、俺はお前のマネージャーを辞める」
志岐の目が見開かれる。
「一時的に、だけど。相馬に仕事を引き継ぐために色々教えてる。だから最近、相馬と仕事に行くことの方が多いだろ?」
「待って」
「俺、中卒だから。それじゃ何かあったとき、雇ってくれるとこなんてないだろ? 何かあっても社長におんぶに抱っこってわけにはいかないんだしさ。そもそも事務所が潰れないように力になりたいと思っても、俺には何もない。高卒の資格がもらえる試験、知ってる? それを受けようと思って。あと、普通の四大は無理だけど、他に資格がとれるような専門学校や短大を探して──」
「待ってよ!」
椿の手を振りほどき、志岐は悲痛な声を上げた。
「何!? 何の話!? なんでいきなりそんな……っ」
「いきなりじゃない。もう、二ヶ月くらい前かな。そのくらいから、桜田と相馬に勉強教えてもらってる。やっぱ今の環境じゃ甘えて勉強に集中できないから、他に家も探してる」
「家、探すって、椿が、出て行くってこと……? 二ヶ月って……椿? 俺に隠してたわけ?」
「ああ」
頬が叩かれる。
志岐の力なんかじゃ、痛くも痒くもない。
「本当に、それは俺と一緒にいるため!? 俺はっ、こうやって椿と一緒にいられるだけでいいのに! 結局、俺から離れたいんじゃないのかよ!? 俺に愛想尽かせたんじゃないのかよ!? ずっと俺のことを好きでいる自信がなくて、離れてくんだろ!?」
「志岐」
「馬鹿だな……っ、俺は馬鹿みたいだな! 椿の言葉に舞い上がって、もっと俺にハマるようにって頑張って……! 男のくせにな! 歌だって千紗みたいに歌えるわけじゃない……っ、お前を導くようなものが、歌えるわけもなかったのに!」
「違う。そんなこと思うわけないだろ。好きだって言ってんだろうが。お前の歌に力がないわけな、」
「椿の好きと俺の好きは、やっぱり違ったんだよ!」
「なんでそうなんだ! お前のことが好きじゃなきゃ、将来のことなんか考えるわけねえだろ!」
伝わらない。泣かせたいわけではないのに。納得しろと言うわけでもない。俺が何を思っているか知ってほしい。その上で、一緒に考えていきたいのに。どうして俺の思いを否定する? なんで信じてくれない……!
「志岐のためならなんでもできる! お前が瑞希に見せつけたいって言うなら、あの人の前でお前に抱かれたっていい! でもあの人が傷つくから、やっぱりフォローはする! 俺はそうとしか生きられないんだよ! そんな隙間ないくらい志岐に落ちていくのは幸せだ! でも二人だけじゃ生きていけないんだよ! この社会で、人と囲まれながら、付き合っていきながら生きるしかないんだよ! 一生一緒にいるために!」
耳心地の良い言葉を紡ぐ時間は終わった。志岐の、まだ見せてくれない傷があることは椿もわかっている。でも、進まなくちゃと決心したのだ。ここで、志岐だけが頑張るんじゃ駄目だと。
俺も戦わないと。俺も進まないと。志岐とずっと一緒にいたいから。志岐と肩を並べたいから。同じくらい強くなりたいから。
「やだ! 椿と離れるなんて、やだ……!」
俯いてしまう志岐。小さな子どものように、やだ、やだ、と駄々をこねるように繰り返す。
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