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漆
畳の上に青成を横たえた。返り血が染みた麻布を外すと、靖久が見惚れた美しい顔と髪があらわになる。
(許せ青成……あれは我が一族の新たなる宝なのだ…。)
欠けた椀に水甕 から水を汲み、青成が気が付いたら直ぐに飲めるように備える。小屋の中も暗くなり出した頃、小屋に凛が入ってきた。
「おやまぁ…其れは滝原殿の小姓でございますか?」
凛が調義 (*)すると靖久は顔をしかめた。「おや、これは失敬」などと笑うと凛は高床に腰を下ろす。
「その金色の髪…毛唐 人の容姿 をした墨衣は若 しや今の羅生の鬼では?」
「…前はほかの鬼がおったような声遣いだな。」
「あら、前の鬼は滝原殿もよく知るお方で御座いましょうに。」
袖で口を隠し、あやしき笑みを浮かべる。靖久はその言葉で知った。
「春宮に仕えるやんごとなき身分の方が吾 のように卑しい唐人 が繋がっておるなど叶わぬ(*)こと。」
(弥生の君が、羅生の鬼であった…のか…。)
「…ん……。」
案じておると、青成が目を覚ました。
「ここ、は…。」
青成はゆらりと起き上がり、辺りを見回す。青成の眼に靖久の顔がうつり靖久だとわかると、ひどく悲しげな顔をした。
「靖久……貴様…なぜ、俺を阻んだ…。」
「…其方 が殺めようとした者は、滝原家の者であったからだ。」
「それで、俺は貴様如きに遅れをとったのか。いっそ笑えるな。」
「否 、もう少しで私は其方に斬られていた。」
己の失態を嘲 る青成の頬に靖久はそっと触れた。触れられた肌が熱くなる。
「春宮に続きこの落度 …明日 にでも俺は……。」
睫毛が憂いたように下がる。隠れる縹色の眼を見たくて、靖久は両の手で青成の顔をつつみ、面 をあげさせた。
「やす、ひさ……。」
「私が其方を守る。守るためにここにいる。」
「俺が貴様に守られる所以 (*)など無いであろう!」
靖久は潤んだ眼から涙をこぼしながら泣き響 む(*)青成を抱く。黙していた凛はひとつ笑い、音もなくそっと背を向け立ち上がった。
「滝原殿、青成様が今宵こちらでお休みになられるのであらば夕餉 をお持ちいたします。」
「かたじけない。」
「青成様、此処は春宮の下であります。安堵しなさってくださいまし。」
青成にそれが聞こえていたのか、返しの声はなく、靖久の肩に顔を埋めたままだった。
凛が小屋を出て、しばらく。泣き止んだ青成は顔を下にして「すまぬ」などと謝る。
「あの唐人はきっと俺と同じ容姿 をしている者を聞き及んでおるのだろう。この髪 をおそろしがらなかった。康黄様か、唐の国の者か。」
「こうこう、とは…。」
靖久もその名を噂で聞いたことがあった。
「比叡連山僧兵隊の総隊長だ。武は抜け出でおり、俺の名付け親である亡き住職からわずか齢十一の時、総隊長を任 けられた。宮中護衛兵隊の弥生の君と次 う(*)のはこの世では康黄様だけかと。」
「しかし…其方も弥生の君とまともに刃を交えて生き延びたではないか。」
「弥生の君は忠実 立 って(*)はおらんかったわ。俺は奴からまるで赤子をあやすように…くそっ!」
青成の悔しき心が靖久に痛く伝う。
気づけば陽が沈みかかって小屋も闇がかかりかけた。靖久は青成の頭を撫で、立ち上がると火を焚いた。ぼうっと炎が揺らぎ、朱い光が青成をよく見せてくれる。
「ならば私は虫けらのごとく扱われておるのだな。」
靖久は笑いながら青成を見ゆ。
「私だけでなく、全ての護衛兵隊と検非違使がだ。弥生の君に敵うものはおらぬ。刃を交えたら最期、その体と魂は引き裂かれる。それほどに弥生の君はおそろしく強い。」
青成は笑った。心が落ち着いたようであった。それを見た靖久は青成の隣にふたたび腰を落ち着けると、青成のひたいに口を当てた。其処がたいそうな熱をもった。
「いやではないのか?」
「……え、と……俺、は…御仏に…仕える身である、ゆえ…。」
「いや、だったか?」
「……いや、ではなかった。」
(ああ、ほんに…愛おしい……。)
今度は青成の薄く、震える口に己の口を当てた。熱と熱の交わりが、心地よく、互いに互いを求めた。
夕餉を持った凛は外から覗き見、「あらあら」とほくそ笑んだ。
*調義…からかい
*叶わぬ…できない
*所以…理由
*泣き響む…泣き叫ぶ
*次む…匹敵する
*忠実立つ…本気になる
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