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玖
――帝の崩御
其の事を聞いたのは羅生門の内にいる京の人々のみ。外にいるものは聞かずに陽が西へ傾く刻を過ごす。
暫く川べりを歩くが青成の影は見えず、靖久は惑っておった。
(青成…何処だ……穢れた衣を浄 めておるのか?それとも…それとも…。)
_春宮に続きこの落度 …明日にでも俺は……。
憂いた青成の顔が浮かぶと靖久は良からぬ思案をした。さらによくよくと周りを見て青成の影を探した。
暫く進むと、人々の嘆く声が耳についた。其方に向かって歩みを進めると、粗末で汚れた人々が集まっておった。どうやらそれは奴婢 が身を寄せ合った集落であった。
「この者の病を広げたくはない、直ちに荼毘 (*)せねばならぬ。」
淡々とした声遣いは青成であった。青成の言に奴婢のひとりが争う。
「そんな酷 いこと…まだ十二のおれの娘だぞ!お坊さま!」
「なれば、此処の者がまた何人も同じ苦しみを受けてもよいのか!」
「ぐ……っ。」
「荼毘は酷いかもしれんが、この病を土に還すことはほかのもの…人だけでなく作物や野の獣たちまでを地獄へ導く。此処で火にかけて、かの者を極楽浄土へおくらねばならぬ。俺が経を唱えよう。」
奴婢たちを言向け、青成は荼毘の設けを始めた。そろりと靖久も奴婢に近づく。
「青成。」
名を呼べば、血が浄めきれておらぬ麻布で金色の髪 を隠した青成が振り返った。青成の膝下には、童女 (*)の尸 があった。肌は痘痕 (*)がいくつもあった。
「疱瘡 (*)だ。やたらと近くには来るな。」
「それは其方も同じだろうに。」
「俺は…俺は御仏に仕える身である。罷 り道 (*)に導く、それがほんの僧だ。」
青成は奴婢たちに乾いた藁 をおおく集め、大きな石を持ち帰るよう命じた。残った何人と青成、靖久は童女が収まるほどの穴を地に掘った。
穴の四隅に持ち帰られた石を積み下に大量の藁を敷く。そして青成は麻布をとった。
靖久のほかは皆すぐは怖 じ惑 うが、京の者のように青成を忌むような言や振る舞いはなかった。
麻布を介し童女の尸を抱え、藁の上に横たえた。
「お坊さまの経なんて、おれたちみてぇな卑しい者には…。」
「亡き霊 になれば貴族であろうと奴婢であろうと等しい。みな、極楽浄土へ導かれる。」
どこか憂いた顔をうつむかせて、青成は片手は腰に下げておったらしい数珠を手にし、もう片方の手には松明を掲げた。大きく燃ゆ火を下に下に、童女の下に敷いた藁にうつすと、大きく炎が上がる。
(形見の雲(*)が、天へ、上る。)
靖久が荼毘を見るのは初めてだった。煙 がおそろしく思えた。その大火の前に青成は胡坐をかき、手を合わせた。
――仏説阿弥陀経 如是我聞 一時仏在 舎衛国 祇樹給孤独園
おどろおどろしくない、澄んだ、心が浄くなる、そんな声色が響いた。青成の美しい経に童女の父や母は声をあげ泣いた。他のものもつられたように、すすり泣いた。童女を知らぬ靖久のほおにも一筋涙がつたう。
(青成……青成…青成……私は其方が恋しい、愛しい…。)
阿弥陀経を唱え、燃ゆる火と形見の雲を見つめたまま立つ青成に奴婢たちはすがらに頭 を下げた。
「お坊さま、かたじけのぉございます…娘も、救われましたで…。」
幾度も報謝されるが、青成は何も言うことはなかった。青成は黙したまま、その場から歩き始めた。向かう先は川のほうで、靖久はゆるりとそのあとをついて歩く。
砂利ばかりの川辺で立ち止まり、青成は天をあおいだ。
「このようなこと、俺の犯した罪の弁 え(*)にもならぬというのに…。」
その言を、悲しみを、靖久は包むように青成を抱き寄せた。
「や、す……。」
「青成……もう、苦しむな…悲しむな…泣くな……。」
「靖久……俺はもう、穢れておると…。」
「其方は美しい、其方が愛しい……青成……。」
青成は靖久の顔を見た。靖久も青成の髪を撫で、縹色の清らかな眼をよくよく見ゆ。縹色は涙で揺れておった。
「青成、私は其方が欲しい。」
*荼毘…火葬
*童女…少女
*疱瘡…天然痘
*痘痕…天然痘で皮膚に出来た痕
*罷り道…死者のいく冥途の道
*形見の雲…火葬の煙
*弁へ…償い
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