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第33話
しばしの沈黙を破るように店員がオーダーした料理をテーブルに給仕する。けれどもうひと口たりと固形物などのどを通らず、周防はうつむきまぶたを伏せ痛みに耐えるしかない。
追加のアルコールが届いたところで、ふたたび西園寺が口をひらく。
「初めて俺と櫂が出逢った日を覚えているか。おまえにとって俺は大勢の客のひとりだったろうが、俺にとってはそうじゃなかった。
櫂に接客をされたときから俺はおまえに惹かれていたんだ。屈託のない笑顔、生き生きとした表情。櫂の一挙手一投足に目を奪われ心が焦がれたよ。
妻とは俺が大学のとき知り合い結婚したんだが、確かに初めはあった愛情も今は尽き果て関係も冷めきっている。互いにすれ違う時間も多くてな、もう永らく家庭内別居状態だ。
この先あいつとやっていく自信がなくて鬱屈しているときに櫂と出逢った。新鮮だったよ、実際に。俺のなかにも、まだこんな感情があるのかと驚いたものだ」
「おまえが好きだ。手放したくない」──勝手な男の常套句、乞うような眼差し。
ふざけろよと言ってやりたい。今すぐ胸倉を掴み殴り飛ばしてやりたいほどに殺意を覚え、けれどもどうしたって周防に西園寺を罰することなどできないのだ。
彼の表情が声音が己を映す瞳が心を縛り、見えない言葉の糸で周防を絡め取る。見え透いた嘘だ。その場しのぎの嘘だと警戒するも、懲りずにもう一度だけ信じたいと思ってしまう。
馬鹿だ俺。ぜってえ嘘を並べてるだけなのに、そんでも信じたいってクソみてえに思っちまう。またあン時と同じ苦しみをくり返すのか? きっと後悔する。後悔する、けど……
せめぎ合う葛藤に押し潰されそうになっていると、迷い立ち止まる周防の手を引くよう西園寺が心の楔をひき抜く。もっとも効果的で卑怯なスペルで周防を縛りつける。
「妻とは離婚するつもりだ」
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