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1-5 トオル
「次は熱くて美味 いの淹 れといてくれ」
コーヒーのことなんか。それ。照れ隠しなんか、アキちゃん。
俺、泣きそう。
俺のはだけた服を直して、それからパソコンを終了させて、アキちゃんは立ち上がった。飯はもう食い終わったらしかった。
「俺もう出かけなあかんわ」
「まだ八時にもなってへんのやで。それに、まだ抱いてもらってへん」
泣きつく口調で俺が言うと、アキちゃんは食った皿をキッチンに持っていきながら、苦笑みたいな笑い声をたてた。
「時間ないねんて」
「ほんなら俺も舐 めたるわ。つらいやろ」
お前も興奮してるやろと、俺は親切で言ってやったんやで。だって真顔で何にもなしで、あんなことできるか。アキちゃんかて、欲も肉もある生身の体やで。
「俺はいいわ」
食洗機の蓋 閉めて、アキちゃんはけろっと言った。
そして、キッチンから出てきて、テーブルから閉じたノートパソコンをとると、そばの椅子にあったキャリーケースに入れた。持ってくんか。どこにでも持っていくんやな、それ。パソコンおたくか。
それでのうても最近のアキちゃんはパソコンさんと仲良しやった。家にはタワー型のPCもMacもあったし、さすがは金持ちのボンボンやで。書斎 がございます。
アキちゃんは絵描きで、まだ美大行ってる画学生のくせに、絵を描くための部屋と、それとは別に、パソコンやら本やら置いてる書斎 がある。最近めっきり、その書斎 のほうにお籠 もり様 や。
「俺はいいわって、よう平気やな。むかつくわ!」
目の前に立ってる、どことなく恥ずかしそうなアキちゃんに、俺は怒った。
「平気やないけど、時間ないねん。夜してくれ」
照れた顔で、アキちゃんは小声で言った。小声で言わんでも誰も聞いてへんのに。
その、ちょっと俺が好きみたいな顔を見て、俺は若干、ふにゃふにゃになった。あかん。すぐデレデレしてまうで。しゃきっとせなあかん。格好つかへん。俺は美形なんやから。
「キスして、せめてキス」
しゃきっとは無理やった。この上なくデレデレして、俺はアキちゃんに頼んだ。
アキちゃんはお願い聞いてくれた。ただ触れるだけやったけど、あったかい唇が、俺の唇に重なった。
それだけで胸キュンなんやで。困ったもんやな。恋ってやつぁ。
「アキちゃん、学校なんやろ。俺も後から行っていいか」
「ええけど、俺は今日はCG科におるからな。作業棟やないで」
アキちゃんはそう言い渡して、つかつかとダイニングを出ていった。そのまま出かけるみたいやった。
ちょっと待って。行ってらっしゃいのキスは。玄関で、あなた行ってらっしゃい、みたいな。行ってくるよハニー、みたいなな。そういうのやらへんのか。
俺が焦 ってそう聞いたら、アキちゃんは歩いていきながら、俺にちゃんと聞こえるよう親切な大声で、アホかと叫んだ。
アホや、俺は。悪いか。
俺が好きや言うくせに、アホにならへんお前が薄情なんじゃ。
俺はそう叫んだけど、アキちゃんはもう聞いてへんかった。キッチンにあるホームセキュリティの操作盤が、それを教えてくれた。解錠された玄関ドアが閉じて、また施錠 されたことを。
ご主人様はお出かけや。
ああもう、なんやねんアキちゃん。中途半端にムラムラするわ。まあなんか一応スッキリ、みたいな感じではあるけどもや。
それでも俺は寂しかった。アキちゃんと抱き合いたいねん。汗まみれで。汗部分イヤなんやったらエアコンがんがんでもええから。とにかく深く抱き合いたいねん。
なんでわかってくれへんのやろなあ、うちのご主人様は。
やれやれ、と嘆 かわしく思って、俺はとりあえず朝飯食うことにした。アキちゃんの手料理やで。トーストと目玉焼きとサラダやけど。コーヒーも豆から挽 いたやつが、たっぷり淹 れてあんで。アキちゃんはコーヒー党やねん。でも俺は紅茶党なんやで。
せやけど、しっかり、朝飯にはコーヒーが定番になってもうたわ。
それだけでも、明らかに、力関係出てるやろ。俺はアキちゃんにめろめろやねん。それでアキちゃんが、いまいちめろめろやないことが、ちょっと切ないねん。
そんな甘く切ない気持ちで、今日も一日スタートや。
飯食ったら後片付けして、アキちゃんに昼飯持ってってやろうかなと、俺は思った。学食の飯でもええけど、ふたりっきりで食いたいやん。
うっふっふ、と俺は想像して笑った。想像の中のアキちゃんは、もちろん俺にめろめろやった。最上級にめろめろやった。アキちゃん本人に見られたら、たぶん、どつかれる程度には。
せやけど、ええやん。想像の中くらい。俺の好きにさせて。だってあの堅物 が、ほんまにめろめろになるわけないやん。そんなんもう俺は諦 めてる。でもちょっと、どこかで期待はしてる。
亨、お前が好きやって、アキちゃんがめろめろになってくれたら、俺は幸せや。その目とずっと見つめ合ってられたら。きっと今よりもっと幸せになれる。
そんな日が、いつか来るんか。それはまだ、神のみぞ知るや。どの神さんか、知らへんけどな。
そう思って俺は笑い、自分のぶんのコーヒーを入れにいった。
――――第1話 おわり――――
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